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メタバースは社会インフラであるというイメージ

現状の僕(平野)の理解をまとめておく。

つまりテクノロジーとしてのメタバースとは、新規参入すると先行者メリットがあるニュービジネスなどではない。極めて地味なレイヤーから技術を積み上げていき、最終的にはダイナミックで破壊的なイノベーションを起こすであろう、オープンなアーキテクチャによる「社会的インフラ」のことなのである。

それは我々の関係性を変え、暮らし方や世界観を変える。だから結果的にビジネスのあり方も変えるけどそこは最早あまり重要ではない。そんな目先のビジネスごときより、もっとダイナミックな変化が我々の身に起こるからだ。

メタバースがオープンなアーキテクチャであるからには、プロトコルとデータ構造が重要になる。さらにはそのデータがどこに置かれて何で駆動するかというと、データの正しさを証明するのはブロックチェーンになるし、特定のマシンやサービスに依存しないプログラムが動く環境と保存先はWeb3的なものになる。つまり、そのプラットフォームのチェーンが続いている限りは100年先でも動くDaaps的(って最近は言わないのかしら?)とチェーン上のデータなのだ。

さらにデータについて掘り下げてみると、何らかの事象によって生成(またはセンシング)されるデータは連続性を持って全てが保存される。それは例えて言うなら「海から風が吹いて丘を抜けて木々の葉を揺らしていく」というようなデータSynchronous が存在していて、2Dでも3D空間でもない、もっとそれぞれの座標ごとにデータとデータが作用しながら全てが同期していくようなXYZの空間的かつタイムラインとデータ間の繋がりが存在するようなデータ構造であるはずで、それを扱うことのできるプロトコルが生まれるはずである。しかし我々人類はまだそれを発明できてない。

このような環境が今後2020年代中にどこかの天才たちが生み出して、量子コンピューターと共に人類を未踏の領域に連れて行くことになるだろう。

人類がそれをどう使うのかはまだ分からない。でもこの「分からない加減」こそがインターネット1.0が出てきた時の「ケンブリッジ大学のコーヒーポットを世界中から見ることができる」のと同じことが起こると言うことなのだ。

ケンブリッジ大学(1991年)


で、「じゃあ誰がそれをつくるのか」ということに興味が移る。僕自身はメタ社などのビックテックではなく、世界の辺境にある無名で小さなチームがそれを引き起こしてしまうのではないかと夢見ている。つまり僕が関わる糸島のチームのことだ。もしそうなったら痛快だし、ワクワクし続ける青春の日々になるだろうなぁ!

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