推しへの向き合い方転換期


推しの言動に、ムカついて不安になって泣いて、悪い意味で感情が乱される出来事があった。去年も同じことで同じような感情になって、その時は数日で負のループが収まったのに、今回は中々抜け出せずにいる。それは、恐らく去年も抱いていたものの、さほど気に留めずに流れていった頭の片隅にずっとあった違和感だった。

なぜムカついたかといえば、「この人はこんなことを言う人じゃない」と思ったからだ。「別に言わなくても良くない?」とか「他になんか言い方あったんじゃない?」とか。つまりは勝手に期待して勝手に裏切られた気分になったのだ。

その人のどこが好きかと聞かれて「言葉選び」と答えるようなタイプの推し相手だから、余計にいつもの配慮を感じ取れずに動揺したのかもしれない。自分が思っている以上に推しに対する完璧な理想像が出来上がってしまっていたと気付かされた。

じゃあその理想を崩せば良いのかと言うと、そう簡単な話でもなく。理想を作り上げてきたのは、これまでの推しの言葉たちであり、それは嘘ではない。信じて救われてきた言葉は、幻想ではない。

思考を巡らせるうちに「そもそも信じるとか救われるとか思うのがいけないのでは」と推し方への根本的な疑問にぶつかった。推しは神様ではない。間違いなく人間である。

でも、今まで紡がれてきた言葉は、ただの人間の推しの言葉ではなく、ただの人間の推しがアイドルという偶像として贈ってくれた言葉だと思っている。だから、今までの言葉を人間から贈られた言葉と考えなおすことがとても難しい。

「まあ推しも人間だしな」と考えるのが1番楽な解決方法だと思っているが、それであまり腑に落ちないということは、まだ納得出来ていないような気がする。概念的な話でもあるから、言語化がどうも上手くできなくて、靄の中を彷徨っているような気持ちになって、支離滅裂で断片的な感情が渦巻いている。自分のことなのに、どうするのが1番なのか分からない。

まだ寒くて脳も塞ぎ込みがちになっているのかもしれない。春になってもう少し暖かくなったら、変わるだろうか。

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