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桜の新芽染?新葉?

すっかり葉が出たうちに桜。
その葉で絹を染めてみた。
媒染剤は銅。

きれいな辛子色のような色が出た。

ワクワクするね。
これがしたかったと思うことだらけにあう。

そしてしたかったことを突き進んでいると、
色々な方に声をかけてもらうことになる。

人生って捨てたものではないと思うわけだけど。


………

2年前のコロナ騒動の行き先が見えなかった日々。

娘は2年前の4月に発熱が丸々1ヶ月治らなかった。

書き出すとキリがないのだけど、
その中で親として、人生の先を生きる人として、
彼女を支えることを続けた。

家族って何かってことを考えることが、
両親の老いを通して考えるこの頃。

30年前の両親と社会の情勢を思い出すと、
人が育つ状況ではなかったと思うのだ。
そして、母も父も自分が何をしたいのかを考えることもなく、
老いていった。

未だに、私たちの世話をしたいというか、
世話ができなくてごめんねという母。
父は、未だに経済的なことは自分が働いて子ども孫の面倒を見ているつもり。

母は力仕事ができないから、家には帰れないという。
父は家事を手つだうから家に帰ろうと、
母に言う。
でも母は、自分の本当の思いなんて話をしたことがないので、
力仕事さえできれば、家に帰りたいわけだよ。

母は「わたしは人生をここまで我慢してきたので、
いい加減に横浜の家を捨てて実家に帰ってこい」と私に言った昨年の夏。

これが本当の気持ちなのだよ。


その本心を口にしない母と父に翻弄された人生。
娘の結婚式で、すっかり大人な私の夫を見て、
「立派なお父さんになったね。いい結婚式だった」と言う母。
もう、私たちのことは大丈夫だから、
新しい家族で頑張れって、
それ私の結婚式の時に感じることじゃないの。

その後が、本当に大変だった。

書き出すとキリがない。

私は両親に振り回された人生を必死で反抗してきた。

もう反抗もやめようと、
心を決めた先月。


自分の子どもを育てる時に迷いがあった。
これでいいのかと。
両親に相談すると、
子どもたちが混乱する。

いろんなことをまなびながら、
乗り越えた。
心理学や教育学を学んだ。

もう迷わない。

私は私を生きるのだ。

きっと、まだまだたくさんの課題を私に突きつけるのだろうけど、
とにかく私を生きる。

「お誕生日おめでとう。毎日しんどいやろ。しんどいけど、今が1番いい時なんやで。楽しみや。これからどんどんしんどくなるで。」
そんなことを2月の誕生日に電話してきた母。

半月悶々とした。

「忙しいけど、しんどくはない。今までも、今も、これからも自分は幸せだし。
ずっといい人生だ。」初めて、言い切った。
「ええでんな。あんたは幸せで。」と言う母。

母は一緒にいてくれることが幸せなんだと思っている。
自分を生きることができなかった人生なんだなと。

でも、もういいわと私の中で、ある意味、切り捨てごめんってしてみた。
これでいい。私は私の人生を生きることが、
最高の親孝行なんだと、自分の子どもたちに言っている。
それを実行しよう。

………

米を作り、野菜や豆を作り、
草木染めをして、自然を愛でる。

それで良い。

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