「消費がヤバい理由」を3分で説明します。

「モノからコトへの新しい消費へ」という言葉を見つけたんだけど、そもそも<消費がヤバい>ということにそろそろ気づかないと…。

◎消費がヤバい理由(1)

消費には終わりがない。いつまでも永遠に消費し続ける。モノでもコトでもそこに終わりはない。なぜなら我々は今、情報を消費してるから。新しいiPhoneを買っているのではなく、「新機種を買った」という情報を消費している。だから永遠に終わりはこないし、心が満たされることはない。

◎消費がヤバい理由(2)

その終わりがない仕組みを利用して、この消費社会のシステムが作られた。どんどんお金が回るので、あらゆるものは情報に置き換えられて消費の対象になった。だからわたしたちの日常は広告に満ちあふれている。24時間広告に囲まれて生きている我々のヤバさはそこにある。

◎消費がヤバい理由(3)

単純労働が機械化によって必要なくなり人類には暇ができた。暇ができたので教育を受ける機会が与えられ(高度な労働者になるための訓練を学校で受けて)、消費行動に人類は夢中になった(夢中にさせられた)。

そして今、AIやロボティクスなどの社会全体の最適化によって、単純労働どころか知的労働でも不要になり、人類は膨大な暇と向き合わないといけなくなった。

物理的な消費と、精神的な消費。

今、みんなの心が壊れ始め、苦しみ始めている。
政治だけではなくわたしたちの精神状態もヤバい。いろんな限界がきて世界は破綻しつつある。それは「無駄にいろんなものを消費すると環境にとって良くないよね」ってレベルじゃない。

たしかに物理的に消費は気候変動に発展している可能性があり、環境を死に至らしめているかも知れない。

一方で、情報的な消費はわたしたちの精神、心を死に至らしめている。目に見えないだけに、ヤバすぎる。闇が深い。

そこで、現代に生きる僕らが精神的にやるべきことは、それぞれの人が消費からの脱却することだ。これは間違いないと思う。この社会は消費システムと表裏一体なので、社会を脱消費させることは難しい。よって、社会の変化に期待することはできない。よって、僕ら個人のそれぞれが「消費ヤバい」ってことに気づいて、僕らそれぞれが消費とは違うところに心を向けるしかない。

はじめの一歩は、「消費ヤバい」と気づくことにある。

…ということでそこら辺は数年前に出た本「暇と退屈の倫理学」に詳しく書かれてるけど、その本を紹介したコラムから一部を抜粋してみよう。

暇と退屈の倫理学 増補新版 (國分 功一郎)
https://www.amazon.co.jp/dp/4778314379/
僕たちは人類がやっとのことで積み上げてきた豊かな消費社会に生きている。労働時間に縛られることも減った。暇も増え、映画にゲーセンに旅行にネットにテレビに……多様化した娯楽を楽しむことが出来る。にもかかわらず退屈だ。なぜか。
「余裕を得た社会、暇を得た社会でいったい私たちは日々の労働以外のどこに向かっていくのだろう?」と國分は問いかける。戦争や貧困や不平等といった大きな課題があれば、それを解決しようとする崇高な目的が「生きる意味」を与えてくれる。しかし、ある程度に豊かな社会には、そういった意味での課題はない。かわりに逃れようにも逃れられない「なんとなくの不幸」があり、その不幸の源が「退屈」である。人はただ「毎日同じことが繰り返されることに耐えられない」のだ。
https://school.genron.co.jp/works/critics/2017/students/shibukawa0213/2737/

ということで、これをプラスに転じる方法は、こうだ。

まず「消費ヤバい」から始めて、「好きなこと」を見つける。
そして「やりたいことを、やりたいようにやるのだ」という気持ちに向かっていく。バカみたいに単純だけど、多分、これしかない!

そう考えると、「モノからコトへの新しい消費へ」という言葉がヤバいということにお気づき頂けましたでしょうか。

次回もなんだか難しいことを3分で説明してみるね。またね!

(執筆時間:14分)

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