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スティーヴン・ステイプルトン (Nurse With Wound) インタビュー 『FEECO』vol.1 掲載分(2018) 編集版 Pt.2

前回に続いて2017年にアイルランド西部のクールータで敢行したスティーヴン・ステイプルトン(Nurse With Wound)へのインタビュー転載。

本編

-ジム・サールウェル (FoetusことJG Thirlwell)最初期のレコード裏面には、北ロンドンにあるあなたの実家の住所が記載してありますが何故ですか。

当時はジムもウィリアム・ベネットも定住所を持っていなかった。 手紙のやり取りが大変なら、 僕の両親の家の住所を使ってはどうかと提案したんだ。 しかし、ウィリアムはWhitehouseとしてたくさんの人々から忌み嫌われていた。 ある朝、僕の母親がポストを見に行ったら、そこに誰かのクソ、本物の糞が突っ込んであって酷い目に遭った(笑)。

-ウィリアムはアルヴィン・ルシェやロバート・アシュレイ からの影響を公言していますが、 あなたと気が合ったのはそれらへの関心を共有できたからですか。

僕が彼にその手のレコードを紹介したんだよ。Whitehouseの 『Birthdeath Experience』 は「ガー、ガー、グー」 という感じ。だが、次の『Elector』や「Her Entry」といった楽曲は違った。当時彼が聴いていたアルヴィン・ルシエのようなニューヨー ク派から影響を受けている。

-そのサウンドが作られていたIPSスタジオは今日では伝説のスタジオです。 どんな設備でしたか。

IPSはウィリアムとミュート・レコードのダニエル・ミラーがCome(註1)の録音で使っていたスタジオだ。ウィリアムに会った時、 良いスタジオを知っているというので紹介してもらったんだけど、とても汚くて、 そこら中に煙草の吸殻やらが落っこちていた。 でも、確かに安くて、とても実験的なエンジニアもいた素晴らしいスタジオだった。スタジオ内にはエコーを生むための大きな鉄製プレートが設置されていた。

Whitehouseが出てきた頃は、インダストリアルと呼ばれるムーヴメントの変わり目でした。 Throbbing Gristle(TG)がPsychic TV(PTV) に移行したことは象徴的な例の一つですが、彼らの存在はどう映っていましたか。

TGのファースト・アルバムは好きだけど、わざわざ選んで聴くほどのものではなかった。僕はメンバーやグループの変遷をリアルタイムで知っているけど、完全に興味を失ったのはチャールズ・マンソンやアレイスター・クロウリーを持ち出した時だな。PTVは全然ダメ。ゴミの類だ。

-デヴィット・チベットと初めて会った時の話をお願いします。

「クロウリーのレコード(註2)を出してくれるレーベ ルを探しています。あなたは興味ありますか」と尋ねられた。とんでもない、あるわけないよ(笑)。

カムデンのThe Equinox festivalという催しで出会ったと言われていますが。

そうだよ。 僕はライヴというかパフォーマンスをする予定だったけど、 酔っ払ったやつがこちらに小便をひっかけてきたもんだから会場内でケンカしてしまって、結局やらずに終わった。

The EquinoxはZos Kia、Club Moral、デヴィット・ チベットもDogs Blood Orderとして出演していまし た。ほとんどの出演者がWhitehouse的なウォール・オブ・ノイズといったサウンドですが、こうした流行をどう受け止めていましたか。

ゴミだね。パワー・エレクトロニクスは嫌いなんだ。 ウィリアムの『Elector』 は面白いけど、当時はほとんどの連中がコピーだった。

-SPKは?

