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蛙読天

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主宰による毎日の連載です。
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記事一覧

20241018 レッツゴータコスフォーエバー

好き嫌いがなく、だいたいどんな食べ物でも美味しく食べる自信があるものの、あるとき友達に連れていってもらったバーベキューで「こんなに美味いものはないよ!!」と思ってひっくり返りそうになったのがタコスだった。 ▼料理上手な友人が淡々と野菜を刻み、サルサをつくってジャークチキンを焼き、フライパンで軽く焼いたトルティーヤですべてをくるんで、最後にライムをぎゅっと絞って食べたらもう本当に信じられないくらい美味しかった。「この世にこんなに美味しいものがあったのか!」と感激して、その日は

20241017 やめんじゃねーぞと言わなくて

「死んでもやめんじゃねーぞ」というのは好きなオードリーのラジオのコーナーで、元々はビートたけしさんのモノマネをするビトタケシさんというショーパブ芸人が楽屋で「おい、あんちゃん!死んでもやめんじゃねーぞ」と芸人を辞めようとしていた若林さんに声を掛けた、というのが元ネタになっている。 ▼思えば演劇をやるということに関して周りの誰かに「辞めちまえ!」と言われたこともないし、家族も割合肯定的に付き合ってくれているし、真剣に辞めようかと思い詰めるほどの葛藤が、正直なところあまりない、

20241016 『桜の園』(ソロ)

忘れないうちに、と思って年内にチェーホフの『桜の園』をソロでやろうと決めた。年内の、かなり深い時期になるだろうけれどもとにかくやってみようと思っている。いろいろ候補はあったけれどもふとした瞬間に「ああこれは『桜の園』だ」と思ったので、たぶん大丈夫な気がしている。 ▼なんとなく頭に浮かんでいたのは地点が和室で上演した『かもめ』の公演で、京都芸術センターの茶室で上演されていたそのイメージが、自分の中でも別の形で像を結びそうな感じがあった。季節的にも寒そうだし、なんか『桜の園』に

20241015 小田原の落日

とりたてて好き、という訳でもないのだけれどあるとき三島由紀夫の『豊饒の海』四部作を半年くらいかけて読んでいたことがあった。なにしろ長いし難しいので大変だったけれども、当時人が生まれ変わっていくことに興味があって、結構たのしく読んでいた。 ▼文庫本でもそこそこ分厚いその作品を一冊ずつ図書館で借りて、時に赤坂見附のバイト先の休憩室で、時に神奈川県の山奥でバスに乗りながら、あるいは小田急線に乗りながら少しずつ読んでいくのはたのしかった。かえすがえすも『豊饒の海』には難しい話も多い

20241014 ハードモードでままならない

(演劇なんかやっていると)とかくこの世は生きづらい。舞台に出ますよといってはバイトを休み、稽古の時から短縮勤務や休みがちになり、極め付けとしては「ひと夏東京にいません…」といって2ヶ月超の休みを要求したりせねばならない。なんというかもう不安定の極みである(でも2ヶ月超のお休みはもらうことができた)。 ▼演劇さえやっていなければ、別にどれだけ東京の物価が高かろうが円安だろうが困らないくらいには生きていくことができる。なんというかもっとステイブルな職だって東京にはあるし、まだ体

20241013 この世で最小単位の秩序

飲食店で働いていた期間が長かったので、調理の補助なんかも好きだけれども結局のところ洗い物がいちばん好きだったな、と思う。料理の半分は洗い物である。小さなお店だったけれども食洗機があって、忙しくなるとお皿もグラスもめちゃくちゃに溜まってしまったけれども、どれだけ時間がかかってもそこから少しずつ洗い物を進めていけば着実に元通りになる。その確実さが好きだった。 ▼洗い物をしているときに考えているのは第一に効率と、洗う順番と優先順位と、そしてたまに高価なお皿もあったりしたので丁寧さ

20241012 黒ゆでたまご

子どもの頃は中部地方の郊外に暮らしていて、あまり有名人らしい有名人と出会う機会もなかったのだけれど、あるとき近所のラーメン屋さんで同級生と昼食を食べている時にテレビのロケの一行が入ってきて、私たちが食べていたランチセットを指して「餃子もご飯も付いてそのお値段なんか!?」とテレビっぽいテンプレートのコメントを投げかけてきたのが他ならぬ坂東英二さん(以下、敬称略)だった。 ▼何気なくラーメンを食べていて、ふと顔を上げるとなんか知らないけれども中部地方で絶大な知名度を誇る坂東英二

