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今年になって考えたこと

子どもを3人育てる中で、社会の中での色々な学びを得ることができた。

学びは、学校で得られることもたくさんある。

だけど、社会から得られる学びは、終わりがない。

生きることを題材にして、子どもも大人も楽しく学んでいくこと。

社会の中で、生を受けてから死に至るまでの人生を楽しく、学び、ここにいてもいいんだという安心安全な場所を作りたいと思った。


生きるために学び、生きるために働く。生きるために生き抜く。

当たり前のことが、経済という大きなよくわからないものに、支配されている今の時代に憂いを感じざるを得ない。貨幣経済が中心なのか、生きることが中心なのか。そもそも、学校教育の中で、生きることが語られているのかという疑問にぶち当たっている。


生きるために、私たちの先祖が当たり前にやってきた「作物を作ること(自分が食べるものを自分の手で作ること)」。そこにあることは、私たち生物は、命を守ること、命を伝えることが最大の目的・目標だったのだ。


その、当たり前の、命を守ることと生きることを学びの中心においた活動を私は行っていきたい。


この春から、大津の仰木・平尾の守り人の会で、棚田オーナーとして、活動に参加し、そこで、米を育て、ご飯としていただくだけでなく、しめ縄作りや、米麹を作ったり、味噌を作ったり、少し前なら当たり前だった生きる活動につなげていく。

ずっと考えていた。
自給自足ができないのなら、
地産地消ができないのなら、
できるだけ、誰が作っているのかわかるものを増やしていこう。
少しずつ、自分できることを増やそう、

なんでも作る。
そこからの学びが半端ない。

今の前にあるものを自分が作るとしたら、
自分が育てるとしたら、
と考えていくだけで学びになる。

これをしたい。
これで生きることと学びをつなげていきたい。

ただそれだけがしたいということがはっきりとわかった。

そんなことを考えていた1月だった、

今日は、20年前にうまくいかなかった納豆を仕込んでみた。











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