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【シンエヴァ感想文】エヴァという電車からようやく降りられた庵野英明

この駄文はシン・エヴァンゲリオン劇場版:||(以下シンエヴァ)のネタバレを多分に含みますのであらかじめご容赦ください。
また、パンフの内容の一部にも言及します。
また、人名は敬称略としている部分があります。併せてご容赦ください。

■初めに

シン・エヴァンゲリオン劇場版:||を見てきました。
作品としては、テレビ版から続く「新世紀エヴァンゲリオン」という
作品すべてに「けり」を付けた完結編と言うべき今作ですが、
私は要所に「庵野秀明がエヴァから解き放たれた開放感」が感じられ、
「庵野お疲れ様!ありがとう庵野!」と拍手喝采とともに、
「庵野秀明のエヴァンゲリオンはもう一生見られない」という
何とも言えない寂しさを感じてしまいました。

■1:電車から降りる碇ゲンドウから感じる寂しさ

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1-1:碇ゲンドウというキャラクター

元々、碇ゲンドウというキャラクターは
庵野秀明の鏡写しのようなキャラクターです。

ゼーレからNERVを任されるくらい仕事はできるけど、
内向的で、口下手で一人の女性に固執するゲンドウの姿は

アニメーターとして超一流だけど、オタク趣味全開で、
女にモテたくて、でも女にモテなくて、という
いい意味でも悪い意味でも「庵野秀明」という
いち作家の内面を直球ストレートで吐き出した
キャラクターであります。

※実際にシンエヴァのパンフレットを読む限り、
 ゲンドウ役の立木文彦も同様の感覚をお持ちの様でした。

シンエヴァでは、ラストに向かうにつれ、ゲンドウの幼少期から
碇ユイとの出会い、ゲンドウのユイへの思いなど、
様々な細かい描写がされていきます。

その描写が進めば進むほど、庵野秀明の女性に対しての様々な思いを知る私としては「碇ゲンドウ=庵野秀明」説がより確信に変わっていきました
※庵野秀明と女性については「庵野秀明 日高のり子」とかでググろう

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1-2:エヴァンゲリオンという電車

画像1

※画像は拾ったテレビ版

「夕焼けでオレンジ色に染まった電車に乗るシンジ」
というのは、
エヴァンゲリオンではテレビ版から通して頻出の描写であり、
シンジの内面を描く際の象徴的なシーンです。

シンエヴァでは、終盤、シンジの内面を描く舞台装置である電車に
ゲンドウも乗り合わせてきますが、このシーンはシンジが一貫して
拒絶していた父に対して心を開き、
親子で心を通わせる胸熱なシーンであります。

シンジきゅんの成長を象徴するシーンです。
シンジきゅんこんなに立派になって…と涙を禁じ得ないシーンです。

そして、成長したシンジにすべてを語り終わり、全てを理解したゲンドウが、シンジと一緒に乗っていた電車を一人で降りるのです。

これはゲンドウの魂の救済であり、贖罪でもあり、
親として、大人としての責任でもあります。

成長したシンジに気づきこそすれ、今後一緒に歩むことはない、
という、これまた

「ゲンドぉぉぉぉ!ゲンドぉおおおおう!おとーさーん!!」

と涙なしには見れない切ないシーンです。

で、ここでポイントとなるのが「ゲンドウ=庵野秀明」であるという点。

電車を降りるゲンドウを見たとき、私はとっさに
「庵野監督が電車降りちゃった」と思ってしまったのです。

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1-3:新劇場版の意義と庵野秀明最後の「エヴァ仕事」

「エヴァンゲリオン」という作品は庵野秀明という作家性が生み出した傑作でありますが、特に新劇場版は
「エヴァをガンダムのような古典に昇華させること」
命題とした作品でもあります。
※こちらについてはアプリeva-extraの全記録全集で読めます

庵野監督としては、新劇場版でエヴァンゲリオンというコンテンツを
古典に昇華し、後続のクリエイターたちには、
エヴァという土壌をもとに後続が育っていくためのコンテンツにしてくれ、
という思いがこもった作品です。

だからこそ、庵野秀明監督自身がシンエヴァでも様々な技法を駆使し、
新たなアニメーションの表現の可能性を模索していたと言えます
※どういった技法が使われていたかはシンエヴァのパンフレットの鶴巻監督のインタビューに詳しく載ってます

