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変化に抗う

 最近、何かを諫めたり、提言したり、知識として何かを提供したり…楽しいことや好きなことに囲まれたい現代人にとって「疎ましい」と感じることばかり、言っているような気がする。

 私にも、好きなことや楽しいと思えること ―多くの場合、他者からつまらないと言われるが― は、ある。ところが、それにひたひたに浸ってばかりもいられないくらい、人間が『短絡化』しているのだ。

 その原因のほとんどは『世の中の成長スピードや情報量に、人類が追いついていないため』だと考える。つまり、情報を整理したり判断したりする術を持たないまま情報が増え続けたり、今あるサービスに順応する前に別の新しい技術が現れたり…ということが多いためだ。

 本来、そうした新しいものや進んだもの、便利すぎるものは、人々に提供される前に、検討され、決まりや制限などを設け、徐々に醸成を進めるべきものだ。
 ところが、今は『新しいもの・進んでるもの・便利なもの=良い』という短絡的な判断が広く下されるようになり、結果的にそれに埋もれ、流され、置いてけぼりにされているというわけだ。

 その結果、人々は『考えることを諦めて』しまって、多角的視点や批判的思考が失われてしまっているのだと私は考える。
 加えて、SNSや動画サイトが自動的に好みの投稿を拾ってきてくれるものだから、ますます『自分の好みではないものへの排斥意識』が強まり、よく知らないこと、分からないこと、苦手・嫌いなものに対して、忌避感が強まる。しかも、無意識に。

 こうした『無意識な時代の変化』は、非常に危険だと思っている。旧きを良きとするわけではないが、現代はあまりにも『変化の悪い面に引きずられている』のではないだろうか。
 この無意識の変化は、人の冷静さ、思考、理論、多角的視点を人間から着実に奪っている。言い換えれば『人間の能力の劣化』に繋がっているのだ。

 ところが、こうした危機感は皆、薄々肌で感じている。SNS疲れなんかが、まさに最たる例だ。
 しかし先述の通り、今はもう難しいことはとにかく御免なのだ。だからその原因が自分たちにあるのかもしれない、こういうところにあるのだということについて、兎角目を逸らす。
 挙げ句、冷静な指摘や理論を排斥すらする。ゆえにこの変化は、上から下へ勢いのまま流れて、決して止まらないのだ。

 この変化に、私は必死に抗っている。
 つまらない人間だと思われても、この際構わない。そうでなければ、この土石流の如き勢いに流されて、思考をやめたつまらない大衆の一人になってしまうからだ。


🔻その片鱗が垣間見える記事


🌼書いた人:ひいらぎみかさ
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