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教師の思いを乗せるためのものが教育方法と技術

森信三『修身教授録』致知出版社 第2部 第2講 立志

教師は信念を持っている。
その信念を意識的にせよ、無意識的にせよ、教師はその信念に影響を受けて授業をしている。

大学では教育方法論を担当しているが、学生たちに模擬授業をさせると、やはり学生たちの授業が教師主体のものもあれば、学習者主体で進めようとするものもある。
しかし、多くの学生たちは、教師主体の伝達的授業は好ましくないと思っている。
様々な原因があると思うが、私は教育方法を知らないことが原因があると思っている。
要は、思いを乗せる教育方法や教育技術を知らないために、これまで受けたような方法でしか授業ができないのだと思うのである。

なるほど諸君らは、すでにこの学校に入学した以上、将来国民教育者たるを志しているに相違ないとは思いますが、しかし真の国民教育者とは、いかなるものであるかと、一歩踏み込んでみたら、諸君らのかんがえるところは、おそらくはまだ浅く、かつ十分明らかだとは言えないものがありましょう。真に有意な国民教育者とは、そもそもいかなるものがあるか。諸君は果たしてその面影を、日常明らかに自分の心のうちに思い浮かべていると言えますか。

P296

学生たちには教育方法の授業で、森先生のように話したいと思う。
学生たちにとって、いい授業とは?これからの教師に求められる授業とは?そういうものの面影を自分の心のうちに思い浮かべていると言えますか?と。
志を育てるのは、私の授業だけではない。
歴史や先哲から学び、縦の軸を持つ。
同時代に起きているところの横の軸をもつ。
そうやって自身で学びを広げ、理想とする授業を思い描き、学生たちには教育の方法と技術を知り、自身でさらに改善していってほしい。
そんな私の理想も学生たちに話したい。

初めての教育方法論の授業があと数回で終わる。
今季、このようなことは話せなかったし、学生たちに十分に力をつけてあげられたかというと大変疑問が残る。
なんとも悔しい1回目だった。
初めて大学の教壇に立ち、実態を知り、どのような方法がいいか模索し続けた。
私もまた、志を立て、理想とする授業を思い描き、学生たちと接していく。
まだまだ挑戦者だ。

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