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正調粕取焼酎 資料 3

1.喜多屋『銀嶺』、銘柄継承の経緯

2003.04.08 by 猛牛

■評者雑感

●当該銘柄について:

昨年8月にgoida隊員と行った福岡市西部エリアにおける粕取焼酎調査行で捕獲した、福岡県八女市にある株式会社喜多屋さんの銘柄である。

『銀嶺』の分布域について若干触れよう。まずメインは地元の八女市周辺であった。実は昨年暮れにgoida隊員と筑後エリアの酒店を回った際(未コンテンツ化)に、喜多屋さんの蔵からかなり近い酒屋で店頭在庫を確認した。

また八女市の東隣り、耳納連山の南側の麓にある上陽町の酒屋で、女将さんからかつての状況を聞くことが出来た。同地では“銀嶺焼酎”の愛称で地元の人々に親しまれていたそうで、近隣の農家がその主なユーザーだったという。

しかしながら、時代の流れと共に焼酎の嗜好もライトに傾き、“銀嶺焼酎”の需要は落ちていったらしい。現にその酒屋さんでは、甲類や減圧麦の一升瓶がズラリと並んでいた。さらに愛飲家の高齢化も進んで、消費減退に拍車を掛けた。事情はどの地域でも同様である。

また福岡市西部の酒販店で見つけたものについては、昔からの定番品だったのか、『池田』消滅後の地元需要を満たすための導入だったのか、肝腎な点を聞き逃していた。だぶん後者であらふ。

◇   ◇   ◇

さて。昨年8月27日に喜多屋社長・木下宏太郎氏より、『銀嶺』についてのわての質問に対する丁寧な返信を頂戴した。プライベートな内容も含まれるが、失われ行く正調粕取焼酎の記録を残すためと思い、あえて公開させていただきます。ご容赦の程を。また、本稿のアップが極めて遅れたこともこの場を借りてお詫び申し上げたいと思います。

まずは、元もと吉田酒造さんの銘柄だった『銀嶺』がどのような経緯で喜多屋さんに引き継がれたかについて。以下、木下社長からのご返信である。

■質問:元々『銀嶺』は吉田酒造さんの銘柄だったと思いますが、
 現在御社の銘柄になった理由は?

吉田酒造は私の母の実家です。跡を継ぐ者がおらず、高齢であった祖父は平成3年廃業を決めました。

その際、自分の存命中は吉田酒造の社員と銘柄を喜多屋で引き継いでくれるよう要望し、当社はそれを受け入れました。それで粕取焼酎『銀嶺』は平成3年から喜多屋の銘柄となった次第です。
同時に喜多屋の銘柄となった商品に麦焼酎『与作』があります。こちらは喜多屋の麦焼酎の主力となっております。その後祖父は既に他界しております。

廃業された蔵の銘柄を受け継ぐ粕取焼酎の例は、『常陸山』『香露』(両方とも杜の蔵さんへ)などにも見られる。木下社長の場合もまた、母上の御実家の銘柄だったこともあって、その想いはひとしおだったのではないだろうか。

日本有数の清酒処でもあり、また粕取処でもあった筑後の歴史ある粕取焼酎『銀嶺』、その味は如何に・・・?!

●ボトルデザイン:

名前の通り、銀色の峰が連なる清冽なイラストが目を引く。わては、加山雄三『アルプスの若大将』を思い出してしまった(^_^;)。聞き漏らしたが、この山はどこなんだろう?耳納連山だろうか?

銘柄名も、髭文字風で迫力あり。その下には桜の花々が美しく咲き誇っている。遠く銀嶺を望み、手前には花を配した、遠景と近景が書き割りのように同位に存在する日本的遠近法とでも言えるメリハリのあるデザインだ。全体的に完成度は高く、美しいラベルである。

上部には桜の花風のシールがドン!と入る。花心に「筑後焼酎」、花弁に「純粕製焼酎」の文字が踊っている。これは筑後エリアの粕取焼酎については共通のシンボルマークだったようで、出土品総覧」にある『常陸山』『弥満の誉』にも確認できる。

ラベルに寄ってみる。「酒粕焼酎」という商品カテゴリーが明記された上部帯の右下、楕円の中にそっとはめ込まれた「福岡の早苗饗焼酎」の文字が目を引く。“早苗饗”または“さなぼり”とひらがなで表記した銘柄は他社にもある。粕取焼酎文化圏の伝統と誇りを象徴する言葉として、わてには輝いて見えるん。

