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要(カナメ)は何か

「お金はあるに越したことはない」
「お金が手元に入ると嬉しい」
「お金が増える高揚感」
「無いよりは有った方がいい」
「とはいえお金は必要だから」
「カネのために・・・」
「カネが欲しいだけだろ」
「で、稼げるの?」
「お金を稼ぐのは悪いことか?」
「あいつはカネに魂を売った」
「安くしてくれてありがとう」

********

ちょっと待て!
ちょっと待てと、
最近思うようになった。

僕はよく
「お金」に対するnoteを
ついつい書いてしまい、
お金にばかり意識が向きがちだよな。
なんて自嘲したりもするのだが、
そもそも周りがお金の話で溢れているんだ。
と、あらためて気付く。

*******

大人になると、
お金の話ばかりする。

お金の話が入らなかったら
大人ではない。

お金の話を
避けて通ることは出来ない。

お金の話が出てこないと、
キレイゴト過ぎて
どうも胡散臭い。

*******

お金が動かないと
自分や社会は
動かないものだと
思っている。

本当?

******

お金が無くても、
僕らの身体も心も
先ずは動くでしょ?

「要はカネだろ?」
「要はカネだよ」
「カネのために・・・」

お金に何が出来る?
お金で何が出来る?

お金にどんな役割を与える?
お金をどういうものとして
僕らは扱っていこうか?

人が考えたアイデアだ。
人間間の意識の合意の元でしか
役割を果たさないツール。

役に立たなかったら意味はない。
便利なツールに
するかしないかは
僕ら次第。

「僕ら」って誰だ?

その中に「僕」は居る?

居るとしたら、
「僕ら」の代表として
僕の意見を言いたい。

「あんまり役に立っていない感じがする」

*******

僕は今、楽しくないゲームを
やめられないでいる。

楽しくないゲームのルールを
変えられないでいる。

ただ、従っているだけだ。
則って、なんとか生き延びているだけだ。

*******

頭が悪いから。とか、
力が弱いから。とか言って
抜けられずにいる。

変えられずにいる。

唯、自覚は出来た。

*******

ボールが来ないのに、
一応、レギュラーとして
グランドの片隅に出させてもらっている。
会費はしっかり払っている。
払わされている。

日本という人口のチームで
世界と対戦するゲーム。みたいな感じ。

*******

こっそり、グランドを降りようかと
思ったりする。

別のボールでゲームを始めようかとも
想う。

でも、
大きなゲームの枠組みからは
抜けられないでいる。

審判のチェックも入る。

*******

グランドに畑を作る。
野菜を育て、食べる。

チェックが入り、
新たなルールが設けられる。
課税がかけられたりする。

「ゲームに戻れ」と。

*******

そんな想像の創造とは裏腹に、
僕の心は「僕」から始まり、
僕は僕の身体を主体として
生きている。

「僕」から始まっている。

******

すると、
「お金はあるに越したことはない」
「お金が手元に入ると嬉しい」
「お金が増える高揚感」
「無いよりは有った方がいい」
「とはいえお金は必要だから」
「カネのために・・・」
「カネが欲しいだけだろ」
「で、稼げるの?」
「お金を稼ぐのは悪いことか?」
「あいつはカネに魂を売った」
「安くしてくれてありがとう」

これらの
先ず出てくる台詞は
「?」
となってしまう。

どれも「僕」
から始まっているものではない。

「僕」から始まり、
何かよくわからないものが
次にレイヤーとして入り、
その次に
人と人との関係性が入り、
全体レイヤーが
「社会」「世界」と
形成されているような・・・。

******

このヨクワカラナイモノが何なのか?
僕と君を繋ぐものなのか?
僕と「僕の想い」を繋ぐものなのか?

好いものなのか?
役に立つものなのか?
円滑に繋ぐものなのか?

むしろノイズとなるならば、
このレイヤーを取り外してみては
どうだろうか?

******

ヨクワカラナイモノは
把握、掌握することが難しい。

なのでこの概念を
丹念に感じて、
名前を付けてみる。
例えば「お金」と。

******

「お金はあるに越したことはない」
「お金が手元に入ると嬉しい」
「お金が増える高揚感」
「無いよりは有った方がいい」
「とはいえお金は必要だから」
「カネのために・・・」
「カネが欲しいだけだろ」
「で、稼げるの?」
「お金を稼ぐのは悪いことか?」
「あいつはカネに魂を売った」
「安くしてくれてありがとう」

******

この「お金」という名詞に
どんなシステムが、感情が、
それによって引き起こされる
であろう出来事が
内包されているのだろう?

