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中村佑介20周年展★横顔の少女が見つめる先

 セーラー服を着た少女横顔をみせるイラストが多いのは、学生時代に恥ずかしがり屋で、同級生の女子を直視できず、授業中、その横顔をこっそり眺めていたからだという。もちろん、それだけではないだろう。

「高校生の音楽」の教科書の表紙画

 「高校生の音楽」の教科書や、小説『謎解きはディナーのあとで』(東川篤哉著)『夜は短し歩けよ乙女』(森見登美彦著)の表紙画を手掛けたことで知られるイラストレーター・中村佑介(なかむら・ゆうすけ、1978~)。その画業を振り返る「中村佑介20周年展」が、東京ドームシティ(東京都文京区後楽1-3-61)内にあるGallery AaMo(ギャラリーアーモ)で開かれている(1月9日まで)。

『謎解きはディナーのあとで』

 中村佑介は1978年、兵庫県宝塚市生まれ。大阪芸術大学を卒業後、2002年からロックバンドのCDジャケットをはじめ、小説の表紙画、『四畳半タイムマシンブルース』のキャラクターデザインなどを手掛けてきた。本展では、その約20年にわたる仕事の全容を、イラストの完成品着色前の線画、アイデアスケッチなどを通して紹介している。近年の仕事である、京都のイベント「ゴジラ VS 京都」や「大阪国際女子マラソン」のビジュアルまで一望できる。

 中村は、大学卒業後もずっと大阪を拠点に活動しており、売れっ子になった今も、その作業部屋は、学生時代と変わらず4畳半のままだという。制作机にパソコン、そして「トランスフォーマー」のオモチャなど好きなモノに囲まれた“箱庭”のような親密な空間。そんな作業部屋から生まれるイラストは、若い女性周囲に、多数のモノやキャラクターが盛りだくさん、画面いっぱいに”所せまし”と描かれる。それはまさに、好きなモノに囲まれた、中村の等身大の状況に似ている。 

『夜は短し歩けよ乙女』

 中村のイラストを特徴づけるのは、線描(せんびょう)で描かれた若い女性に、その背景の世界観を示すような無数の動物やアイテムが描き込まれたもの。それらがカラフルでポップな配色ながら、どこか古めかしいノスタルジックな雰囲気を醸し出す。昭和の終わりから平成初期に学生時代を過ごした中村の絵には、ラジカセやカセットテープなど、当時のものらしき古いアイテムも登場する。

展示風景から

 巨大化した少女、小さくなった動物たち、駅のホームに妖怪たちなどーー自由な想像力で、遊び心満載の作品世界。そこに、かき氷機、「ドラえもん」の単行本、おきあがりこぼし、カレンダーなど昭和レトロなアイテムがちりばめられている。筆者の個人的な印象だが、20世紀フランスの画家アンリ・マティスの絵のように、それぞれのアイテムが楽器のように音色を奏で、共鳴したり対立したり、にぎやかなコンサートのようにもみえてくる。

横顔に秘めた思い

 中村の作品では、横顔の女性が描かれることが多い。とりわけ初期の作品では、セーラー服を着た少女の横顔が多い。それは、中村が学生時代、同級生である女子学生の目を見てまともに話すことができなかったからだという。横顔であれば、授業中、気づかれずに、じっくりと眺めることができる。

展示作品から

 学生時代、教室の中で、同級生の輪の中に入れなかったという中村は、絵を描き続けることで”仲間に入れないのではなく、一人でいたいだけ”と強がるフリをしていた、と振り返る。そんな内気な自身へのコンプレックスが、横顔の女の子に投影されているのだろうか。というのも、横顔の女の子はいつも一人で描かれる。それは、クラスになじめない女の子が一人、教室の端っこで物思いにふける姿にも見えるからだ。しかし、その目線はまっすぐ何かを見つめているようでもある。

展示作品から

 中村が描く女の子の横顔には、左を向いているものが多い。本展の解説によると、「日本の漫画や小説は物事が右(過去)から左(未来)に向かって進んでいく」ので、それに倣(なら)っているという。そこには過去を振り返らず、未来を見つめたいという強い意志が込められている。

 1978年生まれの中村は、調べてみると、「ゼニアル世代」と呼ばれる世代にあたり、アナログからデジタルへの移行期、そして好景気の日本とバブル崩壊後の日本のいずれをも経験しているという。手描きをパソコンでスキャンして完成していく中村のイラストには、解説によると、藤子不二雄A(Aに〇囲み)に影響を受けたという、ダークな影(黒塗りの部分か)が常に潜んでいるのだという。一方で、中村が描く女の子の視線の先には、どこか未来を見つめる、ポジティブ(楽観的)なイメージが感じ取れる。厳しくつらい現実があっても、未来への希望を捨てない眼差しが、そこにはある。

 よく見ると、女の子の顔には、色が塗られていない。塗り絵の塗り残しのようだ。その顔立ちもシンプルで似通っていて、その個性を主張しない。それは、日本の伝統的な”余白”のようなもので、誰かを特定させないからこそ、鑑賞者の自由な想像力に委ねて、最も心地のよいイメージを生み出す。 

すべて未来を切り開く力に

 線描(せんびょう)による身体のラインは、長い首に細身の身体であるが、極端なデフォルメはなく、等身や手脚のバランスなど意外としっかり写実的である。中村は芸術大学出身であるから、デッサンという習慣があるだろうし、そのほかにも美術の教養という下地を感じさせる。

 筆者個人の勝手な印象ではあるが、中村の作品からは、画家アルフォンス・ミュシャをはじめ、フェルメール、ピカソ、日本の浮世絵美人画、竹久夢二、黒田清輝らとの共通性を感じ取れる。ただ、中村自身が影響を受けたと公言しているのは、漫画『タッチ』の作者あだち充や、「ビックリマン」などであり、サンリオのキャラクターを愛好しているという。もちろん、それらもまた美術のテクニックや様式の継承という意味では、地続きにあるのだろうが。

展示作品から

 ダンサーや演劇役者は、舞台に自分の身体をさらけ出すことで、観客に訴えかけるものがある。そこに、ごまかしは利かない。中村の絵もまた、内向的であった学生時代という自らのコンプレックス、または願望をさらけ出すことで、何かを伝える力を宿していくのではないだろうか。そして、小さな頃を思い出せば、誰もが好きなモノは一生懸命に落書きをしたはずで、そこにはパッション(情熱)があったのだろう。手描きとパソコンのハイブリッドのように、雨が降る悲しい日々も、太陽の出る楽しい日々もすべてハイブリッドの力としていけば、虹が架かる未来が待っているに違いない。 

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