根源的な「成功」への欲求
「より多くの人に届いて、
関わりを持てること」が
いわゆる「成功」ってやつの
定義なんだな・・・
と、
一人、考えていた。
音楽をしている僕は、
一人でも多くの人に
聴いてもらえたら好いだろうし、
お店をやっていたら
一人でも多くの人に
来店してもらえるような環境になれば
「成功」と呼ばれるように
なるだろう。
このnoteを書いていたって、
多くのアクセスを
いただけるようになったら成功。
「マネタイズ」とか、
そういう意識は置いておいたとしても
今、時間を費やしてしている行為が
誰にも届いていない事態は寂しい。
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おそらく
この十数年は
お金は後からついて来るとして、
フォロワー数、高評価の数、バズることが
価値としてみなされるように
なってきた。
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「成功」するために
何をすれば良いのだろう?
やりたいことをやって、
成功を収めたいよね?
一人でも多くの人に
自分の行為を
利用してもらって、
評価してもらって、
社会と関わっていきたいよね?
では、その方法をお伝えしましょう!
というのは、
悪い冗談です。
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「やりたいこと」って
何なんだろう?
成功を収めることが
「やりたいこと」なんだろうか?
何が君の幸せで、
何をして喜ぶ?
わからないまま、
「成功」を求めていませんか?
(アンパンマンの歌詞を引用)
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求めていない。
はい。
僕はもう求めていない。
そこから日々、
何をすべきなのか
考えています。
僕の幸せは「何」かなんて
一概に言えないし、
喜ばしいことばかりで
日々は生きれないし、
喜怒哀楽を経巡ることが
生きる味わいだとは思っています。
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成功するために
自分を魔改造するのか?
「魔」でなくてもいいや。
成功のために、
楽器を練習して、
ドレミを勉強して、
楽譜を勉強して、
コンテストに応募して、
勉強に投資して、
体を鍛えて、
社交術を身につけて、
ビジネスマナーを身につけて、
ネットワークビジネスに投資して、
神にすがって、
宇宙の真理を追求して・・・
いろいろ経験させてもらいました。
いわゆる「成功」は
やって来なかった。
独り「僕」が残った。
SNSでも
変化する「ともだち」。
友人、知人。
ずっと僕は「僕」といた。
いや、
10年前、20年前の「僕」は
もういない。
今の僕が憶えている限りの
思い出を持っている。
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かつての「成功」が
色褪せて見える。
一体、何を求めていたんだろう?
かつての「栄光」は
僕には存在していない。
「成功」していないから。
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「成功」を手に入れて、
「栄光」をまとっていたら、
今頃、何をしていたのだろうか?
かつての栄光を取り戻そうと
もがき苦しんでいただろうか?
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かつて成功を収めた人も
今、成功を収めている人も、
移ろう世の、ひとつのターンである、と。
その時代の
ただのお役目である、と。
そうなると、
今、同じ時代に生きる僕らは、
みんなで何をすべきかを
考えるだけになる。
僕もあなたも
心地好く存在できる世の中に
したいもんだな・・・
と考える。
そこで
自分の好きな感じを考える。
成功も失敗もない。
興味があることを探究する。
お互いに差異のある個性で
身につけた「チ」を
お互いに分かち合う。
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人間関係に積極的な人もいれば
受け身な人もいる。
行動力のある人もいれば
思考力に長けている人もいる。
人は
元々持っている素養が違うのだから。
「笑顔」が良いこと
とされる世の中で、
笑顔が苦手な人が
積極的に笑顔を作ると
自分も苦しいだろうし、
人間関係も
ぎこちなくなるだろう。
積極的に笑いかけ、
楽しませてくれる人がいたら
無意識に微笑んでいるくらいが
ちょうどいい。
笑顔が能動的な人には、
笑顔が受動的な人が必要だから。
それでも、
向いてなくても
やりたいことがあるんなら、
やってみるといい。
きっと世の中が、
自分に合わせて変容してくれる。
自分が本当は
何をやりたかったのか、
世の中が映して、
教えてくれるでしょう。
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僕は今、
そんなところに辿り着いた気分です。
「成功」を収めたいわけじゃなかった。
「評価」を集めたいわけじゃなかった。
ただ、浮かんだ想いを
表に現したかったんだ。
表現したかったんだ。
まずは「身」。この身から。
そしたらそれで「世」に触れるから、
その表現した「身」と
一体の「世」に成ったなら
幸せだろうな・・・。
この感覚が僕の根源的な
「成功」への欲求だったんだな。
うたが、音が、言葉が、 もし心に響いてくれたなら サポートいただけたら嬉しいです。