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“TOP OF THE POPS”と“ROCK AND ROLL HERO”

僕は自分自身のことを話すのが苦手だ。

これまで自分でブログや文章を書いたことは無いし、SNSで自分自身のことを素直に発信している人を見るとうらやましく思ってしまう。話すことは好きだし、人前で話すのも得意だと思っているのに、自分自身のことを話すのは苦手だ。

そんな僕が、自分の気持ちを鼓舞して、このnoteを書こうとしている。

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僕はサザンオールスターズのことが好きだ。

でも友人や知人で、僕がサザンが好きなことを知っている人はほとんどいないと思う。好きなミュージシャンは?と聞かれてサザンオールスターズと答えたこともあまり無い。小学生の頃から聞いていて、900曲を超える楽曲のほとんどを聞けば分かると思うし、ライブ映像はVHSビデオの時代からかなりの数を見ているし、実際にライブに行ったこともある。

国民的バンドであり、デビューしてから40年以上もの間、世代を超えて愛され続けているわけだから、日本人の大半の人がサザンのことを好きと言うだろう。ただその大半の人が答える「好き」よりも、僕ははるかにサザンオールスターズの事が好きだ。いや、サザンオールスターズというよりも桑田佳祐のことが好きだ。

僕が語る必要も無いし、桑田圭佑のことをうまく語れるとも思わないが、失恋、挫折、不倫、エロな曲が大半なのにも関わらず、和洋折衷な歌詞と圧倒的なソングライティングの力によって“サザン=夏”のようなとても明るくて爽やかなパブリックイメージをつくっているのはすごいことだ。

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卑猥や不倫であふれる歌詞なのに、小さい子供からお年寄りが一緒になって笑顔で歌うっていう魔法をかけてるし、“希望の轍”でスタートしたライブを、“マンピーのG★SPOT”で終わらすという振れ幅のあるエンターテイメントは桑田佳祐しかできない。青山学院大学の友達同士で組んだメンバーのことをいつも思っていて、そのメンバーの中には奥さんがいて、必ずアルバムの中に奥さんである原由子の曲をつくっている愛に溢れる人で、お客さんには口癖のように「いつもありがとねー」って言ってくれる情に厚い人で、いつも誰かのことを考えていて、お客さんや大衆を喜ばせたいって気持ちがすごく強い人だ。僕が大学4年生の時には桑田佳祐名義でベストアルバム「TOP OF THE POPS」を発売し、こんなタイトルをつけて発売できるのはこの人ぐらいだろうなって思ったことをよく覚えている。

でもそれ以上に下ネタや下らないオヤジギャクばかり言っていて、エロい演出ばかりして、着てる服がちょっとダサくて、周りからいじられてばっかりいて、見ている側もついついツッコミを入れてしまうという、何か抜けたような雰囲気がある。だから日本のミュージシャンとして大きな成功を収めているにも関わらず、矢沢永吉のようなカリスマ性があるわけでもないし、松任谷由実のような神秘性があるわけでもない。あえてのセルフプロデュースなのか、それとも単なる恥ずかしさによる照れ隠しなのかは分からないけど、その絶妙すぎる存在感が僕は好きで、そんな桑田圭佑みたいな大人になりたいなって思ってきた。

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こうやって書き始めたら、桑田佳祐のことであっという間に1000字も書いてしまうほどなのに、僕はこのことをあまり人に言ったことがない。それぐらい僕は自分自身のことを話すことが苦手なのだ。そして苦手という以上に、僕はいつも自分のことよりも、誰かのことを優先している。誰かが望んでいることを応援することが好きだし、誰かが求めていることを手伝うことが好きだ。ついつい自分のことを後回しにして、誰かのために行動をしてしまう。

NHKプロフェッショナルで、スタジオジブリの鈴木敏夫さんが言っていた「自分は信じない、人を信じる」という言葉がめちゃくちゃ腑に落ちて、僕の座右の銘にしているぐらい自分のことよりも人のことを信用している。自分のことを話すよりも、人の話を聞くし、誰かのことばかり話すので「佑介は何を考えているか分からない」と言われることもあった。

小杉湯で働くようになってからは、打合せや会議で自分の意見を言っているし、メディアや講演などで話すことも多いから、自分のことを話せるようになったと思っていたが、よくよく考えてみると、それは小杉湯が主語だったり、目の前の仲間のことが主語だったり、たくさんの主語に囲まれる環境に身をおくようになったからだなって思う。だから自分のことを話すのが苦手なことはあまり変わっていない。

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そんな“自分より人を信じる”性格と、昭和8年から続く小杉湯との相性は良かった。家業は駅伝のようなもので、3代目として、初代、2代目と続いた“タスキ”を4代目、5代目に繋げていくことが僕の使命だと思っている。おじいちゃんが働いている姿を見たことが無いし、自分で立ち上げた事業ではなく“タスキ”という思いが強いので、自分の中でも不思議なくらい小杉湯への所有欲が低い。だからなのか、すぐに人を信じてしまう僕は、小杉湯のことをどんどん外に開いていき、多くの仲間達に「YOU、やっちゃいなよ。」って笑顔で言ってきた。これを最近では“ジャニー喜多川理論”と読んでいて、意図してやってきたというよりも、性格や好みの結果だなって思っているし、桑田圭佑のようにどこか肩の力が抜けている時のほうがうまくいく。

