なんかこのまま出たくなった旅の記録:メールマガジン転載(170813〜170816)

2017年8月12日の富山でのライブの翌日急に思い立ってそのまま東京には帰らず特に終わりを決めずに旅を始めました。その際に毎晩メールマガジンで配信した、旅費支援を募る意味合いも込めてのその日の記録、考えたこと。推敲する暇無しに送っていたことを差し引いてもガタガタの文章なのですがほぼ編集無しでそのままです。


8/13

12日の富山のライブのあと、一泊だけしてそのまま13日に東京に戻る予定で新幹線のきっぷも買ってたんですが、なんかこのままどうしても旅に出たくなり、ともかく東京行きのきっぷをキャンセルして、反対方向の金沢へやってきました。いま(13日夜)金沢にいます。
今朝、泊めてもらった富山のゆーきゃんの家を出てから電車に乗る前に行き当たった田んぼの前でザーッと風が吹いて、真夏の曇りの日に田んぼの近くでだけ刺激される鼻の奥の部分、そんなことあるわけがないんですがそんな気分になってすぐに東京に戻る選択肢は無しになりました。

金沢というと、おれが小学校を卒業するまで住んでいた街です。住んでいたことがあったといっても実家はもちろん無く、両親が結婚してから移り住んだ街なので親戚も全くいません。友達といっても小学校の頃の関係で、SNSもなかった頃なのでいま連絡先がわかる人も少ない。さらにちょうどお盆の時期だし、みんなたぶんむしろ忙しい、というか家の外に出られない。

金沢に着いて、ショムラくんに拾ってもらい、西都にある珈琲屋チャペックに行きました。チャペックのマスターは、おれの持っている二本のアコギ両方の元の所有者です。2年ぶりになんの連絡もなしで行ったけど特にわざとらしく大きく驚かれたりはせず、スッと迎えてくれました。
地図を見ながら読んでもらえるとわかりやすいと思うんですが、観光客が来るのは金沢駅の東側、西都のある西側は日本海まで住宅地と畑がひたすら続く、言ってみれば割と地味な景色です。地方出身者は郷愁を、都会育ちの人は旅愁を誘われる風景ではあると思います。
チャペックの表から県庁の大きな建物が見えて、その辺りをハヤブサのつがいが縄張りにしているとのことで、新聞の切り抜きを見せてもらいました(写真ツイートしました)。そんなことあるんだねなんて話をしていたらお店の外にいつの間にか望遠鏡を設置していたマスターに呼ばれ、県庁の屋上の隅にとまっているハヤブサを見ました。
高倍率の望遠鏡独特の視界の感じ、新しく巨大なビルの屋上の一番はじっこで何を見下ろしているのかゆったりととまっているハヤブサのシルエット、割と感動しました。

マスターとうちの親が知り合ったのも、そういえば子供たちに自然観察をさせる地域の集まりだったことを思い出しました。望遠鏡を覗くという行為はその頃はよくしていましたが、今はなかなか。マスター店内はいいんですかっつってるうちにハヤブサは飛び去る。もう三年ほどこの辺りにずっといるそうです。
チャペックで働いている男性がおれの顔に見覚えがあると言って話してみたところ、おれが小学校の頃に通っていた剣道教室で一緒だったS君だと判明もしました。その剣道教室には小学生全体で20人かそこらしかいなかったと思うので、世界は狭いなという以上の驚きが。Sくんは去年まで関東に住んでいて、いまは月イチで東京にタブラを習いに行っているとのこと。20人のうち2人もミュージシャンを輩出したあの剣道教室は、いったい何を育む教室だったのか。
そういえば教室をサボって近くのゲームショップ(カメレオンクラブ。今からしてみると大人の男性が行くお店の名前にしか思えん)の店頭でタダゲー(新作テレビゲームの試遊機)をしていたのがおかんにバレて怒られたことがありました。
おれが金沢にいた、まだチャペックが今の西都ではなく近江町市場の外側の一角にあった(今は元お弟子さんがその場所で喫茶店をやってるそうです)頃に親父と2人で行き、お冷に砂糖を入れて飲もうとしてマスターに「砂糖もタダじゃないげんぞ」と怒られたこともありました。小学生のよしむら少年はこの人はちょっと怖い人だ、と感じたような記憶がありますが、今ではおれは世界一冗談の通じる大人になったと自分では思っています。おれの冗談が人に通じないことはめちゃくちゃあります。さすがに喫茶店でお冷に砂糖を入れることはもうしません。チャペックのマスターがめちゃめちゃいい人なのは言うまでもなく。

