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きずな (『バッテンガール』スピンオフ応募作)

寮を出たところで清塚杏奈に出くわす。「なんで……」思わず声を上げてしまう。清塚杏奈はニコニコしながら、よっ、と右手を上げてやってくる。昨日の今日で、まともに顔が見られない。「天気もいいしさ、カフェでお茶でもしよ?」そう言うと、私の腕を引っ張るように歩き出した。「ちょっ、どこ行くんですか」「お気に入りのカフェ。先週見つけたんだ」「先週見つけてもうお気に入り?」「なんか文句ある?」「いや別に。ないっす」清塚杏奈はにい~っと笑うと、イイコイイコ、と私の頭を撫でた。「やめっ、やめてください!」叫んだ瞬間、目の前が暗くなった。いや違う。厳密に言うと、見える範囲が狭くなった感じで、昔の映画やドラマをデジタルで見ているような感覚がある。こんなに視野が狭まったのは初めてだった。ついに……。
「帰ります」清塚杏奈は驚いて私の腕を離しかけ、思い直したのか、もう一度腕をとった。「ねえ紫藤、うちに来なよ。一緒にマラソンやろう」カチンときた。人の気も知らないで!「前もそう言って、結局走り高跳びやめましたよね! また同じことするつもりですか?!」清塚杏奈は首を横に振った。「今度はしない。誓ってもいい。前のときも、自信が持てなかったの。ごめんね」今度は私のほうが驚いた。「自信が持てなかったって、どういう……?」「インターハイで高校記録を更新したでしょう。現地で見てたんだけど、かすかなぶれが気になったの。でも病気によるものかどうか判断できなかった。今は違う。今度こそ、とことんまで一緒にやりたいと思った。だから、一緒にパラリンピック目指そう。私が伴走する」

「そんな、急に言われても」「急かな? ずっと気づいていたんでしょう。網膜色素変性症。夜盲、視野の狭窄、視力低下。遺伝性で、治る病気じゃないって」「そうだけど……、そうだけど、でも」「違うかもしれないと思った」力なくうなずく。「でも病院には行ってないでしょ。病気の可能性を否定も肯定もできない。もしかしてさ、引き延ばしてるうちに治療法が見つかると思った?」「わからない。そうかもしれないし違うかもしれない。本当にわからない。でも」「怖かったんだね」そうだ。すごく怖かった。「怖かったから、考えないようにしてたんだね」そう、考えたくなかった。何も考えないでいたかった。「ね、ちょっと手を出して」私の腕を離し、カバンをごそごそと漁った。「あった」取り出したのは、輪っかになった紐のような、ロープのようなものだった。「伴走者とランナーは、このロープでつながっているの。名前があるのよ。何だかわかる?」はて。首をかしげる私に、「きずな」「きずな?」はい、と輪の片方を差し出す。私が輪をつかむと反対側を持ち、この状態で走るのよ、と清塚杏奈は言った。「きずなで結ばれているの。だからね、もう一人じゃない。一人で怖がらなくてもいいのよ」

一人じゃ、ない。その言葉はすうっと体の中に入って、すごく深いところにまで到達した。そしてすごく深いところから、温かい涙がこみ上げる。一人じゃないんだ。一人で怖がらなくてもいいんだ。「ね、また一緒にやろう」清塚杏奈の言葉に、私は何度もうなずいた。

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