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能登半島でのいろんな出会いにちょっと驚いている1

新幹線と在来線を乗り継ぎ、石川県にやってきた。
3年前はタイに娘とお邪魔していた。
その時の人の多さを思い出すかの如くの多くの人。

2年前は娘のコロナ感染疑惑。
1年前は両親の老いとの戦い。

この2年は辛い5月の始まりだった。

今年は交通機関や観光施設は、多くの人で驚いているが、今は実は1985年に閉館した、ユースホステルにお邪魔していて、80人からの定員の施設に3人で泊まっている。

一緒に行った雅子さんはこのユースの常連さん。
ペアレントのお父さんがステキな方で、この町の漁師さん。金沢のホテルの会社が花形な時代のユースホステルの経営に乗り出した時に、町のことがわからず、誰かいい人はおらんかということで、白羽の矢がたったのが、今回会いたい人となったペアレントのお父さんなのだ。

1971年から1986年まで稼働していた能登かつらざきユースホステル。

数年前に海の家かつらざきとして再稼働したが、コロナ騒動がやってきて、ペアレントのお父さんさんも人と会えないことですっかり元気がなくなった。

というわけで、↑の記事の最後の方に出てくる、昔ヘルパーをしていた人のお手伝いのもとお邪魔したのだ。

朝から、宿泊の準備をしてくださったお父さん。
ご飯のことお布団のこと。
二日目は私たちが走り回る車についてくださって、
真脇縄文遺跡館

いかキング

塩田村

千枚田
https://senmaida-monogatari.com/

能登ワイン
https://notowine.com/

なんてところまで、一緒に行った。
行ったと言っても、あまりにも人が多くて、
車の中で待ってもらうことになったのだけど。

お父さんの漁師の話や、
戦中戦後の話。いろんな人と付き合ってきたこと。町の世話役のこと。子どもたちや孫たちとの付き合い。親戚のこと。もちろんユースホステルでのいろんな出来事。

とにかく、どの話もステキで、
生きることや仕事に対する姿勢。

人生の真ん中に置くことは、
人とと人との繋がりだということが
よくわかる話のオンパレード。

漁師さんの話は仕事に誇りがあり、
その中で自分がどんなふうに努力をしたかを、
包み隠さず、ストレートに話してくださって、
もっともっと話を聞きたい。
そんな三日間だった。

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