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連載④ 対応力 20代 通院時代 その1

それでも1991年4月、神戸に本社のある外資系の製薬会社になんとか就職し、最初の三ヶ月は神戸のはるか山奥の関学のセミナーハウスで缶詰状態の研修。よく考えれば就職活動もたいしてしなかったのに、すんなり決まってしまったのも今考えればよくなかったのかもしれません。

この時にもウツを再発してやっとの思いで研修終了。講義漬けの毎日にもかかわらず食事を普通にとり、運動を意識していなかったのがあだとなり体重が激増、研修で知識も脂肪も蓄えてしまいました。

7月から博多に赴任して本格的に仕事を開始。医薬品をドクターに購入してもらうPD俗にいうプロパーとしていくつかの病院を回っていました。

振り返るとこの頃若干躁状態だったように思います。

1992年の年明け早々に、営業車で仕事先に移動中人身事故を起こしてしまいました。仕事上の他のトラブルもあり東京へ転勤を命ぜられる。意思に反しての辞令でさらにウツ状態が悪化、東京では仕事が全くできずに退職して岡山の実家に逃げ帰りました。

つづく

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