いっそ小さく死ねばいい

私は本当に学習しない女なので、今年の2月にしたことをまた繰り返してしまった。みなさんはお気付きでしょうか。
そうです、紛れもなく私の得意技、オーバードーズです。
やっと退院することができ、家に着いたので、お風呂に入る前にポチポチ。
まだ手は震えているし、眠気もあるので誤字脱字はあるかもしれない。読んでもいいことはない。








あまり明確には覚えていないが、23日の深夜2時頃にどうしてもどうしても精神的に苦しくて、もう理性も何もかもが掻き回され何も止められなくなり廊下に放置されていた眠剤をかき集めてプチプチと布団に出し、掬って全部お茶で流し込んだ。
くしゃくしゃになった薬の空を泣きながら握りしめて、もうそこからの記憶は断片的だ。

ウーウーと騒がしく唸る救急車の中で、最初に目を覚ます。何故か涙が止まらず、そして瞼が重くて重くてどうしようもなかった。救急員さんに「寝たら駄目だよ〜」「寝ないで〜」と鎖骨の辺りをグッと何度も何度も押される。物凄く痛い。その時私は、何でこいつは私にこんな痛いことをするんだ、と怒りを覚えた。鼻に管を差し込まれる。いよいよ意味が分からなくなった私は、溢れる涙を自分で拭くこともできず、そこから記憶は途絶える。


すると、ぼーっとした意識の中で、気が付いたら看護師さんや先生に囲まれ、ベッドに拘束されていた。腕、お腹、脚。経験した人は分かると思うが、オーバードーズをすると、判断力が鈍り、場の空気が読めず、感情がコントロールできなくなる。
拘束されていた時の私は「トイレに行きたい!!!!」という一心で暴れ、お腹と腕と脚に巻いてあった拘束具をガチャガチャと大きな音でうるさいくらいに動かした。言葉にならない嗚咽も漏らしていた。同時に「トイレに行かせてください!トイレに行かせてください!」と叫び続け、暴れる私。そこでまた記憶がプツン、と終わった。

とてもとても眠たい中で、目が覚める。なんと、昼の13時。後から聞いた話、強い睡眠薬を70錠以上飲んでいたらしく、病院に運ばれた時に処置室で何かされていたようだが、全く記憶が無い。
目が覚め、動こうとしても上半身が動かない。拘束具はいつの間にか外されていたけれど、起き上がれない。「あれ?」と思い不安を抱えつつ、まるで力のない老人のように何とかベッドの手すりを掴み起き上がった。すると看護師さんが丁度来て、「家族の方が〜」と、看護師さんが説明するが、そこも失礼ながら、全く記憶にございません。
とにかくキャラメルと、普段から溺愛しているぬいぐるみを受け取り、大好きで甘くて美味しいキャラメルをゆっくりゆっくり口の中で溶かしながらまた眠りについた。


夕方の5時。夜ご飯の時間だよ、と看護師さんに起こされる。メニューは至ってシンプルで、鶏の唐揚げ(クソ不味かった)、ブロッコリーのサラダ、白米などと、ああ病院食だなと言う感じだった。何回も経験しているが、ああ病院食だなと毎回感じる。
そして今回気付いたのが、入院している病棟が2階ではなく、1階だということ。今まで閉鎖病棟に何回も入院したが、いつもは2階の病棟だった。
1階の病棟は、それこそ部屋にひとつひとつ鍵がついていて、自由が利かず、何をするにも主治医の許可と看護師さんの許可が必要な病棟。
そんなところへ押し込まれ、やっと拘束具の意味を知る。

クソ不味い鶏の唐揚げと愉快なおかずたちを食べ終え、白米を少しだけ残した。2階とは違い、1階の病棟のホールには、誰も集っていなかった。それがまた不安と恐怖を煽り、私は部屋に戻った。ただテレビだけが点いていて、知らない芸能人が喋っているのがただ怖かったのだ。

夜の9時に消灯。廊下も部屋も真っ暗。

部屋にヒーターが置いてあり、暑くてなかなか眠れない。それに薬が抜け切っておらず、看護師さんの足音やワゴンの音がグアングアンと耳に響き、暑い中タオルケットに包まって、ぬいぐるみを抱き締めてまた泣きながら何とか寝たり起きたりを繰り返しながら、朝を迎えた。


薬がほぼ抜け、”ああ病院食”の朝ご飯バージョン食べ終わると、採血と体温測定も終わり、心電図も外され、私はめでたく退院となった。

まだ息苦しく、目がチカチカしている。
オーバードーズで自殺企図なんて、阿呆らしいと思っている。

薬なんて、バケツ1杯分飲んでも死ねない。


皆様、お薬は用法・用量を守って正しくお使いください。




私が入院してる時に届いたTHE BAWDIESの新譜。
推しって有難いですね。そうです、初回版と通常盤、どっちも買う系のオタクです。
昔の友達に「なんで同じCD2枚も買うの?」って言われたけど、そりゃオタクだからだろうが!

さて、ご飯でも食べに行ってきます。
先急ぐことなく、ゆっくり、頑張って生きましょう。

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