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中老の男(71)が言った。それは、正義の問題なのだと。

泣きはらしている僕に、中老の男(71)はこう言った。
「それは、正義の問題なのだ」と。

またひとり、友人がこの世を去ってしまった。突然の知らせだった。メッセンジャーで届いたあっけないくらいのテキスト。僕はその人がこんな形で去るとは思ってなかった。

僕はその時から数日間、その事実が受け止めきれずに泣きはらしながら、なんだか当たり前のことに気づいて納得してしまった。

人は、死ぬのだ。
そして、自分もいつか死ぬのだ。

今、僕の周りにいる人たちも、知らない人たちも全ての人が、いつかはこの世界を去ってしまう儚い存在なのだと思った。

そんなの当たり前のことだし、父も祖父母も何人かの友人も失って、僕は分かったつもりになってたけど、何も分かってなかった。

みんないなくなるなんて、どれだけ人は寂しくて、孤独な存在なんだろうと思うと、呆然としてしまった。

その時、中老の男がいつも言っている世界観を思い出した。

奴は「人生なんて、こんなものは遊びだぜ?」と本気で言っている。というか、生命そのものが遊びなのだと言い切る。それは宗教でも哲学でもなく、人類愛や生命愛とでも言うような価値観だった。

中老が語る世界観を僕なりにまとめてみるとこんな感じになる。

数十万年と言う人類の時間の中で、一人一人の命は一瞬の暗闇の中の光なもので、その幻のような瞬間に僕らはたまたま出会って言葉を交わしてる。もともとはわたしたちはひとつの大きな種であり、ひとりひとりが人類という70億種類の可能性を追求しているその途中なのだ。

だから広い意味で、あなたはわたしであり、わたしはあなたなのだ。すぐに消えてしまう僕らという存在。その孤独から救うのは、そこだ。互いに影響を与え合うこと。そうやって次の人に「何か」を渡すのだ。その「何か」が何なのかは僕には分からない。だけど僕らは孤独だけど、「何か」が次に繋がる限り、孤独ではない。

そんなことを想像しながら、僕の中にあるイメージが広がった。

暗闇の競技場の中で、ものすごい勢いで生命のバトンを渡すゲームをしている僕たち人類がいた。

「気づき」と言う名のボールなのかバトンなのか分からない「何か」を地面に落とさないように、次々とパスしていく。
でもそのプレイヤーたちもすくに消えてしまう。みんなかなりの名選手なのに、一瞬活躍しては消えてしまう。パスし返そうと振り向いたその瞬間、もうその人はいない。それくらいに我々は儚い陽炎のような存在だ。

それでも試合はずっと続いている。だれもその試合を俯瞰してみるものはいない。観客すらいない。でもそれがゲームであると自覚もせずに、僕ら人類は必死に「何か」を地面に落とさないように、消えないように、パスし続ける。必死に。真剣に。

僕の頭の中に、そんな切ない光景が広がった。

気がつくと僕は、中老の男とのZoom画面を前に泣いていた。男はこの孤独と必ず向き合っているはずだと思って、声を震わせながらこの孤独とどう向き合えばいいのかを正直に尋ねた。すると中老は躊躇なく語り始めた。

「俺はさ、お前よりも30年長く生きてるから、お前よりももっともっとたくさんの別れをしてきたよ。ある意味毎日が別ればっかだぜ?悲しいぜ?」

俺は、死んだあいつらと一緒に講義をしてると思ってるよ。俺は、今でもあいつらと付き合ってる。生きるってことは、死んだ人ともちゃんと付き合うってことだ。例えば、死んだ人とも仕事はできるんだぜ?

…なぁ平野、これは正義の問題だ。

男は画面の向こうから僕の目を見て、そう言った。

…正義の問題だって?
この男は、命のやりとりのことを言ってるのか?なんてことだ。そこから先は、涙でぼやけて声も出せなかった。

今、僕の手の中に、何かがある。見えないものを落とさないように抱えている。その手応えだけがあり、それを僕は大切に握りしめている。これから先、この「何か」をどうしたらいいだろう。パスしたい。分け与えたい。そして誰かから別のものを受け取り、別のものに変えて返したい。

僕はそれを表現したい。なぜかは分からない。でもこの手の中にあるものを、このまま持ち続けるわけにはいかないのだ。どうしても分かち合いたくてたまらない。それが何なのかも分からないし、やり方も分からないのに、僕はそれを渇望している。この気持ちを止めることはできない。


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