「ファシズムvsアンチファシズム」を解体できるか?(1)素人によるファシズム解説
一連のnoteでは、ファシズムvsアンチファシズムという無限の闘争がなぜ停止できないのかを、素人が分かる範囲で、構造的に見ていく。
その上で、何かその構造を解体するヒントはないのかを探っていきたい。
ファシズム、という言葉の意味を、皆さんはどの程度知っているだろう。
危険思想、悪の主義、何か昔のヤバイやつらの主張、そんなイメージだろうか?そのイメージは実際、全くの出鱈目ではない。ただ、イメージは理解ではない。理解していないものを論ずるのは不可能だ。
私もそこまで詳しいわけではない。いつもの通り、wikipediaなどを見て得られる程度の知識、理解だけで述べるにとどまる。本論も、目的は私の認識への合意ではなく、皆さんにゼロから調べ、考えていただくことである。
本noteでは歴史については詳述を避ける。ファシズムの悪行は調べればいくらでも出てくるので、各自調べて頂きたい。悪行をなしたという部分だけをとりあえずの認識とする。ただし、悪行をなしたからといって、悪の思想であるという証拠にはならない。人類そのものや、別の原因が悪かもしれないからだ。
思想の内容を見ていく前に、私の認識を明らかにしよう。
ファシズムは、「世間」の暗黙のルールを強力に規範化し、共同体を究極かつ単一の「ウチ」だけで構成すべきだと主張する。そして世界にあるその他全ての「ウチ」を絶対の敵とみなし、それらとの無前提の闘争に際して「生き残る」ことだけを至上目的とする「主義」がファシズムだ。
というのが私の現在の理解だ。多少文学的に言えば、「世間」がその他の全ての倫理や規範を投げ捨て、怪物化したものである。
とはいえこれでは文学的すぎる。もう少し細かく、その特徴を解説していく。過去にあったファシズムは、だいたい以下の思想の集合体として理解されている。
1.ナショナリズム
これは分かりやすく、単純で、原始的である。共同体の基盤、基礎を、民族と領土に帰着する発想である。日本とはなにか、という問いに対し、日本列島に住んでいる大和民族の共同体である、と答えるのがナショナリズムの発想だ。
これ自体は、単なる認識である。間違った認識か、正しい認識かという問いは建てられるが、それに「答える」には別の主義が必要だ。これ以上は出てこないので、次に進む。
2.俗流「社会進化論」
これはそれなりに危険な思想なのだが、ファシズムの構成要素として重要だとされている。俗流、とつけたのは私の理解だが、一応科学的コンセンサスは取れていると思う。
曰く、国家や民族の闘争で生き残るのは強いもので、弱いものは滅びる。ゆえに、生存のためには強くなる必要があり、滅びないためには弱さを切り捨てる必要がある。これは社会の構成員レベルでも行うべき、つまり弱者は時には切り捨てるべきだ。これは進化論による科学的事実なので、従うほかない。
一応警告しておくと、上の主張は科学的な意味での「進化論」的には全くの出鱈目である。
進化論的に言えば、強いとか弱いとかは究極的には存在しない。ただ偶然でもなんでも、生き残りやすいものだけが残る。そしてどんどん生き残りやすくなっていく。これが進化だ。
だが、個体を超えた集団レベルの進化はもう少し複雑である。科学の答えだけ述べると、個体レベルで生き残りにくいものであっても、それらを切り捨てず、グループ内に抱えるほうがグループレベルではむしろ生き残りやすいという現象は非常にありふれている。ゆえに、俗流「社会進化論」は事実認識が根底から間違っている。(詳しくは群選択 Group selectionやマルチレベル選択 multilevel selectionで文献を調べて頂きたい。)
ただ、何度も言っているようにこれは科学の視点なので、科学を「主義」より前に受け入れない人間には通じない。私は科学優先主義的な観点にたってしまうので、皆さんにはこれも警告しておく。
この俗流「社会進化論」は残念ながら、人間の本能には強く訴求するようである。また、後のnoteで述べるように、単純に否定すれば解決するというものでもない。ゆえに、単なる「愚かさ、悪」と切り捨ててはならない。
3.権威主義
偉いやつは偉いので、とりあえず信じよう。これだけの主義だ。これはある意味「世間」の自然現象だ。要するに「肩書」的発想のお化けである。理屈もなにもないが、動物である我々には分かりやすいし、何より秩序の維持が容易である。また、これを社会から究極的な意味で消すのは、多分不可能だ。
これは、単体では実はいうほどの害はない。だが、徹底される場合、そして他の危険思想と結びつくと危険なものである。
きのこの里とたけのこの里どちらが美味いか、でいつも喧嘩して殴り合っているのを王様が適当に「きのこ」と決定しても害はないだろう。なにより喧嘩は止まる。だが、たけのこの里を食べたら死刑とか、たけのこの里を食べるやつは悪なので何しても良い、などと言い出したら、一気に社会が崩壊する。
問題は権威の決め方と、暴走をどう抑止するかである。
