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AIの進化は切実な人生の課題を僕らに投げかけることになる。

今後、何度も同じことを書くと思うんだけど、AIによるテクノロジーの進化は凄まじく、人間が「これをやりたい」と思いつく創造性よりも、「テクノロジーでできること」が増えて簡単になっていくスピードの方が速くなる。

つまり、「テクノロジーでやれることは無限にあるのに人間側の発想がそれに追いつかない」という状態になる。

すると人類はどうなるかと言うと、「何でもできるのに何をしたいのか分からない」という状態になる。で、とりあえずこれまでの「癖」で様々な人がビジネスの延長線上で「思いつくこと」をやってみて、それはきっと大成功を収めるんだけど、「だからって何の意味があったんだっけ」ってことになる。

なぜなら、ビジネスゲームの時代は終わっちゃうから。ある程度最適化されると、もうだんだんオーバークオリティになってくる。「これ意味あるんだっけ」「もうこれで良くない?」って気持ちになってくる。

で、どうなるのか。
そこだ。そこがものすごく重要だ。

「楽しい」とか「充実してる」とかを求めるようになる。

でもそれは自分の内発的なところからしか生まれてこない。外で買ってきて身につけたり、出来上がったものを持ってきたりしても、その心の部分は満たされないのだ。

だから、創造性を持ったひとたちが大量に必要になる。創造性は、これからの時代を生き抜く力なんかじゃないと僕は思う。テクノロジーのほうがすごくなっちゃうから、「なんかしたい」「これしようよ」と,ある意味無茶難題で,かつ面白いことを言い出せる人がいないと、これからの人生が楽しくないし充実しないし、何したらいいか分かんなくて困っちゃうのだ。

これは本当に切実で真面目な話なのだ。
これまでの時代は「できないことだらけ」だったけど、「何でもできちゃうよ」の時代においては「やれちゃうけど何したらいいんだろう?」ってことになる。そしたらもう、内面を楽しむしかないよ。

だから、小説を書くとか、音楽をつくるとか、村をつくる、宇宙にいく、身近な環境を守るとか、好きな人と暮らすとか、「私はこれをやりたいと思ったんだ」ってことこそが、一番大切なことになる。

大袈裟に聞こえるかもしれないけど、それが幸せかどうかを決めることになると思う。成功か失敗かではなく、やりたいことがあるかどうか自体がものすごい価値を持ち,その人の人生を助けることになる。

僕らはその芽を摘むようなことから子どもたちを遠ざけるべきだし、大人もまた同じ課題を持つ時代を生きることになる。子どもよりも大人が変わる方が何倍も大変だ。でもその変化から逃げ切ることはできない。だから子どもだけに期待をかけている場合ではなく、年齢関係なくAIと共存する新時代をつくるというニューゲームがもうすぐ始まるのだと思う。不安だけど、腹括っちまえばこんなワクワクする話はないって!

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