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あの人のためだけにコードを書くということ。

ソフトウェア開発者として再出発して変わったこと。

僕は1998年にVJソフトのモーションダイブというソフトを当時のイメージダイブと組んで出して以来、2015年までデジタルステージという自分の会社でソフトウェア開発をしてきました。もともと音楽や映画や漫画を作りたいと思い、音楽なら坂本龍一、漫画なら岡崎京子が10〜20代の僕に影響を与え続けた。でもどれも僕は得意じゃなくて、だったら2時間の映画をつくるより、滞在時間が長いソフトウェアで、映画や演劇や音楽や漫画に負けないものをつくろうと思い立った。それが「クリエイターに武器を渡す」ということだった。かつてのエレキギターのようなものが、モーションダイブだった。例えるなら、僕らがつくるソフトはクリエイターにスポットライトとギターを与えて、ユーザーがユーザーのフォロワーに対して何かを仕掛けられることが、デジステのスタイルであり、価値だったように思う。

やがて世界中で使われるようになり、僕は自分たちであるひとつのカルチャーを生み出したのだなあ、と自信を持ち、その後、何作かソフトウェアを「作品」だと思ってリリースし続けた。フォロワーが増えて、最後につくっていたBiNDは日本のウェブサイト制作ツールではシェア2位まで行った。ライバルとの会社の規模の差は100倍以上あっただろう。小さくてもアイディアがあればそこまでいけるんだ、というのも嬉しかった。

そのピークの時に僕はデジステをやめてしまうんだけど、そこから試行錯誤の自分探しの迷走の日々が始まる。長くなるから一気に端折るけど、今僕が反省していることは、「一人でなんでもできると思ってしまったこと」「自分のアイディアを具現化したらすごいことになると錯覚していたこと」だ。で、一番大切な気づきは、後者。それを説明したい。

いろんなアイディアを出すのは得意ではあるけど、「おれのアイディアはすごい面白い」って自分でも思ってたし、そう思ってくれてる人も多かったと思う。現に応援してくれる人も多かった。それでうまくいけばよかったけど、いろんな理由があって今のところうまく行ってない。これは運やタイミングもあるけど、僕が力不足だった。タイムマシンがあればやれるかも知れないけど。

僕はハワイでのこの数年間、新しいことにチャレンジしたくて、ソフトウェアではないジャンルで挑戦していた。でも今では経済的にも誰かを雇う余力もなくなり、自分への投資も出来なくなった。コロナ禍で僕が大得意な配信が世界的に大ブレイクしたとき、僕はそこに対して思いつくことはたくさんあったので「今こそソフトウェアの世界に帰ろう!そしたら大活躍できる!」と思った。ほとんど鬱になりかけていた僕は、復活のチャンスだと思った。でも事情があって身動きが取れなかった。悔しくて仕方なかった。目の前に役に立てることがたくさんあり、自分が再び輝けるチャンスが目の前にあるのに…と落ち込んだ。
3月からつい最近まで外面とは別に、ものすごい暗黒時代だった。だから紅茶やジャムづくりで平静を保ったわけだけど。

でも今となっては、それで良かったのかもしれない。

今の僕は様々な制約があって、金欠なので誰かを仕事として依頼や雇用することもできず、できないことだらけだから、友だちとして「なんかお互いにやりたいってものがあったらつくろうか」と言ってくれる数人と、個別に友だちとしてポロポロとやりとりして、ちょっとプロトタイプをつくってみたり、ブレストをやったりし始めた。
お互いに上下関係が一切ないし、本当にお互いがやりたくないと一瞬で消滅する。僕が作りたいものを押し付けるとそこでしらけた空気になって終わる。相手と共に、それぞれが「お?」と思った微かな「これいいも?」の予感をすり合わせていく。時間がかかるし地味。華々しいスタートアップとは真逆。そんなやり方をしたのは人生初だった。熱中の浅田さんは僕のためにリモートで中継オペレーションの全てができるオリジナルアプリをこっそり開発してくれた。自分のために書かれたソフトウェアを受け取るのは初めての経験だった。

でもそれが良かった。本当に良かった。

なぜなら、こうして試行錯誤しながら分かったことは「最高に面白いのは、自分のアイディアを具現化するのではなく、リアルに目の前に存在する人のためにコードを書く」ということだったからだ。

