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国分酒造 焼酎イノベーションの系譜(2) -笹山&安田コンビ Personal History

1980年代、大分県産の麦焼酎が全国を席巻する。
ライトで軽快な味わいが、今まで甲類焼酎を飲んでいた
全国のユーザーに広まった。

麦100%麦焼酎が全盛を極める中、
「臭い」というイメージをもたれていた芋焼酎は苦戦を強いられた。

芋焼酎は製造期間が限られることから、鹿児島県の中小蔵元は、
麦焼酎メーカーへの未納税移出で年間の経営安定を図った。
また「臭い芋焼酎」からの脱却を目指し、
洗練度を高める努力も続けられたのである。

しかし、その状態から独自の道を模索する蔵も現れ始めた。
さらに芋焼酎そのものにも大きな波が、目前に迫っていた。

そんな時代の転換点に、笹山&安田コンビはスタートを切った。


国分酒造株式会社 代表取締役社長 笹山 護

(ささやま まもる)

東京で大手の銀行マンとして活躍していたが、
1998年、理事長の父健一郎のガン発病により、急ぎ帰郷して組合に参加。
翌99年、全国の取扱店を行脚、販売サイドとの良好な関係づくりを行い、
以後繰り広げられる安田とのチャレンジの土台を固めた。

1966年:鹿児島県国分市(現 霧島市)に生まれる。
1989年:東京理科大学工学部卒業後、株式会社住友銀行(現 三井住友銀行)入行。
1998年:国分酒造協業組合 入社
2011年:国分酒造協業組合 代表理事に就任
2015年:株式会社化に伴い、代表取締役に就任


2019年、黄綬褒章受章式典での安田宣久

現代の名工 安田宣久

(やすだ のぶひさ)

国分酒造のイノベーションを支えるキーマン。
2017年に鹿児島県の杜氏では3人目となる「現代の名工」として、
厚生労働省より表彰される。

1951年:大阪府吹田市生まれ。鹿児島大学農学部卒業後、地元企業に就職。
1986年:国分酒造協業組合(現:国分酒造株式会社)に入社。
    当時の今城杜氏(阿多杜氏)のもとで焼酎造りを学ぶ。
1992年:国分酒造の杜氏となる。
1997年:芋麹造りに取り組み、焼酎業界初の芋100%焼酎『いも麹芋』を開発。
以来『蔓無源氏』『安田』『維新ノ一滴』『フラミンゴオレンジ』『クールミントグリーン』『サニークリーム』など、業界の話題作、画期となる商品を送り出す。

2015年:鹿児島県より県優秀技能者知事表彰
2017年:鹿児島県の杜氏として3人目となる『現代の名工』として厚生労働省より表彰。
2019年:内閣府より黄綬褒章を受章。


[「現代の名工」技能功績の概要]芋焼酎製造に長年従事し培った技能を有し、特に製麹技能に卓越している。蒸した芋に直接種麹を付けて発酵させる固体発酵技術による芋麹の製法を確立し、芋麹による芋100%焼酎を開発したほか、製麹に三昼夜かける「老麹(ひねこうじ)」と二次醪の長期発酵という大正時代の手法を再現した芋焼酎の開発等、常に新たな芋焼酎の開発に取り組んでいる。また、研究会等で芋麹に関する技術を提供するなど、後進の指導・育成に貢献している。


(3)に続く。


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