あー、『Leichenschrei』はとても良いレコー ドだと思う。インダストリアル・ミュージックと いう名前がふさわしいのは当時の彼らかな。TGよりも良かった。グレアム・レヴェル(註3)は今では有名なコンポーザーで、とてもリッチだ (笑)。

-当時のインダストリアルと称されていた人々とは好みが合わなかったように思えます。チベットとはロートレアモン 『マルドロールの歌』といったシュルレアリスムの分野で共通していたようですが。

あの頃はみんなウィリアム・バロウズやJGバラード、マルキ・ド・サドなんかを読んでいた。これらの作家は往々にして暗かったね。当時はシュルレアリストの小説を見つけるのは難しかったな。でも僕が一番好きなのはツウィッグス・ ジェイムソンの『BIlly & Betty』。ちょうどフランスから復刊されたばかりだ。

1968年に出版された『BIlly & Betty』。画像は2017年フランス版。

-つい最近(2017年)再発もされた『Spiral Inasana』ですが、あれのオリジナルはオランダのTorsoから リリースされました。なぜUnited Dairies以外から出すことになったのですか。

UDから出すつもりだったけど、Torsoから打診されて、そのまま承諾したんだ。Torsoは僕がしょっちゅう通っていたBoudisque(註4)という レコード店が立ち上げたレーベルだった。 当時は設立されたばかりで、The Residentsやエ ドワード・カスペル(Legendary Pink Dots)をリリースしていたな。Boudisqueはヨーロッパでも最高の店で、イタリアのプログレッシヴな音楽がたくさんあった。
面白い話をしようか。『Spiral Insana』のリリースパーティーを店舗2階にあるオフィスで開いた時、あるバンドが演奏してくれたんだけど、それがSugarhill Gangだったんだ。 「Rappers' Delight」 のだよ。 [同曲をちょっとだけ歌う] 「NWW のパーティーじゃないの!?」と思った (笑)。実にクレイジーでシュールだった!

-レコード店といえば、ロンドンにあったVynyl Experience (VE)はビジネス面であなたやCurrent 93などのグループをバックアップしていました。 彼らとはどういう経緯で知り合ったのですか。当時のお店の様子も含めて教えていただけますか。

店自体はとても小さな中古レコードショップだ。 友人のジェフ・コックス(註5)やエドウィン・パウンシー、サヴェージ・ペンシル(註6)と言った方がいい かな。彼らはそこで働いていた。 僕は 『Sucked Orange』というアルバムの準備をしていた頃で、 VEはそれを取り扱ってくれた。
彼らはNWW最初期のレコード3枚の再発も提案してきて、そこからBOXセット『Psilotripitaka』が出来た。限定版の革バッグはヘミッシュ・ハリーがデザインしたものだ(註7)。
その後にVEは分裂して、 片方がディストリビューションの会社を立ち上げ た。それがPeople Who Can't、すぐにWorld Serpentという名前になった。


-それが90年から91年頃。 この時期、間隔を空けつつ日本からMagick Lantern Cycleのメンバーが渡英してVEを訪れています。

Konoriはクールータに来て、声や歌をいくつか録った。僕はMagick Lantern Cycleのアートワークも描いたよ。それが今手元にないのが不思議なんだけど。彼らが持ってるのかな?それともチベットのところかな。

Magick Lantern Cycle『Chimæra』(1993) デヴィット・チベットもゲスト参加

-当時コリン・ポッターと制作していた『Thunder Perfect Mind』は突然エレクトロニックなテイストになり、ファンも驚いたと思います。しかし、リズミックになった影響元がペレス・プラードというのは本当ですか。

エレクトロニックのように聞こえるが、あの作品は全てアナログだよ。コンピュータは使ってない。実にプリミティヴなサウンドだ。
僕はプラードの音楽をアーキテクチャ、建築的な音楽と呼んでいる。リズミックなバックの上にサウンドのブロックが乗っかるんだ。
さっき子供のころ耳にしていた音楽について話したけど、母親はペレス・プラードもよく流していた。 アイルランドへ引っ越してすぐにペレス・プラー ドをパブで聴いた時は、まさに子供の頃を思い出したよ。僕はキューバの音楽が、マンボが大好き。

-『Rock 'n Roll Station』ではサウンドがヒップホップ的になりました。一緒に 録音していたピート・ボッグ(註8)はHieroglyphicsとデル・ザ・ファンキー・ホモサピエンのファンだと教えてくれましたが、あなたもヒップホップに入れ込んでいたのですか。

