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考える葦|Ⅰ-1|私達自身のような「夭折の天才」 ドナルド・キーン『石川啄木』を読む

平野啓一郎の論考集『考える葦』(2018年9月発売 / キノブックス)より、『石川啄木』(著:ドナルド・キーン)の書評を公開しています。
主に、2014年〜2018年(それより古いものも)、第4期にあたる『透明な迷宮」『マチネの終わりに』『ある男』が書かれた時期の批評・エッセイを集めた論考集。平野啓一郎の思考の軌跡が読める一冊です。
(2018年9月発売 / キノブックス)

Ⅰ : 文学・思想
Ⅱ: 自作及び文壇・出版業界への言及
Ⅲ:美術、音楽、デザイン、映画その他
Ⅳ:時事問題とエッセイ 

私達自身のような「夭折の天才」 ドナルド・キーン『石川啄木』を読む

ドナルド・キーン氏の前著『正岡子規』は、俳句のみならず詩歌全般の革新者としての子規の実像を、偶像化を排し、ほとんど「写生」的に描き出した評伝文学の傑作だった。一読三嘆した私は、その感動を直接にお伝えしたのだが、キーン氏は、それを慎ましやかな笑顔で喜ばれつつ、意外な言葉を口にされた。
「『正岡子規』はどちらかというと、書かなければならないと思って書いた本でした。けれども、今連載している『石川啄木』は、書きたいと思って書いている本です。」
 確かにキーン氏は、子規の文学観への賛同をしばしば慎重に留保し、母や妹への態度に手厳しい批評も加えているが、それが著者としての窮屈さを感じさせることがまったくなかっただけに、私は却ってキーン氏の仕事の公正さに感銘を受けた。同時に、『石川啄木』を読むのがますます楽しみになった。
 本書を読むと、啄木の異能が、鷗外や漱石、或いは、与謝野鉄幹・晶子夫妻といった当代の目利きのみならず、直に接した多くの者たちに感得せられていたことがよくわかるが、その割に、当の与謝野晶子でさえ、彼の死後の名声については、実に心細い、懐疑的な言葉を残している。
 勿論、私のような世代は、いつ誰から教わったともなく、啄木を近代日本文学を代表する歌人として知っていたし、その短歌を、中学の国語の教科書で勉強している。しかし、その人物像や作風については、大した説明もなく、ほとんど何の印象も残らなかった。満二十六歳で死んだ「夭折の天才」というような話も、特段、強調されなかったように思う。
 それでも、啄木の短歌は、キーン氏が「『一握の砂』に収められた多くの歌に、読者は一読して心を奪われる。」と語る通り、彼のことをまったく知らない人間でさえ、よくわかると感じるような不思議な普遍性を備えている。
 私が教科書で学んだ彼の短歌は、一つは有名な「ふるさとの訛なつかし/停車場の人ごみの中に/そを聴きにゆく」だったが、まだ中学生だった私は、本書で非常に丹念に描き出された――啄木の複雑な望郷の念が痛いほどにわかる――その渋民村時代を知らず、また、自身も特に「ふるさと」から遠く離れて生活した経験がないにも拘(かかわ)らず、この歌の心境が、なぜかつくづく理解された。
 私が教科書で知ったもう一首の啄木の歌は、『悲しき玩具』に収められた「何となく、/今年はよい事あるごとし。/元日の朝、晴れて風無し。」で、これまた、啄木最晩年の病苦と貧困を一切知らず、そうした現実とも無関係なまま、私を含めた多くの生徒が「好き」だと感じたのだった。
 これは、どういうことだろうか?
 キーン氏は、『食うべき詩』の次の一節を「どんな長い説明よりも啄木の短歌の特徴をよく語っている」として引用している。
「詩は所謂詩であつては可けない。人間の感情生活(もつと適当な言葉もあらうと思ふが)の変化の厳密なる報告、正直なる日記でなければならぬ。従つて断片的でなければならぬ。――まとまりがあつてはならぬ。」
『正岡子規』の読者は、出自も、その生活も、創作態度も、凡そ啄木とは懸け離れた子規の中に、これと相通ずる認識があったことを思い出すであろう。子規は言う。
「俳句はおのがまことの感情をあらはす者なり。おのが感情を曲げて作らんとするも何処にか真の感情あらはるゝ者なり。」
 キーン氏はこれを次のように解説する。
「子規は、膨大な俳句の研究と分類のお蔭で、俳人が俳句で自分の感情を伝え得ることの如何に稀であるかを知った。これは特に初期の俳人たちがそうで(中略)巧妙さというものは感情から切り離された途端に退屈になるか、苛々させられるということを子規は嫌というほど知ったのだった。」
 創作の方法論的には、極めて直感的だった啄木に対し、子規はマニアックなほどに周到だったが、この二人は、いずれにせよ、短歌、俳句の「近代」に於ける革新者であり、その点に注目するならば、詩の「近代性」について、誰よりも早い自覚を持ったボードレールが、やはり「素朴さnaïveté」を非常に重視していたことも、併せて想起すべきだろう。
 この「正直」さの故に、私たちは、啄木の短歌に、まるで我がことのように感動する。しかし、先述の通り、必ずしも、彼の生に、短歌を通じて直接アクセスするわけではない。彼自身が「象徴芸術」という言葉を用いている通り、彼とその短歌との間には、独特の二重性がある。文学とは、そもそもそういうものだが、啄木の特徴は、短歌というこの極めて限定的な詩型に固有の難問を、ほとんど逆手に取ったような自由さを獲得している点である。

