人は必ずしも解決を求めているわけではないという世の中の真実

いや、解決が可能なら解決したい。
でも、なんとしてでも解決したい、と考えているわけではない。
その解決したい問題の程度にもよるが、むしろ、解決に向けて投じるエネルギーは高くはないのではないか、と感じた話し。

私は小さいころ、食卓が正座だったせいか、かなりのO脚である。
鏡に映る自分の立ち姿を見て、「あまり美しくないな」としみじみ思ったこともある。

そして、ひょんなきっかけで「O脚改善」のインスタ広告が目に留まってしまい、私はある整体院に通うことになった。
その整体の先生が熱心であるがゆえに、繰り返し私に説くのである。
「セルフケアが必須ですよ」
「セルフケアが必須ですよ」
「セルフケアが必須ですよ」

私としては、これがうざいのだ。

私としてはセルフケアをしたくないからわざわざお金を払って通ってきている。
通院での施術だけで治らないなら、最初からそう書いとけよ。
これが私の論理である。

肩こりのマッサージに行ったときにも、
「セルフマッサージのやり方」

「ストレッチの仕方」
などを繰り返し、繰り返し、説いた方がいた。

私としては
「セルフケアをしたくないから、お金を払ってわざわざ通ってきてるんだ」
「何度も何度もうるさい」
と思ってしまう。

私にとっては、肩こりもO脚もさほど深刻な悩みではないのだ。

O脚が改善されなかったからと言って、「お金を返せ」とかまで
言うつもりはないのだ。

ただ、
「一生懸命セルフケア『も』しないと、通院だけではO脚はよくなりません」
というなら、最初からそう、うたっておくのが良心的な広告だと思うのだ。

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