ノー、ノー(笑)。 ピートはよくヒップホップを聴いていたが・・・でも、僕自身は興味なかったよ。

-ずっと後になりますが、『Shipwreck Radio』というアルバムでBahamadiaの 「Spontaneity」が使われていたので、特にフィメール・ヒップホップが好きなのかと。

イエス。ミッシー・エリオットも好きだ。 男性のヒップホップは苦手なんだよ。僕の子供たちはヒップホップをよく聴いていたが、好みはほとんどメインストリーム。 息子の一人はダブステップも好きだったけど、僕はもう興味をなくしてしまっ た。

-過去のインタヴューで『Rock 'n Roll Station』はあくまで『Thunder Perfect Mind』の延長だと話していましたが、リズムにフォーカスした作品と いう意味でですか。

新しいレコードは次の素材にして、それもまた 次の素材にする・・・ 同じピースを様々なディレクション内で使うことが好きなんだ。フランク・ ザッパがやっていたことに少し近いかな。『Rock 'n Roll Station』は『Thunder Perfect Mind』とまったく違う結果になった。

-『Rock 'n Roll Station』が出た頃、Stereolabとも仕事をしています。彼らもあなたのようにジャーマン・ロック(クラウトロック)の大ファンで、それらをたくさんサンプリングしていました。

あれはサンプリングじゃない、 イタダキ、コピーだよ。
Stereolabは自分たちの曲を僕にリミックスしてもらいたかったから、World Serpentにコンタ クトをとってきた。 僕はリミックスというものが嫌いだから断ったんだけど、その後彼らが直に会えないかと尋ねてきたので実際に会って話したんだ。ティム・ ゲインは良いやつだった。
彼の依頼は「素材を渡すから、曲の構成からミックスはもちろん、タイトルやカヴァー・アートに至るまであなたの好きなようにしてください。 僕たち 自身がレコード屋に行って買いたくなるようなもの を作ってくれませんか」というものだった。 実に面白いアイデアだった。こうして出来たのが 『Crumb Duck』 だ。彼らも気に入ってくれて、同じ方法でもう一度と頼まれたから『Simple Headphone Mind』も作った。彼らは自分たちのレコードをレコード屋で買って、それを家で聴いた。なんとクールなことだろう。

-あのレコードではNeu!の「Hallogallo」やFaustの「It's a Rainy Day, Sunshine Girl」が使われています。

うんうん、でもそれら以外にもAmon Düül、Can、kraftwerkだって使われているよ。『Crumb Duck』 はこれらのグループへのオマージュなんだ。個々の曲の寄せ集め、メドレーなんてものじゃない。 特に「Animal Or Vegetable (A Wonderful Wooden Reason)」と「Simple Headphone Mind」  は最高の出来で、クラウトロックのオマージュとしては完璧だ。至高のクラウトロックであると同時に、クラウトロックでない曲なんだ。

-Xholとのコネクションはとてもあなたらしいです。Xhol Caravan名義のライヴ音源『Hot Buttered』が復刻された際にはCurrent 93、クリストフ・ヒー マン、そしてNWWによるカヴァーが収録されてました。

Xholはクラウトロックの中でも特に気に入っているバンドの一つだ。 サックスを担当していたティム・ベルブとは長い間やりとりがあった。 彼らの復帰 を助けたかったし、一緒に音楽も作りたかった。しかし、2004年にティムが亡くなってしまって、 それは叶わなかった。『Hot Buttered』の音源はティムから送ってもらったもので、69年から71年にかけてのライヴ音源だ。僕たちは 「Freedom Opera」と名付けられたものを 『Motherfuckers Live』として音源にした。
僕は「カヴァー」を作りたくはなかったので、彼らの 「Radio」という曲の拡張版を作った。「Radio」は電波障害や、Xholのライヴ音源自体を素材にしていた曲だから、僕も同じようにそれらの音源から切り取っては曲にくっつけたんだ。


-ジム・オルーク、Cyclobe、マット・ウォルドン(註9)らがリミックスした『Angry Eelectric Finger』もXholのライヴ音源が素材ですか。

