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この国を覆うもの

昨日、自分のことではないけど怒りが収まらないことがあった。話としては短い。

友人の働き先で、彼がつくった書類が年配の上長によって目の前で破り捨てられたという、ただそれだけ。本人は少し笑いながら「私に対していつもそうなんです。少し辛くて」と言っていた。悲しそうだった。

「少し辛い」じゃないだろうって思った。

昭和ならよくある光景で僕も「普通普通」って思っただろうし、かつて僕も部下にそういうことをしたこともあったかも知れない。そして僕もされたことはある。3年くらい前、何週間もかけてつくった企画書を床に投げ捨てられたこともある。さらに踏みつけられた。悲しかったけど社会はそういう厳しい場所なのだと思っていた。

でも今、僕の周りにそんな人はいない。ましてはコロナの後、多くの人のマインドセットが変わっており、2年前なら「へー、まあ仕事なんてそんなもん」だったけど、今は「ありえない!人として酷いしそんな仕事場がなぜ存在するのか?」と思う。この2年近くあまり積極的に人と会えず、家で考える時間がたくさんできたことで、これまで気にならなかった世の中のおかしさや矛盾や歪みが見えやすくなっている。

が、日本の田舎はまだ相変わらず昭和だ。さすがに女子社員にお茶汲みさせてお尻を触ってセクハラをする上司はいないかもしれない。でも目の前でその人が頑張った書類をビリビリに破り捨ててゴミ箱に捨てる #おじさんの世界 はごくありふれたものとして「社会的に許されている」のだ。政治の世界でも許されまくりだ。学校もひどいと聞く。

ちなみに「彼」と書いたが、この友人は女性である。
育児もしつつ、妻役もこなし、働きにも出る。そして人前でこうしたことをされて、悲しそうに笑ってなんでもなかったことのようにするしかない人たちが、果たしてどれほどいるのか想像するだけで気が遠くなる。と言いつつ、僕も家族や同僚に気付けばパワハラ的に傷つけてしまっている昭和のおじさんの部分を抱えている。だから僕は彼女に共感しつつも、いつでも加害者側になれてしまう自分もいる。

ちなみに彼女は違うが、ある女性ならこうしたパワハラのストレスを帰宅して子どもにぶつけるかもしれない(男性でも同じことが起きる)。そして心に傷を負った子どもが親になり同じ事をするかもしれない。小さな話のようだけど、全然小さくない。これが負の連鎖で、連鎖が大きくなると事件になる。事件にならなくてもあらゆる人たちに負の連鎖が広まり、国全体に希望がなくなる。それが、今の日本そのものではないのか。だからこれは取るにならないようなありふれた小さな話だけど、決して軽くみてはいけない。どんなに地味でも、「人が人に何をした」というところから直さないといけない。

こうした日々の小さな異常性や暴力をなくすためにも、全ての仕事と学びと遊びと暮らしがプロジェクトベースにならないといけない。「組織の現状維持が目的化してる」からこういうことが許されるのだと思う。20年も課長をやっていて好き勝手に振る舞えるなら、そりゃその人が暴君でも許されちゃうし、異常さに誰も気づかないだろう。だからプロジェクトベースなのだ。目的があって役割がプロジェクトごとに変われば、硬直した特定の組織だけでしか通じない振る舞いや考えは撲滅される。これはいくら啓蒙しても組織の体質から変えないといけないから、テレポートで具体的に変えていく。プロジェクトベースになれば、「ただそこにいて威張っているだけの人」は要らなくなる。するとその人は自ら変わらなくてはいけなくなるから、そこで排除をせず自浄を促せたら理想だなと思う。

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