●香り:
香りは、あまり粕取焼酎特有のアクが強くなく、どちらかというと爽やかさを感じる。エエ感じである。わてにとって『香露』壷をその基準とすると、断然親しみやすい。これもわてが粕取に馴れたちゅーことがあるからかもしれないが。

現に昨年12月の宮崎蔵探訪の際、小瓶に詰めた『銀嶺』をDr.けんじ氏ゆかりの料飲店で大将らに飲んで貰ったが、やはり匂いと味がキツイという感想だった。

●味わい:
飲み口も比較的柔らかい。舌の上に華かな味わいが広がる。飲みやすい、これは! goida隊員もガンガン飲んですぐ空になってしまったとあの頃言っていたが、納得である。

わては小さなグラスで生でクイクイッと飲むのが好みだが、初手の方ならロックだとまろ味が出て、親しみ易さが増すと思っ・・・・たのだが(T_T)

●レッドブック度:
残念ながら、『銀嶺』は2001年末で終売・消滅となっていたのである。

終売の決定について、再度木下社長からいただいたご返信から。

■質問:「銀嶺」の生産規模および出荷の状態。
■質問:今後も「銀嶺」は発売を継続されるのでしょうか?

粕取焼酎「銀嶺」は当社からの出荷では昨年いっぱいで終売になっております。お買いあげいただいた商品は酒販店様が在庫いただいていたものだと思います。
粕取焼酎は旧吉田酒造の蔵を喜多屋が借りてそこで生産しておりましたが、残された祖母も高齢で昨年春にその蔵を閉めざるを得なくなり、生産を継続することも不可能になった次第です。

いろんなご事情の末の結論であって、わて如きが詠嘆調で申し上げる筋合いではないだろう。しかしながら、粕取焼酎に想いを託する故に一抹の淋しさを覚えるのも確かである。

これまで需要を支えてきたユーザーの高齢化、そしてその商品を市場に届けてこられた蔵元さん自身の高齢化・・・これはただ粕取焼酎のみの問題ではないかもしれない。

がしかし、地域の飲料文化としての歴史や価値を考えると、「どーにかせにゃならん!」とひとり力んでしまうのである。ま、わてだけが騒いだところで転ぶ課題ではないのは重々承知ですばってん・・・。

というわけで、またひとつ、粕取の火が消えてしまったのであった


■2022年注記:この稿については、喜多屋・木下宏太郎社長より『銀嶺』が喜多屋さんに引き継がれた経緯や製造状況などの情報を頂戴して作成しました。他の資料では見ることがほとんど無いため、再掲載させていただきました。

「昭和51年の粕取文献」でご紹介した「焼酎風土記」北九州の著者である福溜会の吉田 大氏は、もしかしたら木下社長の祖父に当たる吉田酒造の代表でらした方なのだろうか。確認したかったのですが、根掘り葉掘り尋ねるわけにも参らずでして。



2.杜の蔵『常陸山』、銘柄継承の経緯

2003.11.17 by 猛牛

■評者雑感

●当該銘柄について:

正式名称『秘伝梅酒用 古式蒸留純粕焼酎 常陸山』。ちょいと長い。

この名前の長さには訳があって、まずは木製のセイロで籾殻を混ぜた酒粕を蒸し、兜釜でアルコール分を受ける・・・という、文字どおり古式床しい蒸留法によって造られているのがまず一つ。まさに誉れ高き“ド正調粕取焼酎”なのである。

杜の蔵さんが古い器具を補修して正調粕取に再挑戦した経緯は、こちらに詳しい。

さらに梅酒用と銘打ってあるのは、北部九州では古くから正調粕取焼酎の35度で梅酒が漬けられていたからで、今日でも極々わずかだが梅酒需要で正調粕取は売れている。昨年、goida隊員とともに、佐賀県の探索を行った際、武雄市の酒屋にこれが置いてあってびっくりした経験がある。粕取で梅酒を漬ける風習がまだ残っているのだろう。

実際に本品で漬けた梅酒を杜の蔵さんで飲ませていただいたが、それがいかに素晴らしいものだったか、先のページに触れている。これは、もぉ体験していただくしかない。あまりに美味すぎて、今年わては正調粕取で梅酒を漬けてしまったほどだ。