それは確かなものなのか?
それはちゃんと本当に
機能しているものなのか?

*******

「お金が入ってくると嬉しい」

なぜ嬉しいのか?
本当に嬉しいのか?

******

僕の主観で考えてみる。

お金が手元に入り、
欲しいものを買えたなら嬉しい。

欲しいものと交換に、
手に入れたお金を手放し、
欲しいものを手に入れる。

*******

ここでちょっと脱線するのだが、
近年、お金を持っていても
欲しいものが手に入らない状態を
目にすることがある。

ネットでの決済の仕方を勉強しないと
買えなかったり、
年老いた両親は、
ATMのボタンも、サインも出来なくなって、
持っているお金を
使えなくなっている。

使わなければ、
欲しいものは手に入らないルールの
社会にいる。

*******

お金を持っていることが嬉しいわけじゃない。

お金を使って
望みを叶えられる社会に帰属するのなら
お金を使って
望みを叶えられるわけだ。

望みが叶うと嬉しいわけだ。

******

さて、
お金を使って、
欲しいものを手に入れた。
欲しいサービスを購入した。

それを
利用シナケレバナラナイ。

******

せっかく高いものを買って、
(高く設定されたものを買って)
その機能を
しっかりと利用しなくては
宝の持ち腐れである。

「お金はたくさんあるからいいの。
使えないものは捨てればいいし。」

・・・何の運動してんの?

*******

消費を刺激して、
庶民にもお金が行き届いて、
活発な経済活動できる社会を目指そう!

という、
近年の緊縮財政に反発する
「反緊縮財政」の活動は
どちらかと支持するし、
彼らの論理に「なるほど〜」
と励みになっている。

でも、
昔みたいに、
ばんばん作って、売って、買って、
捨てて。っていう概念自体が、
僕らの生きる地球環境、生体環境に
差し障りが出ることに
氣付いてから、
(これ自体がプロパガンダなのかとも
少し感じている)
そんなにエネルギーを消費して
エネルギッシュに生きる人類ってのも
ちょっと理想がコンフリクトする。

**********

手に入れたものは
やっぱり役に立たせたい。

けっきょくは
自分でやらなければ
役に立たせることは
出来ないのである。

*******

10万円で作って売っている人から
10万円でウクレレを購入。
置いておいても弾けないので
月謝1万円で教えてくれる
「先生」という仕事をしている人から
月々1万円を払って教わる。

この現実は
どんな望みを叶えたいものなのか?

ウクレレを心地好く弾きたい。
という望みかもしれない。

それとも、
もっと奥深くに、
自己顕示欲やら、承認欲求やら、
自己実現欲求、表現欲求、
色々あるのかもしれない。

となると、
それは「ウクレレ」でなくても
いいのかもしれない。

そんなにお金を払わなくても
いいのかもしれない。

お金で満たせるものではないのかもしれない。
さらに
スキルを身につけることで
満たせるものではないのかもしれない。

******

元は「僕」から始まっている。

「僕」で感じる。

どんなことを感じてる?

どんな風に感じてる?

要(カナメ)はお金ではない。
要(カナメ)は「僕」である。

******

「カネのため」
「カネが欲しいんだろ?」
「お金があれば嬉しい」
「何はともあれお金は必

「お金」というものが何なのか、
そこでお金を悪くみなしたり、
盲信したりして、
思考停止させないで。

「お金」という名詞に
僕らはどんな想いを内包させているのか。

それは従わざるを得ない
絶対的な力なのか?

その権力に
力を与えているのは
一体誰なのか?

厳正なルールに則った、
厳粛な権威に見られてきたが、
実際はとても野蛮な、
命の奪い合いで
歴史は繰り返されてきた事実を知ると、
今も大して変わらないじゃないか。

でも、
それが判り、概念として
把握、掌握出来たなら、
自分から、
一人ひとりの概念から
世界を変えていけるんじゃないだろうか?

僕がそう想い、始めたんだったら、
他にも多くの人が
想い始めているんじゃないだろうか・・・。

説明や説得ではなく、
集合意識の一部の「僕」として、
ちょっとした希望を感じながら、
正直な「想い」を描き、
正直な「想い」を辿る。

そんな心の旅をしながら、
今日も、畑に苗植え、田んぼ行って溝掘って、
晩に合わせるウクレレの練習して、学童で働いて、
街の精米機行って、ハンドパンの人と音合わせして、
最後にツイキャスライブ・・・。

いや〜
今日も始めるぞ!

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