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大学卒業前に実家から追い出され、身につけることができた私の強さ

大学4年の1年間を内定ゼロで終えた。
といっても当時は大手マスコミにしか行くつもりがなかったから、
夏以降、就職活動はしていない。
8月の終わりに現金がそこをついたので、友人に1万円借りたくらいだ(卒業前に返却)。

9月から渋谷の東急ハンズで働き始めた。

卒業までの半年間で辞めてしまうバイトだから、なかなか採用されなかった。
三省堂書店神田本店の採用でも一瞬で落とされた。
「最初から採る気がないなら、呼んでくれるなよ、電車賃かかるんだから」
それが本音だった。

1月には卒業に必要な全単位を取り終え、あとは
「本当に春から何をして生きていくか」
だけが課題だった。

ありがたいことに東急ハンズの現場マネージャーからは
「卒業後も働き続けてくれないか?」
というありがたいお言葉を頂戴した。このマネージャーは早稲田の演劇科出身の方だった。
ただ、時給が千円に満たない。
東急線沼部駅至近にあった学習塾、フェニックスセミナースクールで職員として働く、というのも候補に上がった。
こちらは賄い付き(夕食付き)というのが魅力だったが、こちらも時給は千円に満たない。
週5日フルで働いて、かつかつの生活である。

私は就職浪人の生活で、読書、勉強を続けたかった。

大学4年時は本を読みまくって、8月に貯金がゼロになった。

だから余剰時間が欲しかったのだ。

結局、ペンタックスの派遣販売員として、安さ爆発!みんなのさくらや
で働くことになった。派遣だから給料がよい。
週休3日で月24万くらいはいただいていた。

桜上水に借りた共同玄関のアパートの家賃が5万3千円。
晩御飯は100円のパスタに、100円のパスタソース、みたいな感じ。
あの頃の実感として、月に12万か13万あれば、ラクに暮らしていけた。

ただ、出だしには不安がつきまとう。

2月1日からさくらやの店頭に立ち、何日後かには桜上水のアパートに引っ越しをして、一人暮らしが始まった。

演出家である鴻上尚史は、現役大学に受からなかったとき、「来年大学に受けるまで家には戻ってくるな」と家から追い出されたらしい。
家を追い出されるとき、当面の生活資金として現金で百万受け取るのと、月に10万ずつ受け取るのとどちらが良いか?と問われ、後者のほうが年間では20万多いから、後者を選んだと言っていた。
たしかこのエピソードはオールナイトニッポンか何かで聞いた。
高校卒業時と大学卒業時の違いことあれ、私の場合には親父からの資金援助はゼロである。
そのうえ、アパートを借りる際の保証人にもなってくれなかった。
だから入れるアパートを探すのもなかなか大変だった。
不動産やの若い女性に同情される始末だった。

でも、この不安に立ち向かって乗り越えたことが、私を一段強くしてくれた。
親父が私に、物質的にも精神的にも支援してくれなかった、というのは
当時の私と親父との関係性ゆえであり、私に起因する人望である。

そのような形をとって親父から与えられた愛である。

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