こんな感じでやってきて、いまの小杉湯には多くの人が集まってきてくれて、そこから様々な物語が生まれている。小杉湯を環境と定義して、この環境を活かして、仲間の想いが形になっていった。採用をした塩谷歩波が書籍を発売し情熱大陸に出演し、レイソン美帆がセブンルールに出演し、外資系広告代理店から菅原が転職してきてくれて、個性豊かなアルバイトのみんなが小杉湯に関わってくれていて、空き家アパートの活用からスタートした銭湯ぐらしは法人化をし、優秀な仲間達が2020年3月にオープンをした小杉湯となりの企画と運営をやっている。小杉湯も小杉湯となりも経営という面においてはまだまだだし、新型コロナウィルスの影響を受けて厳しい状況が続いているが、こうやって愛のある仲間達と挑戦し続けている日々にとても充実感を感じている。

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「あーー、なんだか小杉湯の環境ってサザンっぽいな。」

ふとした時にこう思ったことが、これまでブログも文章も書いてきたことがない僕が、このnoteを書こうと決意した理由だ。「小杉湯はサザンっぽいし、小杉湯ってポップなんだよな。」「そっか、そしたら小杉湯はTOP OF THE POPSを目指して進んでいるのか。」と腑に落ちてしまったのだ。

東京の高円寺にある小さな銭湯がTOP OF THE POPSを目指しているなんて大それたことであるのはよく分かっている。でも桑田佳祐とサザンオールスターズは、目の前の人を喜ばすことを40年間続けてきたからだし、ジャニー喜多川も、目の前の人の可能性を信じ続けてきたからだと思う。別に小杉湯がサザンオールスターズになるとか、ジャニーズ事務所になるというわけではなくて、小杉湯にしか登れない山を見つけてTOP OF THE POPSを目指し続けるってことなんだと思う。それは「きれいで、清潔で、気持ちがいい」という平松家の家訓として受け継がれてきたことを、毎日毎日こつこつと続けていくことだし、1人ひとりのお客さまを大事にし続けることだし、小杉湯の環境に集まってきてくれる仲間達に「YOU、やっちゃいなよ。」って肩の力を抜いて笑顔で言い続けることなのかもしれない。

だったら僕には、桑田佳祐のようなオーラとバランス感覚を持つことが必要になってくる。じゃあそれってどうすればいいんだ?って考えたら、「TOP OF THE POPS」を発売した年に、「ROCK AND ROLL HERO」というアルバムを出していたのを思い出した。調べたらTOP OF THE POPSのたった2ヶ月前に出している。

「まじか!すごいよ、すごすぎるよ桑田さん。」
「なんでPOPSとROCKの冠を背負えるんだよ。」
「もう意味が分からないよ。」

と物凄い衝撃をうけて、僕はROCK AND ROLL HEROにもならなきゃいけないのかと、よく分からない思考に追い詰められて、急に荷が重たくなってしまった。

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ポップが大衆と向き合う音楽であれば、ロックは自己と向き合う音楽だと思う。ポップは利他的で共感を鳴らすのに対して、ロックが鳴らすのは利己的な反骨心だ。この振り子のような二項対立を自分の中に保てていることが、もしかしたらあの桑田佳祐の絶妙な抜け感のあるバランスを生み出しているのではないだろうか。

小杉湯がTOP OF THE POPSを目指し続けるのであれば、今の自分に足りないのはロックなんだ。自分と向き合い、利己的な反骨心をもっと開放しなきゃいけないのか。それは困った。だってそれは自分がすごく苦手なことだからだ。でもやらなきゃいけないって、苦手とか言ってられないって自分が言い始めている。

この初めてのnoteは、小杉湯3代目として僕の仲間に“TOP OF THE POPS“を目指すことに命を使いたいと伝えるために書いた。そして、そのためには個人として“ROCK AND ROLL HERO”を目指し、これから自己と戦い続けていくことを鼓舞するために書いた。

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いま僕は株式会社小杉湯とは別に、個人でも事業を立ち上げて会社をつくろうと考えている。

そのタイミングがいつになるかは分からないが、小杉湯というバンドを続ける為には、ソロ活動をやっていくことが必要なのだ。そんなことは思ってもいなかったけど、やらなきゃいけない理由ができてしまった。僕が自分の“ROCK AND ROLL HERO”になるにはまだまだ時間がかかると思う。でもこのnoteがその一歩に繋がると信じている。何をやるかは特に決まってないんだけど、まずは僕の話を聞いてくれる人と出会いたい。その時は、僕個人の仕事としてお話ができたら嬉しい。

2020年7月27日
平松佑介 


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写真:篠原豪太

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