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酒屋巷談 Narrative集(3)

2002.09.03 by 猛牛
8月31日、台風15号の影響で、強風吹き荒れ、怒濤打ち寄せる津屋崎海岸

【『錦』、最期を飾る】

8月17日の佐賀、8月24日の福岡市西部と、goida隊員との2週連続に渡る粕取焼酎調査行を終えたわてであった。しかし息つくヒマなく、事態は急展開した。

あの宮崎の若き粕取翁・石原けんじ大佐先生から唐突に連絡が入ったのである。彼にとって遅めの盆休みとなった8月31日に筑前を急襲、蔵元2軒の訪問と福岡市東部エリアから筑豊地区西部、そして宗像郡へと北上する酒販店店頭調査を実施したいといふのら。

前2回の調査行で、財政が極度に悪化していた牛舎の家計であった。しかし、そこはけんじ氏の来福である。一も二もなく乗った。3週連続の調査行である!(酔狂じゃのぉ)

さて、今回の調査の目的である。

1)粕取現業蔵の「大賀酒造さん」「光酒造さん」の訪問、見学とヒアリング
2)(筑豊西部エリア/若宮町)~(宗像郡エリア/福間町~玄海町~津屋崎町)での正調粕取店頭化店の発掘
3)消滅した地粕取焼酎『錦』についての情報と発掘品の収集
4)その他の出土した正調粕取の収集

特に今回は2)において、隊掲示板で仙人さんから情報をいただいた若宮町の山中から鐘崎漁港へと向かうルートを追跡調査することとした。『錦』のゲット、これが最大の目的である。なお地理的関係は、こちらをご覧いただきたい。

■若宮町・脇田温泉で、ついに『錦』とご対面。

宇美町を抜け、志免町、そして粕屋町に向かう。道中、福岡東部の田園風景が車窓に広がる。風で、稲穂が倒れそうなまでに傾いでいる。粕屋町では光酒造さんにお邪魔してお話を伺った。

しかし光酒造さんで、デジカメの電池が切れそうになった。ああ、記録が撮れんちゅーにもぉ。銭も充電池も底をつきそうになるとは、なんちゅー失態。銭は道すがら銀行を探し、カメラはこまめにスイッチを切って騙し騙し撮影を続行する。

粕屋町から久山町を抜け、若宮町へと入る。協力者・仙人さん情報によると、脇田温泉の某店に石井産業さんの粕取焼酎『錦』を店頭化している店があるという。

山側から温泉街に入って大きな老舗旅館を過ぎた50mほどに一軒の酒屋さんがあった。さっそく入る。 あった! 『錦』の4合瓶ヴァージョン『若宮錦』が店頭化されていた。

女将さんに話を聞くと、蔵元は一升瓶の他にお土産用としてこの4合瓶を作ったそうだ。先ほど通りかかった旅館でも、お土産売場に置いているそうである。

さらに、女将さんからは面白い話を聞いた。

女将「昔はうちの店で、角打ちをやっていたんですよ。この『錦』もよく飲まれていたんですけど。とにかく私は粕取の匂いが苦手でねぇ・・・こうやって(瓶を持つ手を伸ばして、瓶の口から顔を背けるような仕草)注いでいたもんですよ(^_^;)」
けんじ「その頃は、どんな飲まれ方だったんですか?」
女将「皆さん、生で飲まれてましたよ」

昔、この地域では『錦』が愛飲されており、しかも生で飲まれていたことが判明した。また“盆焼酎”的な暑気払い用として砂糖などを入れて飲まれていたことも解った。

女将「もう飲む人が少なくなってねぇ。一升瓶も無いし、これだけになったねぇ」

仙人さんの情報では、一升瓶版『錦』、4合瓶版『若宮錦』も共に終売・消滅したという話である。我々が眼にしているのが、店頭にある最後のものかもしれない。

隊長とけんじさんは『若宮錦』を揃って購入した。わては買えず(T_T)。もぉ~、マジ泣き。銀行はどこじゃい!(-"-)

レジ・カウンターで瓶の写真を撮るわてを見て、女将さんが怪訝な顔をした。そりゃそうばいねぇ~、店の中で瓶に向かってストロボ焚いて、何やってんだろって。

けんじ「すいませんねぇ。ほんと妖しい客ですよねぇ~。ガハハハ!」

同店を後にして、さらに北上を続ける。

■ある酒販店にて・・・『錦』、最期を飾る。

脇田温泉から川沿いに、九州縦貫道・若宮インター方面へと下る。途中、インターにほど近い川縁、橋の手前に一軒の酒屋を見つけた。橋を渡って左折すればインターである。さっそく飛び込んでみた。おばあちゃんが店番をしている。

