見出し画像

あっちとこっちを行ったり来たり

この1〜2年、悪い夢かなと思いたくなる世界と穏やかな日常を行き来してる気がしてますが、遡ってそんなふうに初めて感じた子ども時代を思い出していました。

小学生の頃、私はかなり大きな地震に遭遇してます。発生時は、なんと友人たちと原っぱでギッチリ束になるほどの四つ葉を摘んでました!原っぱというのがありがたい場所だったのかもしれません。まわりに何も危険なものがなくて安全で大きなフライングカーペットにみんなで乗ってるかのようにグラングランするものの、怖いというより、なんだこれはって感じで。揺れが収まると、キョトンとする私たちの元へ近所のおばちゃんが心配して駆け寄ってきてくれました。

そしてポカンとしてみんな大量の四つ葉を手に帰宅。それからです、怖い世界を目の当たりにしていくのは。一旦帰宅して家族の安否を確認してホッとしましたが、室内はすごい様相。電気の傘が飛んで、台所から醤油や酒が破れた瓶から流れ出て、食器棚や箪笥が倒れ…。我が家は普通に玄関ドアの開閉ができましたが、同じ団地内では玄関ドアが開けられなくなったり、開いたまま締められなかった家もあったように記憶してます。

その後、母の友人の小さな娘さんのお迎えを私たち親子が引き受けることになって、慣れた道を通って保育園まで行く途中のスーパーの前で血だらけになってる人も見かけました。正面のガラスが割れて怪我をされたのだったか。とにかく緊迫していて、うろ覚えな部分もありますが、慌ててお茶を買いに行ったらお店の中がもう結構なすっからかん状態で、大きなペットボトルの炭酸飲料と菓子パンをなんとか買えたのではなかったかな。その日はガラスを踏んでも大丈夫なように室内で靴を履いて過ごし、お風呂の残り湯を大切に使いながら手を洗ったりしてました。

私はまだ子どもだったので、水がいつから出るんだろうとか生活の心配は大人がしてくれてたんですけど、しばらくはいつ何があってもいいように、すぐ逃げられるようにって、パジャマじゃなくて洋服着て寝てました。だからお風呂でゆっくりするのが怖いんですよねー。髪もさっと洗って、ほんといつ何が起きても動けるように。家が潰れて無くなってしまった友達もいて、近所に建てられた仮設住宅に入ってました。子ども同士はおかげで家が近くなって遅くまで遊べるね、なんてのんきなこと言ってた気がします。

そう、こんなに不安がっていながらも、のんきに普通に学校で友達と笑いあったり、家族でこんなに堂々とジュースやカップラーメンが食べられるなんて!(おおらかな母ですが子どもが小さい時は食に気を使う人だったので)と、ちょっとだけキャンプのような特別感に浮き足だったり、普通の楽しい暮らしと不安な非日常を行ったり来たりしてた気がします。だってやっぱり、どんなに恐ろしいことがあっても、もう一方で穏やかな日常があると、ずっと不安がってばかりはいられないのですよ。

最近、その頃の雰囲気とか肌で感じてた気配をよく思い出します。こんなことが起きるのか…どうなってくんだろう…ってズーンとなってたくせに、晩ご飯なに作ろう、みんななに食べたいかな?あ!お義母さん送ってくれたお芋でさつまいもご飯がいいなってほっこりしたり。

画像1

あっちとこっちを行ったり来たりで気が狂いそうだ〜ってなってた時期もあったけど、最近、どっちもあるから今を生きてるのだなって気がしてきました。

本日もツラツラと…

お付き合いありがとうございます😊

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?