いや、ティムが亡くなる前、 彼とハンス・フィッシャー、EmbryoやMissus Beastlyで演奏していたフルート奏者の二人がスタジオで録音してくれたんだ。 あのシリーズのマテリアルにはそれらが使われている『Angry』は当初3者のリミックスを1曲ずつ収録したアルバムとして発表する予定だったけど、どれも良い内容だったから別個でリリースした。サイクロブとジム・オルークのものは特に良かった。

-ジム・オルークに依頼したきっかけはなんだったのでしょうか。

彼はクリストフ・ヒーマンの友人で、クレイジー なレコード・コレクターでもあった。 特にイタリアのコンテンポラリーな、アヴァンギャルドなレコードが好きで、彼が欲しがっていたレコードのいくつかは僕のコレクションにあったんだ。ストリングスやヴァイオリンの音を提供して何か作れると言ってくれたから、 『Angry』の素材を送ってリミックスしてもらった。 その後、お礼としてお目当てのレコードをいくつか譲った。

-ジムさんは日本在住です。

そうなのか。 彼自身の音楽はあまり好みじゃないな。在籍していたSonic Youthも同様に、だ。

-いわゆるグランジと呼ばれているような音楽はお嫌いですか。

嫌いだね。僕のワースト・バンドはNirvana・・・いや、違う。ワースト中のワーストはThe Smith、というかモリッシーだ(笑)。

-Xholに続いて、Faustとも競演するようになりましたが、いつ頃から親交がありましたか。

ジャン・エルヴェ・ペロンからアルバムのプロ デュースをしてほしいとコンタクトがあった時はとても嬉しかったよ。 しかし・・・しかし・・・ 素材のテープを受け取って聴いてみたら最悪だった! オリジナルメンバーは二人だけで、Gallon Drunk(註10)のメンバーと他の誰かが加わったものだった。マイク一つだけで録った酷いジャムで、どうしていいかサッパリわからなかったよ。全部2チャンネルだけの録音だった。
ジャンに「どうすりゃいい?」と返しはしたけど、 再度トライすることにした。コリン・ポッターと スタジオに入ってテープを聴き直してみたけど、 やはり酷くて。でも、曲間の会話や楽器をチュー ニングしてる部分は面白かったので、そこから 『Disconnected』を作ったFaustでもなく、NWWでもないアルバムだ。今ではジャンとしょっちゅう会うし、僕は彼が提唱するArt-erroristのメンバーだよ。何度か共演もしている。

-ジャン氏が主催するAvant-garde Festivalに何度か出演していますね。どんな 内容ですか。

とてもファンタスティックな催しだよ。NWWは3回出演した。ジャンはドイツの小さな村に住んでいて、 そこは実に昔のドイツらしい土地なんだ。クールータにあるような大きな家とたくさんのヴァンがある。
フェスティヴァルが開かれるのは1年に1度、1週間だ。準備に数日かけて、演奏があるのは3日間かな。 昔のヒッピーの祭りそのままで、人々は火を囲んで座りこむ。僕たちもクールータで似たことはやるけど、違いはバンドが演奏していること。実にオールドスクールで素晴らしい祭典だ。

-Faustが演奏している横であなたが絵を描いたこともあるそうですね。

その逆もある。ジャンはチェーンソーまで持ち出すんだ(笑)。

-2002年に個展を開いてますが、あれはデヴィット・チベットのアイデアですか。

もともと個展を開くことに興味はなかったんだ。チベットには以前から薦められていたけどね。ちょうど今僕が家を建てているあたりの土地(註11)が売りに出されていて、そこを買いたかったから個展をやることにした。 オリジナルのアートワークをたくさん展示して、売りにも出したんだ。 それらはすべて売れて、土地の金額とピッタリの稼ぎになった。手元にあったのは1週間だけとはいえ、人生で一番稼いだ額だった。

-今更ですがデヴィット・チベットとは親しい関係が続いています。 Current 93の音楽もあなたにとって特別ですか。

フォークは好きじゃないんだよ。だからCurrent 93の作品もああいう音楽性のものには興味が湧かない。一番気に入っているのは『Of Ruine Or Some Blazing Starre』と『A Little Menstrual Night Music』。 何故ならあれは僕の仕事だから(笑)。


