えいがのはなし『65』

アダム・ドライバーが恐竜と戦いながら星からの脱出を目指す。
この一文だけで強烈な印象のある映画だが、中身はその強烈さに見合うものなのだろうか?
脱出劇の一部始終を観てきたので、感想をあれこれ。


※ネタバレが接近中 壊滅的な影響のおそれあり


深く考えず真面目に観ろ

この映画、良くも悪くもテーマがはっきりしている。
ひとつは恐竜。
正直、主人公たちを待ち受ける脅威は恐竜でなくとも成立する(というかSF要素が強いので外宇宙の生命体でも、堕ちた先が地球でなくても、まったく問題はなかった)が、「やりたかったからやった」と言われれば「そうだろうなあ」という感じで、さすがにしっかりした力の入れようだった。
ひとつは家族の喪失と、言葉の壁と、それらを乗り越える物語。
主人公のミルズと、彼と違う言語を話す女の子のコアは、ミルズが操縦していた探索船の墜落事故で生き残ったふたりである。
片やミルズは、娘の治療費を稼ぐための長期探索にも関わらず、探索中に娘の病状が悪化し、看取ることもできず失ってしまう。
片やコアは、同じ船に両親が乗っており、どちらも墜落事故で死亡したが、ミルズの嘘で気づかずに旅を続けることに。
終盤、分裂した船のもう一方のところまでたどり着き、真実を悟ったコアに、ミルズは自分の娘も亡くなったことを打ち明けながら、「君を連れて帰る」と自分の使命を語る。
言葉はまともに通じないふたりだが、ミルズの想いを感じ取ったコアは、自分を騙してでも助けようと、脱出させようとしてきたミルズのことを許し、襲い来る恐竜を共に打倒して脱出する。
脱出ポッドの中で、最後に手をつなぐシーンは、彼らの道行きが決して暗闇ではないと示していて、いいエンディングだと思う。

総じていい映画だったが、引っかかるところはある。
テーマ以外の部分、物語の主軸とはしていない世界観やディテールの部分だ。
一番大きなところは、「主人公たちは何者なのか?」である。
そもそも、所謂「人間」ではない。より正確に言えば「地球人」ではない。にも関わらず、コアはともかく、主人公や宇宙船の言語はきっちり英語なのだ。
「同じ言語が生まれていた」と言われたら「はあ……そっすか……」としか言えないのだが、その辺の補足があるわけでもないので、細かいところが気になってしまうと、頭の中に小さい「?」がうごめいている状態で観続けることになるのである。
コアの口の中に入った蟲ほどの大きさではないが。
そんなわけで、あまり深くは考えず、でもテーマは重めなので真面目に観ることをおススメする。なんか食べながら観るのがちょうどいいかもしれない。

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