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中老とタクシーと進路指導

その日、僕は日本滞在中で、新宿から一番町に移動しながら中老の男(当時70)と耳だけで一対一のZoomミーティングをしていた。

普段なら高層ビルの合間にスカッと空が広がっているはずの四谷の駅を降りると、どしゃ降りの雨だった。傘を持たない僕は淡い青グレーの街の中で屈みながらタクシーを拾おうと交差点をビチャビチャとズボンを濡らしながら渡る。

それだけでもずぶ濡れなのに、やっと見つけた黒いタクシーの赤いランプは当然ながらどれも消えており、なかなか空車が来ない。雨とアスファルトとタイヤが発する「シャー!シャー!」というタイヤの音でかき消され、Zoomの声も聞き取りにくい。冬なのにまるで遠雷でと聞こえてきそうな勢いではないか。橋の上なので雨宿りするところもなく、雨雲の下で僕はひたすら頭と肩を濡らしながら小さくなっていた。中老はなにやら一方的に僕に向かって話している。

やっと車を捕まえて行き先を告げると、ようやく一息ついて、ポケットティッシュで頭と顔を拭いた。ああ、これで5分くらいZoomに集中できる。中老とは明日、学芸大でランチをすることになってて、何やら美味しいカレー屋さんがあるらしく、僕はふたりで会えることを楽しみにしていた。

Zoomのカメラをオンにした。するとやおら中老はこう言った。

「あのさ、平野さ、明日、俺たちランチするだろ?そこでお前の進路指導するから」。

は? 僕はズボンの膝上も濡れていることに気づき、すごく不愉快な気持ちになってきた。進路指導?

そう、中老のマイブームは「進路指導」だった。
授業と称するZoom会合に集まる数十人に対して、ひとりひとり進路相談室と称するZoom部屋に呼びつけて30分ほどやつが人生相談に乗るのだ。その被害者はまだ1人。そして初の相談者は、数日前にあまりのショックで熱を出して倒れたらしい。

そりゃそうだ。頼んでもいない「指導」をいきなりされて、しかも中老の本気の助言はその人が持つ問題の本質をついててグサッと刺さるから、本人はとてつもないショックだろう。僕はそのことを「わーこわいこわい(笑)」なんて他人事として聞いて楽しんでいた。
大人になって誰かにガチで本質的なダメ出しされることなんて滅多にない(というか一度もない人が多いのでは?)。一歩間違えたら絶交だ。
だから僕は「中老は面白いな、やっぱ70年代を生きた奴は熱量が違うぜ、わはは」とそのとき感心しながら面白おかしく眺めていたのだ。でも自分があんなことされたら気絶するなって思っていた。だから進路指導だけはリクエストしないぞって決めていた。

なのに明日、希望もしていないのに進路指導だって?なぜ?

僕はiPhoneに目を移し、自分のカメラをオンにして中老を見て「え?進路指導?僕をですか?」と聞いた。すると中老は突然(本当に突然)、真顔になって突然苛立ちとも思えるくらいの大きな声で語り出した。

平野。お前さ、すごい奴を見つけたらそいつと仲良くなることばかりやっててさ、まったく足元が見えてないじゃん。この前俺が進路指導した彼、あいつはお前のことを慕って俺の授業に来たんだぞ?本当はお前があいつのために進路指導しなきゃいけなかったんだよ。なのにお前はなんで笑ってたんだ?俺はな、お前があいつに何も言ってやらないから、だから俺がお前の代わりに言ったんだよ。それをお前はまったく気づいてないだろ?あいつはお前を訪ねてきたんだぞ?お前があいつと関係つくらないなら、あいつは何のために来たんだよ?それに気づけよ!

え?突然脇腹を刺されたようで、僕は動揺した。とにかく濡れた服が気持ち悪くてたまらなかった。一気に一息で言われたので、相槌すら打てなかった。ていうか、何で今進路指導されてんの?

あのさ、平野さ、お前、勘はいいし、ある種の天才だとは思うんだけど、一瞬で人を峻別してるんだよ。お前、薄々自分で気づいてるだろ?
自分だけが得する生き方のうちはそれでいいんだろうけどさ、もうやめろ。これからはそうじゃねえんだよ。一対一、それが大事なんだよ。できるできないとか、自分にとって付き合う人、付き合わなくていい人、そんなふうに分ける寂しい人生をお前これからも送るのかよ?それが寂しいことだってことすら分からなくなるぞ。お前、俺とこれからも遊びたいなら、いい加減そのことに気づけよ。

息ができなかった。わずか2〜3分だったと思う。呆然とした。なんなんだこれは。
えっと、え?ああ、えっと…。何と答えて良いか本気で分からなくて、普段のように「いきなりなんだよ!」とかのツッコミもできないまま、タクシーは目的地の一番町のビルの前に着いた。すみません、もう予定の場所に着いたので続きは明日、というので精一杯だった。

「おう、じゃあ明日12時半、学芸大の駅前でな!カレー食いに行こう!」

タクシーを降りると強い横殴りの雨になっていた。幻聴なのか、遠雷が聞こえてきた。その後の打ち合わせのことはよく覚えていない。どうにかやり過ごしたような気がする。

翌日の昼は快晴だった。

真っ青な空の下、僕は天気とは逆に少し恐怖心を抱えて駅前に降り立った。今日は進路指導があるのだ。昨日のわずか3分で奈落の底に突き落とされた僕。今日はどうなってしまうのだろう。

マスクをした中老が改札口の向こうでニコニコして手をブンブン振っている。その笑顔がむしろ恐ろしい。手ぐすねでも引いて待ち構えていたに違いない。

僕は気合を入れて、話しかけた。
「お疲れ様ですー。いやぁ、今日は進路指導なんですね。どうぞお手柔らかに…」。

すると中老は言った。
「そう、俺の!」
「俺の?」
「そう、今日は俺の人生相談に乗ってもらう日じゃねえか!」
「はい?僕の進路相談でしょ?」
「違うよ、それは昨日もう終わったじゃん。次は平野が俺の相談に乗る日だよ!」

ええええ?何言ってんのこの人?

そしてカレー屋さんに着くと中老は「じゃあ平野くん、進路相談よろしくお願いします。あのさ、俺、今のままでいいと思う?生徒のみんなはさ、今の流れをどう思ってるんだろう?平野お前はみんなと仲良いだろう?これから俺たち、どうしていくとみんなでもっと面白くなれるか、お前から何が見えてるのか教えてくれよ。な?」と僕にペコリとお辞儀をした。

はぁ?何それ!って声に出た。
そしたら中老は言った。
だって、俺たち、友だちだろ?

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