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「相互理解」の不在と敵対的コミュニケーション

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「相互理解」が無いゆえに、コミュニケーションの結果、全く会話が成立していない例を炎上ネタを起点に解説します
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2020年6月の記事一覧

「キモいと言うのは危険なのでやめろ」は妥当か?:リスク・シグナリングの巨大リスク

1.セットアップまず、状況設定をシンプルにするため、仮の話として聞いて頂きたい。 1) 男性A…

なぜ「俗流社会進化論」は消えないのか?:自民党改憲広報を起点に

進化論。これほど社会に影響を与え、誤解を招いてきた学問はないだろう。 俗流社会進化論が優…

Vtuberはリアリティーショーか?:ミームとしての倫理規範

まず、本論に入るために、改めて倫理規範に関する私の認識を述べておく。 下記は別にオリジナ…

SNSは、敵対的コミュニケーションに「倫理的交戦規定」を課せるか?(1)

私の一連のnoteを少しでも読んでいただいている方にはおわかりであろうが、私は基本的に今のイ…

TERF論争とは何なのか:終わりなき「ジェンダー観戦争」はなぜ起きる?(1)

TERFという単語をご存知だろうか。 トランス排除的ラディカルフェミニストの略だ。 狭義には…

全てが箕輪編集室化する:唯一神、マーケティングの君臨

箕輪厚介氏のセクハラ、パワハラ騒動はまだ記憶に新しい。各所から批判が噴出した。しばらく彼…

「ラブドール規制論」は「感情論」なのか?

今回は、最近インターネットで「炎上」的論争になっている、ラブドール規制論について扱いたい。 1.論点整理まず私は、起点となるラブドール規制論者の「論理」は以下だと推論する。 1. 一部小児型ラブドールの存在は特定の人々の小児性愛嗜好を誘発し、強化しうる。 2. 小児性愛嗜好者は、そうでない人に比べ小児性犯罪を行う蓋然性が高い。 3. 児童性虐待により侵害される子供の利益のためには、一般のラブドール愛好者との利益衡量の範囲内で、規制はやむを得ない。 4.故に、その範囲