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失って、現れる。

ウクレレを握る度に
強く想うことがある。

「こんな指になっても
まだ弾いているんだもんな・・・」

僕は7年前、
だから・・・2016年の12月11日に
左手の人差し指を
1センチほど切り落とした。

耶馬溪に引っ越してきて2軒目、
理想的な空き家を借りることができて、
DIYの改修工事も大体終わり、
あとは薪を積み上げるだけだ。
という夕暮れ時、
やっつけ仕事になっていた僕は
油断し、丸ノコで誤って切断・・・。

その時、
落ち込む、「鬱」になる
というより、
むしろ「躁」になっていた
自分を思い出し、確かめる。

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僕はどんどん
ウクレレが上手くなっていた。

長男をおんぶで寝かしつける時に
ベートーベンの「月光」を
課題曲にしながら、
おんぶしながら、
その通して15分くらいある大作の
「月光」を弾いていた。

息子の成長を感じながら、
僕の「月光」も
かなりノーミスで完奏
に近いところまで
弾けるようになっていた。

一見、幸せそうに聞こえるであろう
この光景の中、
僕は内心、ずっと鬱だった。

何のためにウクレレを
上手になろうとしているんだろう?

ライブや、演奏の機会もないまま、
毎日育児とDIYに励む日々。

俺、
これがしたくてここにいるわけじゃないよな・・・

田舎暮らし始めた人あるあるな感情らしいですが、
僕もそんな感じでした。

大工仕事、木工、手仕事、
けっこう好きな人多いし、
僕もそこの価値は感じれるタイプだとは
思うんだけど、
やりたいことがあるもんで・・・。

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短くなった指で
ウクレレを頑張って握る度、
あの日々を思い出す。

指を落とした時に湧いた
騒がしい感情は、
「いいじゃん!
どうせウクレレ弾けても
仕事なかったんでしょ?
箔が付くエピソードができたじゃん(笑)
最初から行き詰まってたんだから
ちょうどよかったじゃん。
やらなくてもよい
丁度いい理由ができて
よかったね」

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それから7年、
ずっとウクレレ弾いている。

最近は
そんなに頑張らなくても
気持ち良い音を
鳴らせるようになってきた。

ようやく、
短くなった指に相応の
ウクレレ筋肉が
身に付いたような
氣がする。

かつては
セーハしても、
音が鳴らなかったり
していたことがよくありました。

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もっと軽快に弾けてたんだけどな・・・

でも、そんな上手な演奏を
多くの人に聴いてもらうような
機会がなかったから、
あんま、どうでもいい事実だったんだよな。

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なんでやめなかったのか・・・

なんだかんだ言っても、
月に1回くらいは
誰かに聴いてもらう機会はあった。

数ヶ月に1度くらいは
演奏ツアーなんかもしてた。

だから、
皆さんに支えてもらっている
というのも
本音は半々だった。

妻に校正してもらいながら
読んだ人が不快にならず、
応援したい気持ちになるように
意図した文章を
時間かけて書いて、
指のことと、
応援のためにCDを買ってください。
とFacebookに投稿したら、
20万円くらいの売り上げになった。

ライブしても
1枚も売れないことがザラなのに
何なんだろうこの現象は?
と戸惑った。

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音楽への良し悪しで、
CDは購入されるもんじゃない。
購入へ至る道のりってのは、
ストーリーの
伝え方次第なんだな・・・。

ウクレレはやめなかったけど、
売るために戦略を練ることへ
労力を注ぐことは
その後、意を決した時でしか、
しない決意をしました。
(例えばコロナの補助金申請とかね)

本当に
いつも漠然と考えていることを
表に現してみようと
今、書いています。

ウクレレを弾いて、
何を成したいのか?

ウクレレをちゃんと綺麗に
響かせられたら、
たくさん創って置いてある、
「詩」に心地好く添えていきたいという
僕のウクレレ願望であること。

自分のyoutubeチャンネルの再生数を見て、

たくさん再生された動画と
あまり見られていない動画の
違いを分析・・・なんて、
見れば明らか。
たくさん再生された動画を参照して、
ヒットに寄せた動画を作るのか?
その「事業」を発展させることが、
指を落としてまで続けている
ウクレレの、
僕自身の必要性なのか?!

そんなことを
日々、
失って、
失っても
まだある
僕の命を
どうやって生かすのか
何を望み、叶えたいのか
考えながら
生きています。

うたが、音が、言葉が、 もし心に響いてくれたなら サポートいただけたら嬉しいです。