これからの新しい世界では、「ユーザー」や「ターゲット」なんて存在しない。

ソフトウェア開発において、その企画、その機能ひとつひとつに対して、今の僕はそれを必要としているであろう人の氏名と人柄をプログラマーに説明できる。「この機能は田中さんが喜ぶはずなんだ」と言えることを目指している。僕から出てくるアイディアじゃなく、目の前にいる好きな人を見つけたら、その人とよく話し合い、継続的な関わり合いを持ち、自分の中にその人を内包することによって、その人の代わりに必要な道具を僕が見つけ出してつくりだすこと。

それを僕は「あてがき」と呼んでいる。

今目指しているのは、完全なるあてがきだ。
アキくんのためにつくれば、世界中のアキくん的な人は「これはおれが求めていたものだ!」と思ってくれるはず。ていうか、ただ目の前のアキくんが喜んで、役立ってくれればいい。アキくんが「ねえ平野くん、これ、、まじで最高だよ!開発してくれてありがとう!」って言ってくれたらいい。それだけを目指してつくりたい。例えばそういうこと。

じゃあそれでお金になるんだろうか?
ビジネスとして成立するのだろうか?

まあ、最初はならないだろうなぁ。だからこんなのに投資も来るわけがない。うまく説明できないもん。ビジネスモデルがないんだから。
だから生活を切り詰めるしかない。お金で人の時間も買えないから、自分の睡眠時間を削るしかない。分かってくれる人と、それぞれの時間を持ち出してやるしかない。効率は悪い。僕も経営者だからこれがやや悪手なのは分かってる。

でも僕には見えていることがひとつある。

大村さんのためにあてがきだけしたら、喜ぶのは大村さん的な人たちだけだ。でも、飯田さん、斉藤さん、浅田さん、伊勢さん、橘川さん、野中さん、千葉さん…いや、適当に名前並べてるだけなんだけど、もしも30人のためにあてがきができたら、それはその人たちのような人たちに熱烈に使ってもらえる。それってすごいことだ。ラブ度が違う。

それで僕らが手に入れれるのは、人間関係だ。だって、その人へのラブレターみたいなもんだもん。受け取ってくれたら仲良くなれるに決まってる。下手なラブレターならゴミ箱行きで終わり。なんて分かりやすい。使い続けてくれたら、一緒に進化させていけばいい。僕がみているのはソフトユーザーとしてではなく、その人がやっているプロジェクトが成功することなんだから。そういう勝負だ。

だからそこでソフトウェア使用料なんて取ろうが取るまいがどうでもいい。ソフトを使う人を「お客さん」にせず、ともにその人たちがやりたいことを圧倒的にやりやすくするためにあてがきするのだ。売れるためではない、その人の活動のためのあてがきなのだ。そしたらその人の活動の「仲間」に僕はなれるじゃないか。

それはお金よりも大切なことでしょう?と思う。

ソフトウェアを開発することで、その人のプロジェクトやバンドや村づくりがものすごくやりやすくなったら、僕もその人たちとともに生きることができる。マネタイズは絶対に後回しだ。お金じゃ買えないものをまずは優先したほうがいい。

なぜなら、アフターコロナは「生活スタイルを見つめなおす、つくりなおす」ということなのは明らかだ。
そこでは無数のゼロイチが必要で、今までと全く違う人と人との関わり方やコミュニケーション手法が必要とされる。

…それは、あてがきからしか生まれないと思いません?ですよね?

だからこれからの僕は「目の前の人のため」に、ソフトウェアをつくる。

言い方を変えると、それが最大に筋の良い投資であり、3年後、5年後に大きな大きな実を結ぶと僕は確信してる。それは、世界中に困った時には助けてくれる友人たちができるということかもしれないし、色んな村を作ることに夢中になれる喜びかもしれない。もしかしたらマネタイズがうまくいって大金持ちにもなれるかもしれない(そしたらやれることが広がるし、お金を使って時短ができるので嬉しい)。

来れ、同志よ!(ただしお金はない!ごめん!)
もうすぐ狼煙をあげるぞ!

#新しい価値を見つける旅に出かけよう

甘党なのでサポートいただいたらその都度何か美味しいもの食べてレポートします!