20241011 小声、アコースティック

ふとひとり芝居がやりたいな、と思うのだった。「ひとり芝居」というと少しハードルが高いけれど、なんというか俳優のソロ企画みたいなことがしたいなと、思ったりする。ふだん私がお世話になっている図書室みたいな場所で、そこは5,6人も入ればいっぱいになってしまうけれども、ゆるやかに長い時間をかけてなんかできないかなと思っている。 ▼自分の公演や、よその公演に参加していないオフの期間をどう過ごすかということがいつも課題としてあって、放っておけばすぐ生活に追われてアルバイトやなんかで埋ま

20241010 F号室

日付と記事の順番がいろいろとわやになってしまっているけれども、千葉の新八柱という駅にせんぱく公舎のF号室という場所があって、昨年三重のMPADという企画に出演させてもらった時、ひと月ほどリハーサルのために通っていたのだった。 ▼住所は松戸市ということになるこのせんぱく公舎のF号室は、コロナ禍の只中でもあった2020年にtheater apartment complex libido:のアトリエとして構えられた場所で、芝生の庭に面したウッドデッキと落ち着いた雰囲気をもち、都内

20241009 地面に食い込む

「俺も久保井研(さん)とは同意見 あれば話し合うその相違点」という、キングギドラの『公開処刑』のリリックの一部をもじった文句が頭の中に浮かんではいるものの、それをどうすることもできなくて持て余している。もし仮に私が久保井さんと何か意見を同じくすることができるとして、それはなんなんだろう、という気持ちになっているからだった(?)。 ▼また同様に「アメリカンフットボールの空は青か赤かであったはずなんだ。それが今は鈍色だ!」という、日本大学アメリカンフットボール部の伝説の篠竹監督

20241008 新米を担ぎながら

天高く馬肥ゆる秋、とはよくいったものだけれども新米が出るとそれだけで日本人ならちょっと食が進んでしまう。新しい米はそれだけでうまい。飲食店で働いていた時には新米の切り替わりの時期に米の水加減が微妙に変わるので、「ああなんだかいつもより賄いのお米がやわらかいな」と思うと、それが新米の切り替わりの時期だったりした。 ▼さて、個人的には秋といえば通っていた養成所の”古典”ともいうべき代表作の稽古の時期、というイメージが強い。特段隠すつもりもないけれども『女の一生』である。いくつも

20241007 遠くの一点

中学生の頃、ハンドボール部だったのだけれども屋外のコートだったので毎日白線でコートを描かなければならなかった。今となってはしっかりとハンドボールは屋内スポーツであることが認知されて、中学や高校でも体育館でのプレーが当たり前になってきている感もあるけれど、私が10代の頃はまだ屋外でのプレーが当たり前だった。 ▼石灰の粉で、ラインカーを使ってコートを描く。ハンドボールのコートには曲線や点線といったイレギュラーもちょいちょいあって難易度はそれなりに高いのだけれども、一年生の頃ふと

20241006 「戸山公園野外演劇祭」見学会について。

早稲田小劇場どらま館の𠮷田さんからお声かけ頂いて、「戸山公園野外演劇祭」舞台見学会にて、今年の5月の野外劇経験者としていろいろご説明させて頂く機会がありました。 この日は平泳ぎ本店から小川哲也と丸山雄也もお手伝いに来てくれました。 ▼公園の方が用意してくれている資材・備品とは別に、私たち平泳ぎ本店がクラウドファンディングを経て製作した所作台(舞台床面)、客席(約60席分)も、公園の近くに保管されており、野外劇の公演を希望される方にはこちらも無料でお貸し出しすることができま

20241005 喉から鼻へ

「あなたの風邪はどこから?」というようなCMがあったと記憶しているが、私が子供の頃はまず喉からやられていた。喉が痛くなるともう後戻りはできず、喉で繁殖した風邪の菌が鼻や呼吸器に侵食していくのを感じながらそれを腹立たしくやり過ごす、というのが私の風邪との付き合い方だった。 ▼喉が痛くなるともう本当に何もかもやる気がなくなってしまう。喉が痛いというだけでもう憂鬱だし、それまできちんと体調管理をしてこなかった自分が腹立たしくもなるし、喉のイガイガとした違和感に気がついた時のやるせ