4.保守主義
伝統・習慣・思想・制度その他あらゆるものを、保つことが良いことであるという思想。これも単純だ。
これは実はあらゆる社会に不可避の思想であり、これもまた自然現象とか、むしろ工学的な理念に近い。要するに、よくわからないものをいじったら爆発するかもしれないので、そっとしておく。分かったような気がしても、気のせいかもしれないので、やっぱりなるべくそっと動かす。
ブラック職場のシステム・エンジニアの「保守」業務のアプローチに近い。社会をなんとか回すのがギリギリ精一杯、ゆえに回しつづけるのが最大利益。止まらない限り気にしない。コードはなるべく触らない。
究極的には、これを社会が捨てるのは絶対不可能だ。とくに法は、判例主義という観点からみて、すべてこの発想に基づく。微妙な問題に対して一貫性を持つためには、過去の自分と整合する必要がある。ゆえに過去は自分を縛る。これを捨てようとすると、社会から一貫性が消え、正しさも消滅してしまう。
ただし、常にこれだけに従っていると、社会の不都合を何も変えられない。苦しんでいる人がいても放置されてしまう。その意味でも、大事なのはバランスである。
保守の反対は革新、とされるが、これは正確ではないと私は考える。保守の反対は理性主義、つまり我々はシステムを理解しているので、変えても大丈夫であるという発想だ。いつでも革新が大好き、なのは主義というより、ただの革新マニアである。残念ながら、我々はこの手のズレた発想が大好きなので、よく間違いを犯してしまうのだが。
5.排外主義
「ソト」の奴らは敵であるので排除、攻撃すべきである。とくに、「ウチ」に入り込もうとする敵は危険なので、攻撃によって排除するのが良い。という思想。
これは諸悪の根源、として攻撃されがちな思想である。歴史上は無理からぬ事だ。これは何度も最悪の虐殺や戦争を生んできたからである。
しかし残念なことに、これは人間の不可避の本能、かつあらゆる共同体やシステムの本質と言っても過言ではない。これに目をそらさず、どうやってコントロールするかが新時代の鍵だと個人的には思う。
例をあげよう。私、ヒラヤマが、明日からあなたの友達グループ、家族、それが嫌ならせめて親戚づきあいなどのメンバーに入れてくれ、頼む、と押しかけてきたらどうする?とりあえず無視して、警察に通報すべきだろう。
共同体は、「ウチ」と「ソト」を区別することで成立する。区別のためにはその強制力、つまり「排除」するシステムが絶対に必要である。
もちろん「排除」しない選択肢もあって良い。その逆は「包摂」だ。だが「包摂」の最終的な決定権はあくまで「ウチ」側になければならない。申請書を出して1年待ったら絶対に私、ヒラヤマを家族にしなければいけない、とかだったら怖すぎるだろうし、なにより家族という概念自体が崩壊する。
これは人間社会だけの話でもない。生物は細胞や細胞集団レベルで免疫という仕組みを絶対に持っている。そうしないと無限にパラサイトが侵入し、確率1で崩壊する。
あえて言うなら、システムとは「ウチ」と「ソト」を区別するものである。問題は「排除」そのものではなく、「排除」「包摂」の条件とその実装が、何か別の目的に沿うか、否かである。
6.全体主義
個人の全ては全体に従属すべきとする思想。単純かつ、これまた過激である。
過激であるが、これも状況によっては避けがたいことは、コロナ禍を経験した我々にはわかるだろう。
個人の利益は全体と対立しうる。全体とは要するに個人の集合である。だから、これを一切捨て去ったら、やはり社会は崩壊する。
このバランスは非常に難しい。全体は常に個人より強いからだ。「やりすぎ」は避けられないので、個人は抵抗しようと思ったら全力で抵抗しなければいけないのだが、これは周りの個人、とくに社会権力の末端を傷つける事が多い。
警察権力への抵抗が、善良なるお巡りさんへの徹底反抗になってしまうようなものだ。コロナ監視社会への抵抗は、マスクをせず、情報提供もせず、夜の街を遊び歩く事かもしれない。これは「世間」の観点からは単なるわがままに見える。そしてそれは一面では真実だ。
こうして、より多くの個人の利益を保護する目的でも、全体主義は不可避に進行してしまう。このパラドクスは容易には解けない。
---------
このへんで説明を終える。
以上で見てきたとおり、ファシズムは歴史的には大悪をなしたにもかかわらず、その構造は人類社会の自然現象とも言うべき避けがたい物が多い。ゆえに、悪の思想として断罪するのではなく、その悪行の原因を削り落として再構成すべきではないか、それが悪行の再発防止策だと私は思う。
----------
ただその前に、アンチファシズムとよばれる別の思想、運動もある。ファシズムを扱う上で、これは無視できない対立のコンテクストだ。これが何か、どう扱うべきか、を次回から述べる。
とりあえず今回はここまで。
続きは以下。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?