-同じフォーク調だったSol Invictusらも苦手ですか。

つまらないな。ネオフォークは嫌いだ。ソルのトニー・ウェイクフォードはとても良いやつだけど。彼は生まれついてのコメディアンだよ。
彼と付き合いがあった時 (主に80年代後半から90 年代前半)、僕は政治に特別関心がなかったから彼のそれについて気にしたことはなかった。気を払うべきだったんだけどね。ほんの少し後に彼が白人至上主義寄りの右翼思想だとわかった。僕とは真逆のものだ・・・ラディカル・レフトだからね。でも、一緒に音楽を作ることはやめなかったよ。『Revenge of Selfish Shellfish』というアルバムだ。
トニー本人のことは大好きなんだ。今の彼は昔とは違うと思う。当時とは異なる思想になっているだろう(註12)。

-日本からライヴや個展のオファーが来たら 受けてくれますか?

日本に行くことを考えたことがないんだ。とても遠いからね。

-日本はあなたのファンも多いと思いますよ。

本当に? NWWはアイルランドじゃ知られてな いよ。 アイルランドで有名なのは・・ ・

-U2?

なんてこった! (笑)

食器棚あたりを撮影

  1.  ウィリアム・ベネットがWhitehouse以前に使っていた名義。ダニエル・ミラーとジム・サールウェルがワスプのシンセなどで参加。ノイズ的に弾かれるギターがポストパンクらしい。

  2. 1910年から1914年にかけて録音されたクロウリーの朗読を収録したレコード『The Hastings Archives / The World As Power』。レコード中心の穴を自分で貫通させないとプレーヤーにセットできない「処女レコード」仕様。

  3. パッと思いつくのは『チャイルド・プレイ2』、『デアデビル』、『ストリートファイター』など。

  4. 当初はFactoryやRough Tradeなど英レーベルのカタログを扱っていた店だが、Torsoを立ち上げて自分たちでも音楽を売るようになった。Mecanoもここからリリースしている。

  5. 映像とカリグラフを主に手がけている作家。表舞台には出てこないが、NWW『Thunder Perfect Mind』やデヴィット・キーナン『England's Hidden Reverse』の題字は同氏によるものである。顔写真は『Who Can I Turn To Stereo』や『The Sadness Things』のインサートにて確認できる。

  6. 『Sounds』誌に連載『Rock 'n Roll Zoo』をもっていたイラストレーター。ハードコアパンクの世界でも認知度は高いが、音楽評論家としての活躍は日本でもあまり知られていない。デヴィット・チベットにシャーリー・コリンズを聞かせてフォークへと開眼させた人物の一人。作品集『Rated Savx』が2020年に発売。

  7. Psychic TVを通じてボディアート雑誌『Piercing Fans International Quarterly』を知り、身体改造へ世界に入った職人。1995年に銘Flesh Woundを設立。

  8. Inflatable Sideshowとしてレイヴチューンを発表した後にアイルランドを放浪していたところ、たまたまクールータへとたどり着いた男。後にステイプルトン一家に属し、EarthmonkeyとしてアルバムをBeta-Luctam Ringからリリース。

  9. irr.app.(ext.)として活動を続ける西海岸在住の作家。NWWのレギュラーメンバーであり、ライヴでは主にベースを担当。

  10. 下のようなジャケットを選ぶセンスがステイプルトンと同臭であることをわからせてくれる愉快なバンド。

  11. 2017年取材当時、一家は大きな家を建設中であった。翌年に訪れたら、住居部分はほぼ完成していた。

  12. 詳しくはここを参照。

Gallon Drunk 『Tonite...The Singles Bar』(1991)
Les Jaguars 『Les Jaguars, Vol-2』(1965)。ケベックのガレージロックバンド


ここまでのインタビューを基に書いた『ナース・ウィズ・ウーンド評伝』はDU BOOKSさまより発売中。


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