地震とリンゴ / 2020年1月23日

 阪神淡路大震災で、大きな本棚の下敷きになりましたが、今日も何事もなかったかのように生きています。

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 みなさん、どうもこんにちはこんばんはおはようございます、はじめましての方ははじめまして。『あるみかんのうえにあるみかん。』というふざけた名前のホームページ&個人サークルをやっている、ひらの みふみと申します。生まれも育ちも兵庫県民。そして、1995年1月17日もばっちり神戸市民でした。当時は小学生。そんなに身体が小さいわけでも大きいわけでもなく、どちらかと言うとひょろひょろ体型。布団越しに本棚の下敷きになったものの、どういう訳かその本棚を押しのけて布団の外に這い出たのでした。よくあの本棚の下から這い出たなぁと後々不思議に思うのですが。火事場の馬鹿力と言いますが、それに近い状態だったのかもしれません。

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 確か地震が発生してから数日経った、あんまり天気の良くなかった日。その時最も復旧していた阪神電車の、最も神戸側の駅だった甲子園駅まで家族で歩いていきました。たぶん甲子園まで、12、13kmくらい。甲子園で電車に乗って、大阪の親戚の家に避難するためです。時々小雨が降る中、崩れた建物ばかりの街、倒れた鳥居やつぶれた家々の間を横目に見つつ、荷物を持ってえっちらおっちら。小さい頃から何度か甲子園には阪神の野球を見に行っていましたが、電車で行くようなところにまさか歩いていくとは。
 ここを歩いたな、ここを通った時にはこの辺りの建物が崩れていたな、というのは家を出発してから数kmまでのところは案外覚えているのですが、後半はあまり覚えていません。ただただ無心に歩いていたのでしょうか。重い、しんどい、疲れた、でも歩かないといけない。もしかすると駄々をこねていたのかもしれませんが、とりあえず覚えていない。それぐらい、ただただ歩くこと、歩くこと、歩くことだけに一生懸命だったのかもしれません。

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 そんな中、なぜだかどうしてか。途中、ある小さな川があり、橋のそばにはその町の公民館。そしてその橋の上でボランティアの方々がリンゴを配っていました。
 公民館の中は人がいっぱいで、その中に入った覚えはないのですが、そこで食べたリンゴがものすごく甘かったこと、おいしかったこと。無心で食べた記憶があります。おいしくて。
 本当に困っている時に食べさせてもらえるものって本当においしいんだなぁ、と未だに思い返すのです。産地がどこだったのか、誰があのリンゴを配っていたのかはわかりませんが、「これまで食べたリンゴの中で一番おいしかったリンゴは?」なんて聞かれたら、間違いなくあの時、橋の上でもらったリンゴだと答えるでしょう。それぐらい甘くておいしいリンゴでした。
 他のことはあんまり覚えていないのです。何kmも歩いた、しんどかった、でもリンゴはおいしかった。リンゴはおいしかった。天気は良くなかったけれど。とりあえずリンゴはおいしかった。

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 あの震災を経験した人間として、改めて一つ思うことは。「1月17日とか3月11日とか、大きな地震があった日には、周りの人と地震の話をしてほしいなぁ」と思っています。変な言い方ですが、どの地震でもOK。別に1月17日に熊本地震の話をしてもいいし、3月11日に北海道の厚真町の地震の話をしてもいいし。ニュースでどこそこの地震から何年が経ちました、というニュースを見たら、周りの人と自分が体験した地震の話、怖かった話、つらかった話、なんでもいいです、そういう話を周りの人としてもらえたらなぁ、と思います。
 風化を防ぐには、なんてどこのニュースでも言っていますが、残念だけど風化は少しずつでも必ずするものだと思っています。だけど、地震は怖い、そんな怖い地震のために今自分がどうしたらいいのか、という思いは、同じ思いをずーっと持ち続けることは大変だけど、周りの人の体験なんかを聴いて、思いをリニューアルすることはできるのでは、と思っています。自分自身、阪神淡路ではそれは酷い目に遭いましたが、その他の地震でも人それぞれにいろんな体験をし、感じ方をしている訳で、自分とは違う地震に対する思いを持っています。(それこそ大阪府北部地震の時には、たまたまその日は自分は出張で仙台にいたため、ビジネスホテルの朝食のレストランで流れていたニュースを見て、初めて地震があったことを知った、なんてこともありました。その後、関西の中の人同士では携帯電話の通信制限がかかってしまったので、会社の方々、協力会社の方々、みんなして仙台に電話をかけてきて、何時間かコールセンター状態になっていましたが。) 他の人から地震の体験談を聞いて、自分の思いをリニューアルしていく、そして地震に対してちゃんと恐れた上で、いざ、再び地震に遭ってしまった時に、できる限りのことをやれればいいのかな、と思うのです。死なないためにも。
 未だに本当に不思議なのです。あのものすごい揺れで、ものすごい状況で、自分はたまたま冬の分厚い布団に守られたこともあって本棚の直撃を免れ(布団がクッション代わりになった。あれが夏に起きていたらと思うと……)、どうにかこうにかあの本棚から逃げ出した、一方、全く同じ時にすごい数の人が亡くなられていた。それが地震から何年か経ってから、ふと思い返した時に急に怖くなり、涙が止まらなくなったことがありました。だけど、最後には死ななければいいのだと。死ななければ、その先なんとか生きていけるんだと。今ではそんな風に考えています。リンゴをかじりながら。

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 きっと、これからも。そしてそして、そうして優しくしてもらったことって、いつまで経っても忘れないんだな、と思いながら、リンゴを食べる度にほんの少し考えるのでした。

ひらの みふみ 拝

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