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ウクレレスケッチ

即興演奏の出来る人に
ずっとなりたかった。

ピアノでキースジャレットのような「即興演奏」で
音楽活動している友達がいるんだけど、
出会った10数年前、
詩人、自由に詩を歌える人になりたかった僕は
衝撃を受けました。

その音を聴いているといろんな物語が見えてくる。
空を飛んだり、海に潜ったり、森を彷徨ったり。

詩人になりたかった僕は
言葉の強制的な力に氣がつき、落ち込んだ。

音楽の中で
「海」とひとこと言えば、
聴く人の自由は奪われ、
空を飛んでいた人も
森を彷徨っていた人も
強制的に「海」のイメージに
連れて行かれてしまうからだ。

全てのイメージを統べることが出来る
「音」こそが、最良な「詩」なんじゃないか?
何も言わないことが
一番多くを語る。

そんな実感を知った出会いでした。

**************

そんな人と、仲良くなって
今は年に数回一緒に演奏したりしています。

そんなスランプを経て、
僕は言葉のチカラ、というか
言葉の役割を知りました。

言葉には現実を、
宣言することで
創るチカラがあります。

言えばそうなる。

幸せな道がずっと続いている

と言えば、そうなってしまう。

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と、ここまでは
日々想い、noteにも綴ってきたことですね。

500文字も使ってしまった(笑)。


今年の夏は
朝早く起きて、
完全に即興ではないけど
気持ちいい場所で
弾きたいメロディを見つけては
何度か練習した後、
マイクとスマホを立てて
撮影してはSNSやyoutubeにあげてました。

廃校や、田んぼの畔、海、
いろんな場所で、楽しかったです。

以下はぜひukulele skeches流しながら聴いてくれたら嬉しいです。
チャンネル登録もお願いします。

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じつは意識としては
僕の中ではかなり妥協したものでした。

コロナ騒ぎのおかげで
カフェとかでのライブ活動もなく、
ライブ配信に気合入れようと
リアルライブと同じように
いろんな曲を練習しては、さあ配信!
なんてやってもいたんですが・・。

4月から、両親が老いて
とうとう千葉での二人暮らしは厳しくなって
大分の我が家に連れて来たんです。

渋る両親を説得。
「動けるうちに」と、
1週間で帰る予定が、
こっちに来て父、帯状疱疹で入院。

まぁ、本当に、
これで良かった。
良かったと想います。

母もかなりお世話が必要な状態で、
てんやわんやの状態でした。

音楽を演り続けることに必死。

本当に「音楽なんてやってる場合じゃない」
というプレッシャー・・・。

少しでも音楽の時間を創らないと
僕の選んだ自我が
現実に飲み込まれてしまう。

朝方、みんながまだ寝静まっている頃、
家を出ては、フラフラと車を走らせ
廃校や、馴染みの運動公園へ行って
即興でウクレレを弾きました。

準備運動も、発声練習も無く、
ウクレレが鳴るがままに。

難しい技術の挑戦もしません。
出来る限りです。

弾けない人にはすごいことかもしれないけど、
僕にとってはいつも弾いてるありきたりの
メロディとコード進行。

もちろん、
「これでいいんだよな・・・」
という想いもありました。

どんな高尚な理想でも
外の世界にアウトプットしなければ
何も起きない。

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そんな感じで
出来るだけ気楽に演奏して
投稿してたんですが、
やっぱり
想いのほか好かったんでしょうね。
僕も心地好かったし。

それでいくつか投稿してたら、
10年来のオーストラリアの友達から、
「今、君のウクレレみたいな
歌でも楽曲でもないような
『環境音楽』と呼ばれるような
音を集めたレーベルを立ち上げようと想ってる。
そのまま録り続けて。
ある程度まとまったら
音を整えて何らかのカタチで配信したい」

とのメッセージをもらい、
独りよがりの作業が
社会的意義をまとえたような感覚で
とてもモチベーションが上がりました。

8月の終わりに
マスター音源を手渡して、
それらの音に手を加えてもらう感じ
のとこまで来たので
9月以降はちょっと"Ukulele Sketches"の
回数は減っています。が、
今後とも、
ぼちぼち即興演奏してアウトプットしていこうと
想っています。

よかったら
youtubeのプレイリストには
随時更新して上げていくので、
チャンネル登録してもらって
皆さんの何かの作業の傍で
流してもらえたら幸いです。

オーストラリアの音源の方も
その後また連絡あったら
お知らせしますね♪

外国、ウクレレ持って
また旅したいなぁ・・・。

うたが、音が、言葉が、 もし心に響いてくれたなら サポートいただけたら嬉しいです。