けんじ「粕取焼酎は置いてないですか?」
おばあちゃん「ああ、もう無くなってしもうたよ。ほんのちょっと前まで有ったんやけどね」
隊長「それは残念だったなぁ・・・」

けんじ「銘柄は何を置かれていたんですか?」
おばあちゃん「『錦』ですよ。粕取は風味があって美味しかったんやけどねぇ。最近は飲まれんことなったからねぇ。やっぱり匂いが好まれんことなったんやろう」

けんじ「この辺りでは、どんな飲まれ方されていたんですか?」
おばあちゃん「お盆に、砂糖とか蜂蜜を入れて飲んでたんですよ。こう、別の器に入れてねぇ。暑気払いに飲みよったちゃねぇ」

猛牛「別の容器ってデカンタですかい? 水で割ってたんですかいねぇ?」
おばあちゃん「器はどうやったろう・・・? 凝ったもんに入れて、それで蜜を入れよったと思うけど。もう忘れたねぇ」

ふと棚を見ると、試飲用として開栓された『若宮錦』があった。おばあちゃんが「飲んでみたらいい」と勧めてくれた。さっそく小さい試飲用カップで飲ませていただく・・・。

猛牛「・・・・・ん。美味いねぇ、これ。美味しいばい!」
けんじ「はぁ。牛さんが粕取を美味いって言うようになったんですねw」

わての身体に粕取が馴染んでしまったようだ。匂いも味も違和感を覚えなくなった。

◇   ◇   ◇

3人の粕取調査を見ていたおばあちゃんが、蔵元に電話を入れてくれた。在庫がまだあるかどうかの確認である。・・・しかし、結果はOUT! 石井産業さんにはもう在庫はない。昨年までで製造を取りやめたことが確認された。つまり酒販店の店頭在庫のみが、この地球上における『錦』の総てとなった。

おばあちゃん「そういえば、何日か前にも、粕取ありますか?ってお客さんが来たんよ」
猛牛「どげな人やったですか? こう、長いヒゲを生やした仙人みたいな人とか?」
おばあちゃん「いや、違う。若い人やったねぇ。ひとりで来た人が一升瓶の『錦』と『若宮錦』を買っていたけど。その後に、二人連れの若い男の人たちも買いに来たねぇ」
猛牛「ほぉ・・・。最近買いに来る人が増えたとですな」
おばあちゃん「ほんと、無くなるってなったら、買いに来られるんよねぇ。ある時はぜんぜん売れんのにねぇ~(苦笑)」
3人「でへへ(*^^*)」

確かに何とも言えない話だ。わてらも動きが遅かった。一升瓶の『錦』を発掘し損なってしまったのだから。さて、次へと向かおうかとお礼を申しあげると・・・、

おばあちゃん「良かったら、これ持っていき? あげるから」

試飲用の最後の『若宮錦』をおばあちゃんが差し出すではないか。もちろん遠慮なしにいただく。お礼にわては最後のなけなしの銭でタバコ2個とウーロン茶のペットを購入。

長年の歴史を持つ筑豊の粕取焼酎『錦』。ある酒販店における最期の姿をわてらは看取ることとなった。再び“錦を飾る”ことなく、『錦』はその有終を迎えたのだった。

■玄海町へと向かう道中は、まったくの空振り。

若宮町から宗像市へ。山中を抜けて、さらに玄海町へと歩を進める。 が、途中酒販店の姿も少なく、また見付かってもまったくの空振り状態であった。このエリアでは、もう眠っていないのかもしれない。

天気も海に近づくに連れて悪化してきた。風と雨が強くなってきた。調査行としてはいい状態ではない。しかし、引き返すわけにはいかない。鐘崎にどうしても行かねばならぬ。

■宗像最北の漁港・鐘崎も『錦』勢力圏だったことを確認。

海岸は、さすがに風が強い。車が横に運ばれる。激しい波が岸壁で砕け散るのが見える。仙人さんも探索された鐘崎の漁港に、3人は到着した。

町は海岸に沿って、縦長に軒が連なっている。昔の街道沿いに並ぶ町屋のイメージ。鄙びた感じがいかにも歴史のある港町らしい。発掘成果にも期待が高まった。

最初に見つけた酒屋さん。おばあちゃんが店先に立っていたが、なぜか店内が暗い。聞けば、昨年までで廃業されたという。 もしかしたら、デッドストックが店の裏にでもあるのでは? ぬぅあんて期待したが、迷惑そうなので引き下がることに。


