見出し画像

僕に見えている景色

意識なる謎のものがある。

それは、いつのまにかわたしという赤ん坊の生命の中に生まれて、知覚を使い徐々に世界を認識し構築していく。自分で気づいたときには、もう、そこにある。そしてある時それは肉体の終わりと共に消えてなくなる。自分でその終わりを見届けることはできない。

誰からも見えないのに、誰からも触れることができないのに、なぜこんなにも壮大で儚いものが、ここにあるのだろうか?

私たちひとりひとりの脳と神経と血液の中に「それぞれの世界」が広がっている。これは本当に驚くべきことだけど、みんなが知るこの壮大な宇宙は、地球は、社会は、全ての人が自分の力でそれぞれの脳内にゼロから生み出し、構築し、認知したものなのだ。

霧や靄が何かをぼんやりと形作るように、暗黒の中にポッカリと「わたしの意識」が浮かんでいる。

そしてそれぞれの人が、その頭の中で創りあげたそれぞれの宇宙の中で発見したものを、文字や歌や絵で表現する。煉瓦を積み建物ができるように、その痕跡が目の前に広がる。こうした複雑な意識空間の中で、私たちはそれぞれの時間をそれぞれに生きている。

僕らは何のために生きているのだろう。

この地球はミクロレベルで見るとあらゆる生命や細菌でパンパンになっている。真っ暗闇の宇宙の中で、地球という小さな青い水玉の中でお互いの命が蠢き、それぞれの時間を交換している。おそらくそのことが全てなのだ。

生まれたことに意味はないし、この世界そのものに客観的な意味はない。でもその中で僕らはどうにか意味を見い出そうとする。物語の力で自分の世界をどうにか掴もうと毎日毎日試行錯誤している。それが、人生。

私たちの「意識」はそれぞれの肉体と共に生まれては消えていくけど、その無数の意識たちの活動は脈々と続いている生命の大きく長い長い痕跡を残している。その大河に残された過去を僕らは振り返り、その広大な景色を呆然と眺めて、自分はなぜここにいるのだろう、自分はどう生きれば良いのだろうと、ただひたすらに立ち尽くし、グルグルと思考している。

中老の男(72)は言う。
俺の死は本当の死じゃない。俺のことを覚えている人がいなくなったときが本当の死なのだと。だから言葉を残すのだ。自分がこの世界で知りえたことを他の人に「報告」するのだ、と。残された時間でもっともっと報告しなければ、と。
だから私たちはほかの誰かにとっての可能性であり、あなたは私の可能性でもあるのだ。そこに優劣はない。善悪もない。あの人はもしかしたら私だったかも知れない。私もあの人だったかも知れないのだ。そして誰もが皆、人類という可能性を広げるために挑戦している仲間なのだ、と彼は言う。

僕らはお互いの意識同士を直接繋げてテレパシーのように理解し合うことはできない。だけど誰かが創作した作品に触れることによって、他者の意識に間接的に触れ、思いを馳せることができる。それはか細く、しっかりと見つめ、耳を澄まさないと気づくことはできない。でも、その作品を通じたか細い意識たちと他者の存在だけがわたしたちの魂を孤独から救ってくれるのも事実だ。

だから目の前を見回す。よく見る。もっと遠くを見る。手のひらを見つめる。相手の瞳の奥を見る。唇の細やかな変化を読む。小さな音、囁きや、声なき声に耳を傾ける。そして触れる。嗅ぐ。人だけではなく、動物や草木や、糸島の大地の起伏にすら思いを馳せ、愛でる。

そこに、あらゆるアクターたちの痕跡を視る。
そして、想像する。

例えば、神保町の古本街。膨大な意識と思考の痕跡がそこにある。音楽にすること、文章にすること、絵画にすること、さまざまな形で残し、やがて静かに色褪せ、消滅していく。
それでも、短く儚いそれぞれの人の意識が生み出した何かが、長い長い人類の痕跡として淡くかすかに残っていく。その長き河の終わり、海の始まりの岬に僕らは風に吹かれながら、呆然と立ちつくしている。

この意識の冒険は、常に技術の進化とともにあった。この意識が消える前に、次の人に伝えたい。文字に残しそれを次の人が読むことで、私たちはたくさんの人の心の中を知り、時空を超えて、他の人の人生を疑似体験できるようになり、何人もの人生を追体験できるようになった。これが文字と印刷の発明だ。

私たちはこれからさらに一人一人が繋がって、何かを頻繁に高速に交換し、報告し合い、人類という生命の可能性を広げていくことになるだろう。その進化は肉眼で捉えられるものだけではない。これまでは孤独な1人の意識の旅だったけど、これからは日々の瞬間に起こったこと、気づいたことを報告しあうことで、私たちの意識そのものが変容していくだろう。

いつのまにか意識が生まれ、消えていくことには変わりない。それでもこれまでよりも意識を旅する人たちが悲しみよりも喜びを得られるよう、孤独よりも繋がりを感じられるよう、強く強く願いを込めたい。

なぜなら私たちは、血は遠く離れていても、常に好奇心に突き動かされつづける、人類というひとつの眷族なのだから。

#中老の男  #糸島エンカウンター

ここから先は

0字
座員のコンテンツ・スキルを高め、見たこともない世界へ連れていきます。

さまざまな私塾がネットワークされたYAMI大学。橘川幸夫が学部長の「深呼吸学部」もその一つです。深呼吸学部の下の特別学科の一つが「旅芸人の…

甘党なのでサポートいただいたらその都度何か美味しいもの食べてレポートします!