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カンニングで捕まった時の話し(中編)

年が明けた。4年連続で受けたセンター試験は大した成績が取れなかった覚えがある。いつものことだ。


このころは毎年12月も半ばになるとセンター試験の対策を始めた。

英語のアクセント問題とかは出るものに限りがあるので、準備さえしておけば何とかなる。


英語だけは現役時に183点を取り、翌年からずっと満点を狙っていたが、ついに満点どころか現役時の183点すら越えられずに終わった。一浪時なんか満点を狙うばかりに、1つの熟語問題がわからず、考えてもわからないものはわからないのに、そこに時間を使ってしまって、全部読み終わらないという大失態をした。

それで二浪を覚悟したものだ。会場だった当時東京商船大学(現東京海洋大学)の寒い体育館で、まだ試験全部が終わっていないのに絶望したものだ。


二浪なんて、当時の私の認識では犯罪者みたいなもので(笑)、

いつから自分の人生は狂ってしまったのだろう、人の道に外れてしまったのだろうと嘆いていた。


三浪時のセンター試験、英語では176点とか。そんな程度だったと思う。


年が明けて、明治大学の学年末試験に目を向けないとならない時期に来た。


今年の大学受験は東大1本しか受けないから、その辺りは精力を分散させずに済んだ。


そしてやってきた2月18日。


この日付を忘れないのは、東大入試のちょうど1週間前だったからだ。


東大メイン入試は2月25日、26日と相場が決まっている。


2月18日、その前日、翌日に「心理学」という楽勝科目の試験を控え、

私はよからぬことを思いついてしまった。「カンニング」だ。


半透明の定規の下に設置する、カンニングペーパーを

私はせっせと作った。そして試験当日を迎えた。


階段教室で試験がはじまった。


私は半透明の定規の下にカンペを置いて、試験が始まった。


目を凝らせば、カンペの文字が読み取れる。


ただ、そもそも楽勝科目なのだから、カンペなど準備する必要などないのに。


順調に行っていた。途中までは。


あるときから、試験官が私の横でずっと立ったまま動かなくなった。


私の心臓の鼓動は高鳴るばかりだった。私は定規とカンペを筆箱にしまわなければ、と思った。


冷静に考えれば、これだけの至近距離で、挙動が見逃されるはずもないのに、

その時はそれどころではなかった。


そして、私はヘマをした。


首尾よく筆箱に定規とカンペをしまうことができず、定規がズレて、カンペが見えてしまった。


私は御用となった。


私の答案は取り上げられた。


私は当然ながら茫然とした。


茫然としたまま、明大前駅に向かう歩道橋、甲州街道を渡る歩道橋を歩いた。


「開き直ろう、1週間後の東大入試で合格すれば、明治は退学するんだから、それでいいんだ。なんの問題もない」


私は自分に言い聞かせた。


「そうは言ってもよー」


自分自身が最も自分の東大合格を信じていなかった。



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