日本にも飛び級があったらいいのにな

 どうも。昨日は調子が悪いなんて書いてましたが熱を測ってみたら38℃近くあってそりゃそうだわってなった、ひらりんです。

 学校って何のために存在しているのかをよく考えてしまうのですが、その中で飛び級があれば良いのにと思うことがあります。正確に言えば科目ごとに習熟度で取る授業を分けるような考え方です。
 例を挙げてみると、私は地元の公立中学校に通っていたのですが、学年の中で数学が得意な人と苦手な人で受ける授業が分けられていました。それがもっと拡張されて、学年の垣根が無くなったら良いのにと思います。

 学校の授業はできない人に合わせて組まれているなんて話を聞きますが、それだと出来る人にとっては時間が無駄になってしまいますよね。出来るからと言って休んだり話を聞かないでいたら怒られるでしょうから、黙ってわかりきったことをノートに写すしかありません。それであればレベルに合わせた授業を受けられた方がよっぽど有意義だと思います。
 逆に特定の科目が苦手な人はゆっくり丁寧に教えてもらえた方が、高度なことはできずとも基礎固めがしっかりできて良いことでしょう。あまりに苦手な場合には、その科目を受けないなんて選択ができても良いと思います。
 人間には得手不得手がありますし、それを早期の内に認識しておいた方が長い人生を生きやすくなるのではないでしょうか。

 これが実現されると固定化されたクラスが無くなってしまい、集団生活の練習の場としての学校が機能しないと反論する方がいるかもしれませんが、私はそうは思いません。
 従来通りの年齢別のクラスか、もしくは別の方法でクラスを作ってホームルームをするとか、授業の中で集団で取り組む課題を用意すれば良いだけだと思います。
 社会に出たら同い年の人たちより、幅広い年代の人と仕事をする機会の方が多いと思いますし、そういう意味でも集団生活の学びの場として実践的です。

 懸念点を挙げるなら競争意識が高まりすぎてしまいそうなことでしょうか。過度な優越感や劣等感を生み出してしまうのは心の成長に良くないでしょう。
 またどの科目も最高の授業を受けさせたいと思う保護者が現れるのも必然です。塾や通信教育を利用できる家庭とそうでない家庭による差が生まれます。言い換えるなら、家庭の経済力の違いが浮き彫りになってしまうかもしれません。

 でも、これって今とそう変わらない気がします。中学高校大学受験というタイミングで経済力の差ってある程度生まれてると思いますし、それが校内で表れたところで仕方のないことではないでしょうか。
 むしろ今まで塾で弱点を補う、高度なことを学ぶとしていたのが学校で出来るようになった方が経済力の差による問題が出ないような気さえしてきます。

 ちょっと話が変わりますが、実は日本には飛び級はなくとも、飛び入学はあるそうです(文部科学省のHP→ https://www.mext.go.jp/a_menu/koutou/shikaku/07111318.htm)。
 条件はありますが、高校に2年いれば、大学に3年いればそれぞれ大学、大学院に入ることができるようです。私の大学には5年で修士までとれるプログラムがあったのですが、それもこれを利用しているのかもしれませんね。

 学校教育ってもっと改善できるところがあると思うので変化を恐れず変わり続けて欲しいと思う、ひらりんなのでした。

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