確かに小さな町の酒販店、人口からしても経営が難しいのだろう。気を取り直して、次の店へと向かう。

さらに奧に進むと、もう一軒が見えてきた。店が開いている。さっそく飛び込む。少しシニアな女将さんが奧から出てらした。

猛牛「すんまっせんばってん、粕取は置いとられますか?」
女将「いやぁ・・・・、もう無いよねぇ」
猛牛「昔は置かれとったとでしょ?」
女将「そうそう。もちろんあったよ。」
猛牛「銘柄ば、何やったとですか?」
女将「えーとねぇ・・・(-ー;」

この鐘崎のお店でも、置いていたのは『錦』だった。筑豊地域での全面調査は実施していないので不分明ではあるが、少なくとも嘉穂~若宮~福間~鐘崎というラインで勢力圏を持っていたことが、この時点で確定した。

女将「もう、粕取ちゃ飲まれんちゃねぇ。昔はよー売れよったけど、」
猛牛「そげんですたい・・・」
女将「この辺でも、昔飲まれよった人が年取って、おらんことなったっちゃね。そやけ、仕入れることもせんことなったっちゃ」
猛牛「昔はどげな飲まれ方されよったとですか?」
女将「蜂蜜入れて、甘くして飲みよったよ」
猛牛「盆焼酎ですかい?」
女将「そう。お盆の時とかによー飲みよったねぇ・・・」

農村だけでなく、漁村だった鐘崎でも盆焼酎の風習があったことを確認できた。これまでの調査行の結果と合わせて見ると、この風習が北部九州の実に広範なエリアに存在していたことが解る。

しかし、粕取焼酎と共に、その風習が消滅するのも時間の問題か・・・。

鐘崎から津屋崎へと向かうが、とにかく酒屋さんの数が少ない。津屋崎の海岸線を走る。防波堤には波が押し寄せ、雨も激しくなってきた。最悪である。

見ると「地酒」の文字。海岸道路沿いの一軒に車を止めた。しかし粕取は姿も形も無かった。この後、古賀市でもう一軒覗くが無し。酒販店密度が低く、サンプルが少ない結果となった。

◇   ◇   ◇

午後6時50分、翌朝早く用事があるという隊長をご自宅までお届けする。そしてけんじさんがレンタカーを借りた博多駅へと向かう。午後8時までに返さないといけないのだ。

渋滞に引っかかったり、ガソリンスタンドが近くに無い・・・なんて、冷や汗の状況をくぐり抜けて、やっとこさ駅着。無事に車を戻す。

悪天候の中、ずっと車を運転したけんじさんが、本当に憔悴した表情を見せた。しかし、けんじさんが宮崎から来てくれたおかげで、ある粕取焼酎の最期にわてらは立ち会えることとなったのである。

博多駅博多口の地下鉄入口前で、けんじさんと別れた。お疲れさまでした。

しかし彼の進軍はこれで終わらず、翌日宮崎に戻ってさらに南下し、鹿児島へと向かったのである。そのパワーと好奇心、情熱がある限り、わてらはまた突き動かされるのだろう。

※現時点での話だが、店頭在庫に限り『若宮錦』は脇田温泉の酒販店・旅館お土産売場にて購入が可能である。(注:2002年での話)

(了)


■2022年追記:この時に一番印象に残っているのは、脇田温泉の酒屋の女将さん。農家のおやっさんたちに、臭い粕取を顔を背けながら注いでいたという話は身振りも交えて、本当に面白かった。
これは単に面白いだけでなく、稲作地帯の「早苗饗」とも関連して、日常酒として農業従事者に飲まれていたという貴重な証言なんですよね。
宮若市となった旧宮田町にあった貝島炭鉱など、筑豊の炭鉱地帯で坑夫たちが何を飲んでいたのかという課題にも関わってくる。筑後の杷木町では日田杉を切り出す林業従事者が粕取の上客だったとのゑびす酒造・田中勝海氏の証言もあった。いまから確証を探す術はあるのだろうか。

それと、若い客が矢継ぎ早に来て、一升瓶の『錦』を買っていったという話を聞いて驚いたことも、よく覚えてます。いったいどういう人たちだったのか。この一年前に福岡市西区の酒販店でも若者に粕取焼酎ブームが発生していた事実を店員さんから聞いた。不思議な話でしたね。


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