水曜日の小林さんときらきらのコースター日記_20190703.jpg
10:57。起きるのつらい。昨日もずっと寝てたのに。
ベッドのシーツと皮膚の境が分からなくなるくらい汗をかいていた。
窓を開けていても、もう気持ちよくない季節だ。湿気。じとじとした空気、サイズのゆるいブレスレットみたいな距離感。
まだ寝ていたい。気管支炎と言われたけれど、この身体のだるさと喉の痛さ、もらった薬で治るのかしら。
11:32。普段ほとんど見ないSNSを開く。二度見する。えー。なんだ、何なんだ。
もやもやしたまま、布団をもう一度かぶる。
14:42。結局二度寝もできないまま、パン屋さんへ行こうと決める。お金を下ろしていないことに気づく。財布を開いてみたら382円しかない。
めんどくさいなあ。近くのATMまで歩いて10分はある。
いやまてまて。そうだ、スーパーに三菱UFJの手数料が無料のATMあった。
いつもとは違うオードパルファムをひとかけする。ひゃ。だめだ。
どんなにいいと思っても、普段使うボディミスト以外はもれなく匂い酔いしてしまう。
気休め程度に後からレモングラスの香りがするファブリーズを全身に向ける。
15:19。ついでに捨てるゴミを持って外に出る。次引っ越すところも24時間捨てられるところがいいな。ゴミ捨てが本当に苦手だ。
外の空気が、後戻りできない夏だった。
なぜだか今年は梅雨があけたら涼しくなる気がしてしまっていた。
あと何週間もすれば眩しい日が続くんだと考えたら、少しだけ安心する。
スーパーに行く途中年配の女性ふたりが楽しそうに話している。
目の前を通り過ぎようとしたとき、手前の女性が右足をぽんと前に出す。
『まあ!靴のサイズそんなに大きいのねぇ!』
と、もう一人の女性が感嘆する。あはははと笑い合うふたり。
なんてかわいい会話なんだろう。
体調が悪くて休みの日は一日中家にいることが最近多かったけれど、やっぱり外はいいな。
15:31。パン屋さんで買ったちくわパンとメロンパンを食べながらこの後のことを考える。
何しようかな。やりたいこと、考えたいことはいくつもあるのに体調につられてしまう。明日仕事だし、疲れないことにしよう。
練りものはすきだけどちくわはそんなにすきじゃない。すきじゃないけど、ここのちくわパンの美味しさは尋常じゃない。棺桶に敷き詰めてほしいくらい美味しい。死んだら持っていけないんだけどさ。
メロンパンはときどき食べてるけど、少し久しぶりな気がする。
美味しくて、うれしくて、本当にすきなんだなと思った。
このことを書いている今も少しにやにやしてしまってるから、間違いなくすきだ。すきでよかった。
15:57。駅前の喫茶店に着く。喫茶店なのかどうか正直グレーなところではある。
煙草のもくもくで喉がやられそうだなと一瞬躊躇ったけれど、ふかふかの椅子でゆっくり本を読みたい気持ちが勝って、入り口に立つ。
あんまり煙草を吸っているひとがいなかった。よかった。
広い窓。バスの扉が開き、ひとが扇形に広がる停留所。今日も降りそうで降らない曇天だ。
17:02。めくるページの数はどんどん大きくなっているのに、全く頭に入ってこない。
一つ奥の、お茶をしている女性二人の会話がなんだか不思議なテンポでそわそわする。
『だって〜〜!小林さんなんて、いつもにこにこにこにこしてるじゃないのぉ!』
読んでいる本に出てくる「ゆかりさん」と小林さんとが頭の中でこんがらがってしまって、小説の中に入り込んでいる錯覚を起こす。
本を読むのを中断して、スマホの画面を触る。
お昼前に見たSNSのことを思い出して、ちがう、そうじゃない、気を紛らわすために来たんだったと思い出す。
18:47。しばらく惰性で読んでいるような時間を乗り越え、無意識に本に集中できていた。小林さんたちがいなくなっていることに気づく。
急に『今とてもかわいいピアスが見たい』と思い立ち、時計を見る。
『夜、ぜったいに素麺食べようね』と自分に約束をする。
18:53。山手線を待っていたら、先に京浜東北線がくる。暗いのに明るい空だった。
19:30。有楽町でかわいいピアスを眺める。かわいい。ありがとう。
かわいいピアスがだいすきだ。
かわいいバングルも眺める。かわいい。はめてみる。ぶかぶかだった。
どれもこれもぶかぶかで、そういえば欲しいと思っていつも買わないのはちょうどいいサイズが見つからないからだ。
忘れちゃって同じことして思い出す、ってこと、ない?あるよね。わたしは、そんなのばっかりだよ。
20:01。そうだ。コースター。コースターが欲しいと思っていたの。
向かいにあるAfternoon Teaでカルピスのボトル型スポンジが並んでいるのを見つける。洗いづらそうだな。
いやでもかわいい。かわいい...