 啄木の短歌で気になるのは、先ほどの歌にもあった「何となく」という語である。
『一握の砂』、『悲しき玩具』のいずれの歌集に於いても、この類の語が頻出する。「何となく汽車に乗りたく思ひしのみ/汽車を下りしに/ゆくところなし」、「何がなしに/息きれるまで駆け出してみたくなりたり/草原などを」、「何がなしに/頭のなかに崖ありて/日毎に土のくづるるごとし」(以上『一握の砂』)、「何となく、/案外に多き気もせらる、/自分と同じこと思ふ人。」、「何となく、/自分を噓のかたまりの如く思ひて、/目をばつぶれる。」、「五歳になる子に、何故ともなく、/ソニヤといふ露西亜名をつけて、/呼びてはよろこぶ。」(以上『悲しき玩具』)
「何となく」というのは、特に理由もなく、という意味である。しかし正確には、理由がわからないまま、と解すべきだろう。
 カール・シュミットは、『政治理論とロマン主義』という評論の中で、「ロマン主義をトータルに定義するものが何かあるとすれば、それはロマン主義が因果適合性などにはほとんど縁がないという点である。」と記している。彼は、「モーツァルトにとってオレンジを見たことが二重唱『たがいに手を取り合って』を作曲するきっかけとなったように」と、メーリケの小説中の逸話を引きながら、こうした不合理な因果関係を、合理的な「原因と結果」に対置して、「起因と結果」と概念的に区別する。そして、現実を悉く美的な創作の「きっかけ」に過ぎないものとして処理するロマン主義の政治的無力を批判するのである。
 シュミットのロマン主義批判の妥当性はともかく、この現実の起因化は、芸術創作全般に、大なり小なり、当て嵌まる話である。彼のこの一九二一年の論文は、こうした不合理性に着目した精神分析学や心理学と同時代的であり、ついでに言えば、遠く離れた極東での啄木の短い歌人としての活動の直後だった。
 啄木が、例えば、「何となく汽車に乗りたく思ひしのみ/汽車を下りしに/ゆくところなし」と詠む時、彼はその衝動的な行動の起因を省略している。或いは「何となく、/今年はよい事あるごとし。/元日の朝、晴れて風無し。」のように、元日の朝の清々しい風景を、そうした予感の「原因」としてしまう単純さを、まさしく「近代人」として拒絶する。が、実際にそう感じたこと自体は事実である。その時、彼に「人間の感情生活の変化の厳密なる報告」として、それをそのまま表現することを可能にさせる語こそが、つまりは「何となく」だった。
 啄木は、そうして、状況を説明する前後の歌物語もなければ、和歌の歴史的な教養に依存することもないまま、一首の短歌を詩歌として自立させることに成功した。これは実は、そのまま、子規の問題意識でもあった。キーン氏が「書かなければならない」と感じていた『正岡子規』は、この「書きたい」と思って書いた『石川啄木』と、併せて読まれるべき必然があると私は思う。
 啄木の「何となく」の作品世界を具体的に理解するためには、彼の生活の何が起因となり、彼という歌人がどういう人間だったからこそ、オレンジが『たがいに手を取り合って』に化けるのかを知らねばならない。なぜ啄木は、「何となく」そんなことを感じ、そんな振る舞いをしたのか? キーン氏の『石川啄木』は、その生の軌跡の丹念な追跡と、日記の読解による内的生活の表現とを通じ、読者にその非常に豊かなヒントを与えている。それは、啄木の「何となく」の可能性を殺さないまま、より一層の理解と愛着とを以て、我々を啄木の世界へと深入りさせる。キーン氏は、啄木を「極めて個性的でありながら奇跡的に我々自身でもある一人の人間」と評するが、本書はその二重性の間に渡された架け橋のようである。