ゲンドウは全て語り終わると、シンジを残して電車を降ります。
このとき、電車は「エヴァンゲリオン」という作品そのものなのではないか
と思うのです。

エヴァンゲリオンという作品の象徴である電車から、庵野秀明が投影されたゲンドウが降りる
 ↓
エヴァンゲリオンという作品そのものから庵野秀明が下車する

こういった思いが込められているのではないかと思ったのです。

「俺はエヴァから降りるぜ!あとはよろしくシンジ
(後続のクリエイターたち)!」
という事なのかな、と。

ファンとしては「庵野監督お疲れさまでした!」とも
「おおう行かないでくれ庵野ぉ!」とも言いたくなる、
ストーリー上とても意味深いシーンであるとともに、
少し切なさを覚えた次第です。

■2:俺のエヴァは終わったぜひゃっはー!という庵野秀明の開放感

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2-1:ゲンドウと同じくシンジも庵野秀明である

新劇場版は、シンジが打ちひしがれつつも、立ち上がり前に進む物語です。

今までになく何の含みもなくすっぱりと綺麗に終わったシンエヴァは、
爽快感にあふれるエンディングに仕上がってますが、
これは同様に庵野秀明の
「はい俺のエヴァンゲリオンおわりー!ひゃっはぁぁぁあああ!」という
爽快感も表現しているように思うのです。

何故なら、ゲンドウ=庵野秀明である以上、シンジ=庵野秀明という部分も捨てきれないからです
シンジがゲンドウの息子である以上、シンジも大なり小なり「庵野秀明」の部分を持っているはずです。

シンジのうじうじっぷりや、シンエヴァ序盤の失語症となってしまったシンジは、Q以降に心身ともにボロボロになった庵野秀明監督そのものです。

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2-2:「おおきなカブ=シンエヴァ序盤」

Q以降の庵野秀明のボロボロっぷりは
【株式会社カラー創業10周年記念作品 「よい子のれきしアニメ おおきなカブ(株)】がとても分かりやすくてよいです

シンエヴァの序盤のシンジ君は「おおきなかぶ」のおじいさんまんまです。

シンジが放浪の末、旧友(トウジ・ケンスケ)と出会い、少しずつ村での生活を始めるシーンは、
「おおきなかぶ」で描かれたケガしたおじいさん(庵野秀明)を超おじいさん(宮崎駿)をレンガ積み職人(声優)として引っ張ったり、
畑に戻ったと思ったら隣の畑を手伝って人参(シンゴジラ)を抜くシーン
のまんまと思うのです。

そう考えると「ゲンドウ=庵野秀明」であると共に「シンジ=庵野秀明」とも言えるのです。

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2-3:そして最後のシーンへ

画像2

※画像はwikipediaの宇部新川駅より拝借
最後のシーンは、マリとシンジが宇部新川駅から
駆け出していくシーンです。

一見するとシンジは最初電車待ちをしているように見えます。
しかし、マリといくつかのやり取りをした後、シンジはマリの手を引き、
二人で宇部新川から走って飛び出していきます。

ここで、先ほど自分が書いたことを思い出してください。

エヴァンゲリオンにおける電車はシンジの内面のメタファーでした。
シンジの描写としては
「電車に乗らない=もう自分の中でぐちぐち言うことはなく、前を向いて歩いて行ける」ことを象徴するように思われるシーンですが、
私は(特にシンエヴァでは)エヴァンゲリオンにおける電車は
「エヴァンゲリオンという作品そのものではないか」
と考えていました。

その時、電車に乗らずに駅から飛び出すシンジの姿は、
エヴァという次の作品(列車)に乗らず、作品から飛び出していく庵野秀明そのものだなぁ
と思ったのです。

そしてそこに、私はエヴァンゲリオンという作品を生み出してくれた庵野秀明監督に対しての感謝と、庵野秀明のエヴァンゲリオンは終わった、という少しの寂しさを感じたのです。

■最後に

シンエヴァのエンディングは本当にいろんな意味が込められています。
ストーリー上のケリとしてだけでなく、
作中でも語られていた「エヴァの呪縛」から庵野秀明が解放されたという
意味も込められているように感じました。

そして何よりエンディングが現実の舞台で
ドローンによる空撮=リアル、という点から、
同じく「エヴァの呪縛」に縛られたエヴァファンに対してのアンチテーゼ
が、より全面に押し出されているようにも感じました

そして何よりシンジが最後に手を引くのは、レイでもアスカでもなく
「マリ」なのが大注目です。
答えから言うと「マリ=安野モヨコ(妻)」であり、
これこそが庵野秀明の救済であり、新劇場版は一貫して
「庵野秀明からの安野モヨコへの愛情と感謝の表現」とも取れるのです。

が、時間が時間なので今日はこの辺で。また気が向いたら
「マリ=安野モヨコ」を深堀しようかと思います。

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