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今勉強してること

僕は常に現代は何かから疎外されているという思いにとらわれている。それは「現代は」ではなくて「僕が」なのかも知れないが、いずれにせよ疎外感があった。

ここで言う疎外は寂しいとかそう言う気分のことではなくて哲学的に使われてる疎外。調べると「人間が、 自己の作り出したもの(生産物・制度など)によって支配される状況、さらに、人間が生活のための仕事に充足を見出せず、人間関係が主として利害打算の関係と化し、人間性を喪失しつつある状況」とある。

ブーシットジョブで人間らしい活き活きとした日々を送れてないっておかしくない? もっと楽しく創造的に自由に生きていいじゃん!って思う。自殺とか心壊したりマジ不幸すぎるし、人類ここまで豊かになったのに、俺たちは打算的なことと駆け引きと変な気遣いばかりで息苦しくて何やってんだろう、なんてことをよく考える。

原始時代が良かったなんて言うつもりはないし現代しか生きてないから知らんけど、文化人類学的な話が好きなのもこの疎外感が少なからず衝動としてあるし、自分がソフトウェア開発やハワイや糸島で何かに突き動かされてプロジェクトをやっているのは、もちろん好奇心からでもあるけど、その鈍痛のようなモヤモヤや苦しみを突破したいからでもある。

若い子ころは田舎で本を読んだり音楽を聴いたりして、遠くの知らない世界に想いを馳せて「いつか、ここではないどこかへ」と思いながら過ごしてきた。でも年齢を重ねると「そんなユートピアはないし自分で辿り着かないとならないのだ。それはどこかへ行くことではなく、ここで自分でつくるしかないし、それに気づくと言うことなのだ」ということだとうっすら分かってくる。

で、見回すと、世界中どこにでも「ここがそれだ」と覚悟を決めてまっすぐに生きている人たちがいて、世界はレイヤー構造になっていた。そしてある境界線があった。そこから先は独学や勘だけでは進めないと気づく。それが僕の今。人の一生で気づけることはどうしても限界があるので、先人たち、先輩たちの力を借りる。その時にフレームワークや論理的なものが力強いツールとなる。モヤモヤやカオスはそれぞれの人の内面にあるものかも知れないけど、独自の理論や思い込みでそのカオスを扱ってはいけないと僕は思う。この自然界は実はカオスではなく、人とモノや環境のネットワークで出来ている。なので僕はアクターネットワーク理論とデザイン思考を学んで、身も蓋もないくらいシンプルなフレームワークの構造を身体化して、自分の周囲の人たちと戯れて学んで、物事を具体的に前に進めていくことで、グチャグチャした思いとループを突破したい。

心の内面のグチャグチャを明らかにしたり図式化を試みるのはなんか違和感がある。それよりも、自分から物事を起こしたり、目の前で起こってることに反応していくと、いつのまにか健やかな状態になってるものなのだよなぁ、なんてことを思う。具体的に自分がアクションを起こして、相手がアクションして、そこからまた次の予想もしないアクションが生まれていく。それがただただ続いていくこの世界の連鎖を楽しむ。そしてやがて消えゆく。それでいいんじゃないか。なんてことを思っている。

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