其処に向かっている
僕は
何をしに、
何を伝えに、
何を知るために、
中国大理まで
足を運ぶんだろう?
伝えたいことを
noteで整理する。
届けたい「詩」があって、
そこの土地で把握している言語で
直接届くように歌いたい。
自分の詩から
言語学習をする。
基本の日常会話
もちろん重要だが、
「詩」から派生して学んでいる。
日本語で伝えたいとおりに、
この中国語の文法で伝わるだろうか?
中国語の常用句で、
首を傾げる言葉にならないように。
でも日本語だって、
あり得ない言葉を並べる僕だから、
その加減も踏まえたい。
それよりも
発音が難しいんだなぁ…
カタカナ感覚じゃ
全然通じないからね。
*******
何を伝えたい?
何を感じている?
中国人はどうだとか、
韓国人はどうだとか、
日本人はどうだとか、
行ってみて、
会ってみれば、
僕らと同じような僕らが、
僕らと同じように
それぞれ違う個性を持って、
みんなで綾なしながら
暮らしている。
僕は飛行機で、
ホテルで、
何度も何度も
これらの自身の詩を
中国語でモゴモゴ口ずさみながら
歌っている。
詩の言葉なら
解る中国語(笑)
地球、宇宙、昨日、明日、今…
知ってる単語が聞こえると、
知ってる単語だけ解る。
先ずは「トイレは何処ですか」とか、
「いくらですか?」とか
「おはよう」「ありがとう」とかが
基本なんだろうけど、
それは流れの中で♪
知らない罵倒は
知らないから、
耳に入らない。
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そうそう、それで、
整理したかったこと。
みんなと共有したいイメージを…
僕らは「言葉」を使います。
動詞でも、名詞でも、
言葉という名前を着けて、
その現実に
カタチ、輪郭を付与します。
それらの言葉、
単語毎に、
それぞれの意味を内包させます。
その概念を
共通の文化形態で共有します。
学びます。
「周黒鴨」も、
漢字の概念で
なんとなくでも
伝わりますよね?
********
唯識という、
仏教哲学を
少し勉強しました。
その本に、
チラッと書かれていただけだけど、
「唯識論」の概念より、
そこに付随して語られるらしい概念、
「唯名論」という3文字の方が
僕にはかなり腑に落ちるところでした。
僕らは「痛い」という
名前を着けて
痛みを感じる。
「痛い」という言葉がなくても
痛みは感じるけど、
全く表に現れないんだ。
表現されなくて
伝わりにくいんだ。
究極、
主観的な痛みを
相手に伝えることは出来ないけど、
「痛み」という言葉を共通させることによって、
僕らは各々の主観に「痛み」と名付け、
共有することが出来る。
言葉を用いない表現もある。
それを「芸術」と名付けることも
出来る。
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僕は音楽をするので
音楽で例えて
よく感じている。
「ドレミファソラシド」と
名付けられた音が在る。
名付けられる前も、
それぞれの「其処」に値する
音は在った。
そして、
僕らはそれらの
ちょうどいい波動に
名前を付ける。
もちろん理論や物理現象も
長年の人類の研究も踏まえて。
一言「ド」と名付ける。
そこから僕らは
飛躍して便利に
音楽を奏でることが出来る。
身体感覚で奏でる「そこ!」に
「型」が与えられたのだ。
*********
そう。
言葉は「型」なのです。
その「型」をなぞると、
「其処」にすぐ行ける。
其処に触れられる。
そして、
その「型」から
有機的な表現を醸したり、
感じたりするのは、
実存する僕ら「命」だ。
「言葉」を否定するつもりはない。
人類のすごい道具だと想う。
先ず「想う」。
そこにさまざまな既成の言葉が付与される。
カタチになる。
表に現れる。
でも、
なんか、
本当のこととは
ちょっと違うような感じもする。
無数の要素や言葉が
集積され、
AIなるものが発達している。
ドレミファソラシドどころじゃない。
もっともっと細かいところまで
音の名前が用意されている感じだ。
便利に使えばいい。
そして使わなくてもいい。
いつの間にか使っててもいい。
感じる心、
かむかえる、
神迎える、
考える頭、
命は
僕らが各々持っている。
それを確かめに行く。
「東アジア地球市民村」と
名付けた行いを興してくれた。
僕はそれを頼りに、
それだけじゃない「其処」に
今、向かっている。
僕が、
僕の「詩」を連れて
其処に向かっている。
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