ツアーでのライブというのは、ただいい演奏をする、ということ以外に気を配らないといけない場合が多いです。
バンドメンバーを連れていくと、みんなに気を遣ったり気を遣われたりしているうちに自然と丁寧な体調管理をすることになるんですが、1人のツアーは、自分に対する扱いがぞんざいになることがあります。
ずいぶん前だけどどうしても寝不足になり、春先の京都鴨川河川敷で、湿った土の上に置いたギターケースを枕に半日寝ていたこともありました。30度越えの仙台の海岸沿いをギターをしょって3時間歩いたこともありました。
他にもいろんなわけのわからない状況がありました。食事を取るのも1人だと面倒でつい抜いてしまう。
そういう、ランナーズハイ的な、普段は味わえない過酷な環境の連鎖に、なぜかわざわざ飛び込んで行こうとするメンタルは、振り返ってみるといずれも知らない人に囲まれることになる(もっとひどい時には見知らぬ人すら何人もいない)夜の本番が怖いという気持ちの反動による蛮勇だったんじゃないかと思います。ところが最近は1人での旅が楽しくて仕方ない。
楽しいという表現だけでは正確に伝わらないと思う、相変わらず体力的にきついし、暑くも寒くもない時期なんてほとんどないし、荷物は多い(最近、その場で誰かに借りればいいやってスタイルを取らず自分のギターを持っていくことが多い)し、ギャラを多めにもらうのは申し訳ないから貧乏旅行だし。1人の時間は多いし、でも好きなタイミングで1人になれるとは限らないし。一日中携帯のバッテリーに気を遣っていなきゃいけないし、プロツールスは基本的に起動できない(急ぎの仕事があるときはMacBookとロックキーだけ持っていく)。

ただ、特に先週の北海道と、昨日の富山のライブで、絶対に今まではできなかったことができているという感覚がある。音楽の話です。これまで弾けなかったギターが弾けて、出せなかった声が出せた。論理的に根拠を説明する気はないけど事実実感として、それはこれまで1人で何度もツアーをやってきたからだ、とわかっている。しかも、それはライブをたくさんやってきたからという理由だけではなく、寒い河原で寝転んだり、熱い海辺を歩き続けたり、裸足で雨の植物園を歩いたり、そういうことを重ねてきたからだ、と感じている。
筋肉隆々、真っ黒に日焼けして、僕は旅をしてきたよ、ということを歌うシンガーになりたいわけではない。そういう話ではない。旅からメッセージを拾ってくるというようなことではないと思う。全く無関係ではないにせよ。

説明できる根拠がなく、自分でも正体がわからない、でも確信だけがあるこの手応えをもう少し強いものにできないか、ということを試してみたい気持ちが富山で急激に大きくなりました。例えば「はづきたち」という曲は富山のライブで今までとは別物になったと感じました。ゆーきゃんはこのライブのあと、マイベストよしむらひらくを更新する曲かも、と言ってくれた。
これを掴めれば自分が大きく変わることになる、というような何かの尻尾をギリギリ掴んだという気がしています。そいつをもう少しきちんと掴んで引き寄せたい。引っ張った結果やっぱり違うな、ということになるかもしれないし、引っ張り切るにはまだもっと、何年も必要だと感じるかもしれない。でもとにかく、今東京に戻ってしまいたくない。せめてできれば2,3日は1人でフラフラしたい。一度東京に戻るとしてもそこからの暮らしのフットワークをもっと軽くしたい。そんなふうに考えています。

わけのわからないことを言っていると思います。ただ、音楽なんてそもそもわけのわからないもの。というかわけのわかる、きちんと説明できるところに音楽の魅力があると思っていたのだとしたらこれまでの自分は大きく間違っていたと思う。
何が変わるのか、よくわからないけれど、その結果が見たいという人はSTUDIO ROTHA SHOPから商品という形式で支援を送ってもらえるようにしました。(※)よしむらひらくに目的のない旅を続けさせるためだけの、世界で一番無為かもしれないクラウドファンディングです。自分の美学的にアリなのかナシなのか、検討する間もないのですが。