裏返して380円。税別。うーん。
いくらなら買おうと思ったんだろう。
やっぱりそんなに欲しくなかった。
たぶん、そのうちなんの形か忘れちゃいそう。薄情な女だから。コーラの瓶だったかなとか。青と白のスポンジなのにね。
20:15。アクセサリーのトレイを買ったインテリア雑貨のお店がLUMINEにあるなと思う。LUMINEに行く。
20:28。思っているようなコースターがない。もっときらきらしてたり透けてたりするやつ。
店内をぐるぐる回っていたら、今まで見た中でもっともおしゃれなランチョンマットを見つける。
いやでも。使わないよね。使わないのよ、と頭の中で自分と会話する。
さっき女の人がいて通らなかった棚をちろっと見る。ちろちろ。
あったー!これだ!歓喜のダンス。
手を後ろに回してふんふんしながらどれにするか悩む。
決められない。あれもいいし、これもいい。
丸いのもいいけど四角いのもかわいい。
困ったね。困っちゃうおじさんが右肩で腕を組んで座っている。
困っているときに、一緒に困ってくれるおじさんだ。解決策は出してくれない。でも一緒に困ってくれる。優しいでしょ。
これから引っ越すことを考える。
食器を選ぶとき、お箸を買い換えるとき、いつも手に取るのは一人分だった。
それでいいと思っていた。
一枚の円の中に、貝殻みたいな乳白色の石とぴかぴかきらきらの細かいガラスが埋め込まれている。直径10センチの海だ。
引っ越して、コースターを買い足そうと思ったころにはきっと、ここじゃないどこかで似たようなものを頑張って探すか、ちぐはぐのもので妥協するだろう。
後先のことを考えるのは、いくつになってもこわい。
『可能性があると知ったとき、ひとは怖気づく』みたいな言葉を何かの本で読んだけれど、その意味が今の年齢になってもよく分かる。
先のこと、分かんない。分かんないよね。
うだうだ悩みながら、厚さ1センチの海をひっくり返したり光に当てたりする。
ふと、恋人の『だる〜〜』という声が頭の中で再生されて、うだうだするのをやめる決心をする。
大は小を兼ねるって言うもんね、と両手にコースターを持ってレジへ向かう。
たくさんあることが大なのかなんなのか分かんないけど。
21:25。家に着く。湿気でジーンズが重くなっている気がする。すぐさま脱ぎ捨てる。
ジーンズ、苦手なんだよね。重いし。ぴったりのサイズがずっと分かんない。スキニーはきらい。
帰り道にスーパーで買ったウィルキンソンを取り出す。まだソーダで割ってなかったの。梅ジュース。
先週えもさんがくれた梅でつくった梅ジュース。ふふふ。
とぽとぽ、と瓶から落ちる琥珀色。
しゃわしゃわ、とその上を飛び込んでいく炭酸水。
サイダーって銀河みたいな味するよね。
くるくる、2回だけかきまぜる。
買ったばかりのコースターにトン、と乗せる。
直径10センチ、厚さ1センチの海だ。
夏こそは海に行けたらいいな、と思った。
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