 自他共に認めるその天才故に、啄木の倨傲はほとんどランボー的であり、酒と女に入り浸る自滅的な生活は、我々の単純な共感からはひとまず遠い。金田一京助との友情を、唐突に「束縛」と断じ、彼を傷つけてしまうようなエキセントリックな一面もある。自分の身近に彼がいたなら、果たしてつきあいきれただろうかと、私は何度となく考えた。
 結婚式をすっぽかしたり、函館で長らくほったらかしにしていたりと、夫の天才を信じつつ、姑や義妹との不仲、貧困、病苦に耐え、啄木に寄り添い続けた節子への仕打ちは、やはり酷いと言うより他はない。
 しかし、我々にとって、啄木の存在を最悪のところから救済しているのは、偽善とはむしろ反対の彼の「正直」な言葉である。
 何と言っても若い啄木の生活へのひたむきさは、その収入の安定と不安定との繰り返しで、読者を一喜一憂させる。『一握の砂』で名声を確立するに至っては、こちらまで晴れ晴れとした安堵を覚える。その間の艱難辛苦を思い、やっと、とは感じるものの、実はまだ二十四歳であり、自身の適正を見極め、ようやく短歌の創作に集中してからは、あっという間のめざましい成功だった。キーン氏は、「啄木の散文の基本的な構造は、時間の推移がもたらす変化を捉えることにあり、……」と指摘しているが、その前提は、彼の生の時間のこの例外的な濃密さにあるのかもしれない。

 他方、シュミットのような厳めしい政治学者に言及したのは、啄木に、個人と国家との緊張関係を肌身で感じ取り、表現し得るような鋭敏な政治感覚があったからである。彼の批評的知性が、現実を、より実効的な因果適合性に基づいて解釈し、政治行動へと向かわしめる可能性があったのかどうか。『A LETTER FROM PRISON』で、「無政府共産党」という語義矛盾を揶揄する「法学士」に反発する彼であってみれば、金田一の伝える「社会主義的帝国主義」という言葉も、啄木本人のものだったのではないか。
 女を装ってファンレターを送ってきた男に騙されたエピソードなど、本書はユーモアにも事欠かない。キーン氏の著作の愛読者は、それを、例によって、いかにも淡々と、客観的に記述しながら、その実、にっこり微笑んでいたであろう、著者の執筆中の表情も思い浮かべるに違いない。
 なるほど、キーン氏の嘆く通り、「多くの若い日本人」は、今や啄木でさえ読まなくなっている。しかし、「啄木の絶大な人気が復活する機会があるとしたら、それは人間が変化を求める時である。」という言葉を信じるなら、それはまさに今日であり、本書がその最良の導き手となることは間違いない。  

 (「新潮」2016年4月号)


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