そのためにコードを書き続けるのだ
この数日、テレポ共同代表の白川くんの底知れなさを知って何度も震えた。誰かに対してこんなに本気で驚くこともなかなかない。
僕らは、突然あることをキッカケに、ものづくりと理念について真剣に考えなければならないシチュエーションになり、朝と夜も昼も(ただですら他のトラブルもあったので忙しかったけど)テレポ創業メンバーで話し合い、考え続けた。余裕はゼロの、とんでもなくタフな話し合いだった。今もやることが山積みだけどベッドから起き上がれず気晴らしにこれを書いている。
僕は彼と何年も付き合ってきたので、彼のことはかなり分かってるつもりだったけど、そんなこと全然なかった。もちろん僕の中の彼という人格から大きく外れてはいないのだけど、掘れば掘るほど彼の真剣さはより濃くなっていく一方で、そこに底知れぬ凄さを感じた。それは素晴らしいことなのだけど、恐ろしいと感じるほどの真剣さだった。そんな真剣さでよく世間を渡ってこれたなぁと思った。
普通人はどこかで底が知れるものだけど、彼にはそれがなかった。真剣すぎて妥協というものを知らなかった。お前、今までどうやって生きてたんだよ?
プログラマーだと思っていた彼は、妥協をしない1000%のクリエイターだった。これまでは妥協していたかも知れないけど、少なくともテレポでは彼が「これは譲れない」と思ったことは1ミリも譲らないことが分かった(もちろん譲れると思ったことは譲ると思うから何もかも譲らない奴ということではなく柔軟な部分もあるけど)。
そしてそれはかつての僕の立場だったはずなのに、僕は今では彼のやりたいことを真剣にとことん理解しようとし、それを形にすることを全面的に受け入れている。僕なんて二の次だと、僕自身が思っている。僕は我儘なクリエイターとして20代からずっとチヤホヤされてきた。なのに今は白川の尻に敷かれている時も多い。なぜそんなことが起きたのか。
それは、僕は自分が作りたいもののために人を無理矢理説得して動かそうとするこれまでの自分に耐えきれなくなったからだ。いくつかの失敗をして、いくつかの逆の立場を経験し、周りから誰もいなくなり、もしくは僕が排除をして、自分の無力さを知り、変わりたいと思った。変わるためならこの身を焼かれてもいい、変われないなら自分は自分ではないとまで思い詰めることがあったからだ。
綺麗事でも何でもなく、強い負の衝動が僕の中にあり、そこを乗り越えたくてたまらないという中で、「こいつが創りたいと思うものがある程度形になるまで援護し続ける」と思える奴(つまり白川)とたまたま出会えたということが、「テレポートという形」をとっているだけなのだと気づいた。
彼は彼でおそらく何かの生きる上で妥協できない課題を抱えており、6年近い付き合いの中で彼の中の何かが僕となら全力で行けると思ったのだろう。仕事としてのテレポの事業や戦略がどうといったこととは全く別のレイヤーで、何かの因果のようなものが噛み合っていて、それがお互いを突き動かしているのだということが分かった。
話し合いの最後は「テレポなんて本質的にはどうでもいい」だった。人と人との関係性を見直して、幸せを増やしたい。そのために聞き心地の良いスローガンを唱えるだけではなく、それを実現する機能を実装し続けること。それができないのなら俺たちは別れたほうがいい。口に出さずとも、本当にそのためにコードを書き続けること。自分と相手の間の幸福度が上がるためにプログラミングし続けるのだ。そのためにビジネスも含めたあらゆる手段を講じて、世界中の人々にそのためのツールを渡す。そのために集まっているのが結果的にテレポート社なのだ、ということを確認し、それだけが全員で守ることであり、それ以外は全く本質ではないのだということが、数日に渡った真剣勝負のシンプルな結論だった。
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