次に『常陸山』だが、これは杜の蔵さんのもともとの粕取銘柄ではない。同社の銘柄は元来『弥満の誉』(現物は、昨年夏福岡県在住の仙人さんより御寄贈。石原けんじ大佐先生に送付するも、その後行方不明)だった。

同じ町内の同業である塚本弥寿一郎氏が造っていたものが「常陸山」で、塚本氏が廃業する際に杜の蔵さん(当時は森永酒造)にこの名称を残してほしいと託されたという。森永社長は自社の『弥満の誉』を廃して『常陸山』を引き継ぎ、三瀦の粕取銘柄の血脈がひとつ現在にも遺されることとなった。

同様に、杜の蔵さんが九州進醸さんから引き継いだ銘柄名に『香露』がある。ちなみに九州進醸の社長でいらっしゃった小野博正氏は、今年の春鬼籍に入られた。合掌。

というわけで、正調粕取が時代の流れにその数を減ずる中、地元のご老人から「昔の粕取焼酎は美味かった」という述懐を聞いて正調粕取復活に挑戦された杜の蔵さんの、これはまさに偉業とも言うべき作品である。

●ボトルデザイン:
和紙風で素材感のある紙を使用。黒地に白抜き文字。この商品には逆パターンの白地+黒文字の「古式蒸留+新式蒸留(近代的な蒸篭使用)」ブレンドものがある。値段は古式のみよりもちょっと安い。

まぁ、とにかくデザインの善し悪しを超えて「そこに在るだけで感涙です」という感じか。どっしりとした筆書き文字の『常陸山』、文句ありまっしぇん。

●香り:
正調らしい独特の香り。石原けんじ大佐なら、なんと表現するか? 以前ならこの匂い、ダメだったが、いまでは気持ちイイのよねえ~ん。「ああ、やっぱり正調粕取って好き・・・うんうん」と、表情がぬぅあんとも恍惚とする。

先日、博多中洲のまりりんBARでこれを飲んだとき、ちょうど隣りに関西からいらした二人のお客様がいた。焼酎歴は長くなく、正調粕取焼酎はもちろん未体験。で、ものは試しとわてが飲んでいたお湯割りを勧めてみた。生よりもさらに香りが立つお湯割りは、お二人とも鼻を持っていっただけでまずダウン。「う・・・あかんですわ」であった。

どの焼酎でも同じだけど、やっぱり馴れの問題でしょうね。現にまりりんの福田マスター曰く、「いまね、この『常陸山』が動き出した。よく出るようになった」と。

●味わい:
梅酒用と銘打っているが、当然ながらそのまま飲んでも美味い。というか、梅に飲ませるのがもったいない位に、これは傑作である。

特にお湯で割った場合の、後口に広がるとんでもなく深い甘味は凄い。ボワーーーーン!と膨張する含み香に、粕取宇宙創造のビッグバン!を見たのはわてだけ、だらふか? さすが古式蒸留の威力が効いてるのか、アタックと持続力を持った味は絶品だ。

●レッドブック度:
まだまだ現役。製造もちゃんと続けられている。

ただし、この商品は扱い店が限られているので、あまり見かけない。筑前でもわての家の近所にある酒販店で一軒だけ店頭化していた。もともと正調粕取なんて置いてる店がほとんどありゃぁせんのだから、まぁ仕方ないか。生産量自体も古式だから限られるし。

なにはともあれ、ぜひ一度試していただきたい。もし口に合わなければ来年の春まで取っておいて、これで梅酒を漬けていただきたい。絶対に損はないと信じます。


■2022年注記:この稿についても、銘柄承継の経緯が出てくるので、再掲載したいと思います。この時に漬けた梅酒、いまも寝かしててチビチビやってます。甲類で漬けたものとは、コクがまったく雲泥の差でして。

梅酒いえば、今年の3月にお邪魔した佐賀県唐津市は『ヤマフル』の製造元・鳴滝酒造さんの蔵イベントで飲んだ、古舘社長夫人御製の日本酒仕立て梅酒『太閤梅』と牛乳のカクテルが、なんとも言えない絶妙な旨さでしたね。混合比率を相当研究されたと思います。また飲みたい。


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