中老の男(71)から、「テレポートの新しさを全面に出すのではなく、奥ゆかしく本当の利用者を増やせ」と言われたことについて。
中老の男(71)から、「テレポートの新しさを全面に出すのではなく、奥ゆかしく本当の利用者を増やせ」と言われた。
中老は短い言葉で本質を突く天才だと思う(これは本人の10代からの訓練の賜物)。でもそのおかげで何度脇腹を刺されて血を吐いたことか(笑)。こわいこわい。
さて、せっかくなのでこのたった1行を分解してみるとこういうことになる(のだと思う)。
まずテレポートは新しいかもしれないけど、新しいことを求めてる人たちを集めると、それは「新しいこと」が主になって、結果的にみんなで「新しいものに使われたい」という集団になってしまう。だから「新しい」を売りにすると「新しもの好き」は集まって客は集まるかも知れないが、仲間は集まらないぞと。だから新しいはどちらかと言うとマイナスなのだ。
そして「本当の利用者」というのは、まずセルモーターのことである。ツールに使われたいのではなく、やりたいこと、やらねばならないという使命感や表現欲求があって、自分ごととしてテレポートとは関係なく、何かの課題を持っており情熱があって「この指とまれ!」をする役割としてこの世界に今存在している人。この人のためにテレポートはあるのだ。そして「この指とまれ!」に「やるやる!」と集まるセルモーターの仲間となる人たち。ここまでがテレポートの「本当の利用者」である。
ただ新しいシステムを消費したい、使われてみたい、平野をただ何となく応援したい(夢を見せてほしい)は、本当の利用者ではない。テレポートは、セルモーターとその仲間のためにあるのだから。
そしてそれを「奥ゆかしく」やっていくのだと言っている。奥ゆかしくとは、謙虚さと誠実さを持ってその人たちと対峙していく、付き合っていくということなのだと思う。客としてではなく、仲間として。
上からではなく下から。外側からではなく内側から。遠くからではなく近くから。全体からではなく個人から。制度からではなく思いから。アルゴリズムからではなくライブから。組織からではなくバンドから。権威からではなく親しみから。多数からではなく少数から。(『参加型社会宣言』より引用)
このような、地味で極めて真面目に物事に対して取り組んでいき、一対一の関係を構築していく。そこには奥ゆかしさがあるべきなのだと。「べき」というか、自然と奥ゆかしさが立ち起こってくるような己との向き合い方をしているか常に自分に問うたほうがいいよと言うことなのかも知れない。
なぜならば「作品」というものは自分の人格の延長線上にあるから、テレポートが僕の作品であるとするならば、僕に奥ゆかしさがなく邪神を持てば、やはり邪神のある人が集まるし、そこは誤魔化しが効かないのだ。作品を通じてひとりひとりと向き合う時、そこに驕りや過信があってはならないのだ。
…まあ、一言テキストが送られてきただけなので僕の理解が全て正しいかは分からないけど、おそらく中老はそういうようなことを言っているのだと思う。中老よ、言いたいこと圧縮しすぎや(笑)。
それが、昨日コメント欄に書き込まれた「テレポートの新しさを全面に出すのではなく、奥ゆかしく本当の利用者を増やせ」という1行である。
大切なことは小さな声で語られるし、聞き逃してしまいがちだが、これから先は繊細さが必要な時代に入る。ゼロイチやコミュニティに関わる方の少しでも参考になればと、中老解説をしてみました。
そんなわけで、テレポート、ご期待ください。
いや、正しく言うと、テレポートはセルモーターであるあなたのために開発しています。テレポを使い倒して、あなたとその仲間のために素晴らしいプロジェクトをどんどん生み出して、あなたの近しい人との関係性を構築して、学ぶ働く遊の境界線のない世界をつくっていってください。僕やテレポに対してワクワクせず、自分が持つ可能性に期待し、ワクワクしてください。
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