セルジュゲンズブール 「ノーコメント」鑑賞
ツタヤデイ
セルジュゲンズブールのドキュメント映画「ノーコメント」鑑賞。アーティストのドキュメント映画が大好きで、やはりこの映画も大感動、現在二回めみてます。
セルジュはもう亡くなりましたが、フランスでは大スター。多分、日本やアメリカではこういうスターは絶対出ないでしょうね。下品な下ネタと恋愛を徹底的に歌にした人ですが、日本だと、お笑いかゲテモノになってしまうでしょう。しかし、そこに人生の本質があるのは間違いなく、シリアスで重苦しい芸術なんですね。
音楽ってなんなのか、、と、いつも考えてしまいますが、この映画をみて大げさなことを考えてしまいました。
音楽も恋愛も、皆たましいの記憶をそこに探し求めているのかな、と、、大げさか、、、
演奏者が奏でる音には、その人の音楽体験、教育のみならず、もともとその奏者が持っているたましいの記憶が反映しているのか、と、、そして聴き手は、自分の持つたましいの記憶を探し求めて音楽に魅了されるのか、、と、、、
もちろん、僕にも、死んだ父の記憶、厳しくも愛してくれたピアノの先生の記憶、そんな色々なものがどうしても演奏に出るでしょう。。。人が死ぬときに、そんな一シーン一シーンが走馬灯のように脳に流れると言いますが、、、アーティストのドキュメント映画に、たましいの存在を感じるのは、そのアーティストの「走馬灯」を再現しているからでしょう。
そして何より、フランスは愛の国ですね。敬服します。
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