もし旅が続いていれば、明日も旅の記録をお送りします。

※現在終了

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8/14

おれの通っていた小学校は金沢市内と言えだいぶ山奥にありました。
住んでいた家からは3キロ弱、ニュータウンの坂を下り、谷底の川沿いを遡上する方向に、田んぼの脇を通り、坂を登り、登り切ってから下る。
おれが東京に出たあと少しして校舎は移転になり、旧校舎は耐震工事をしたばかりだったためかそのまま公民館という扱いになったようでした。
阪神淡路大震災が、おれが小学校の低学年くらいのころのことだった。
移転以来遊びに来たのは三度目だけど、一度も公民館としてまともに人が来ている様子はなかったです。

校舎の周りを一周して(中学一年かな?夏休みに金沢に戻って友達と忍び込んで突き落しあって怒られたプールが、跡形も無くなっていた!)、当時の家までの下校ルートを歩いてみました。
当時はルート中に個人商店が一軒、スーパーが一軒ありましたがそのどちらも無くなっていました。
友達の家の前には車が3台停まり(うち1台か、下手したら2台が当時の友達のものかもしれない。だいたいどこの家も車が2台か3台ある)、すれ違ったバスに乗客はいませんでした。

山を切り開いてできた街、ということに違いはないんだろうけど、東京に暮らしている身としてニュートラルな気持ちで周りを見渡すとここはほぼ山中という表現が妥当。
どれだけ力を尽くして切り開こうとしたところで暴けるはずなどない、住宅街ではあるのにパワーバランスとして圧倒的に山の支配の中にある、と感じました。
支援コースのリターンとしてお送りする予定の(東京に戻ったら手配します、お待ちください)、一昨日の富山でのライブでも話していることなのですが、13歳からずっと東京にいるので、出自の話題になると、自分としてはほぼ東京の人間です、と言っています。しかし今ここに立ってみるとどう考えてもこの環境が自分の人間形成に最大の影響を与えたと感じる。
小学校のとき一番夢中になった遊びといえばたぶんゲーム(いわゆる最初のポケモン世代なので)だったと思うのに、不思議な気もする。
そこで何をしていても、例えば景色を眺めるようなことすらなかったとしても、環境の影響というのは常に強いもんなのかもしれないです。
あんなに親の目から死ぬ気で隠れて隙あらばゲームをやろうと、そのことしか考えてなかったような気がするのに、いま何よりもこの空気が吸いたかったと感じる。

谷あいの町から市内中心街の方へ出て行く道を歩きながら、レンコン畑の脇の水深1cmくらいの側溝にカエルと、ヨシノボリのような魚がいるのを見つける。
そういえば水があれば何かしらがいるもんだという感覚があった、と記憶が一瞬で頭に染み渡るように蘇る。
厳密に言うと、水がある場所に出会ったとき、ここには何かいそうだ、または何もいなさそうだ、ということが直感でだいたいわかる。
生き物の気配を直接感じるとかというよりは、水の流れの有無やその早さとか、水面の色、周りに何があるか、そういう条件から瞬間的に判断する癖がついている。
いま東京に暮らしていてもそれはまだ変わらず、出くわした瞬間にわくわくする水辺とそうじゃない水辺がある。百発百中ではないけど、魚がいるかどうかはだいたい勘でわかる。
そういう人は少なくないと思うけど、あれ面白いよね。一次欲求と隣り合うくらいの感じで本能的に興奮するんだけど、やっぱり取って食うことが遺伝子に刻まれておるのだろうか。

そろそろ、別の街に行きたいなと考える。
コンビニの軒先で雨宿りをしながら日本地図を眺めて、しかし金沢というのは結構切り離された場所なんだなと。
当たり前だけど歩いて東京まで戻ることはなかなか大変だな、とか考える。
でも気分として、全然遠くへ来た気がしていないことに気づいた。遠くって、そもそもどこからだ、スタート地点がわからない。いい感じだ。

きょう全部で何キロ歩いたか、10キロはいってないと思うけどまあまあ、下駄が驚くくらい足に馴染んでいるお陰か、スーパー銭湯の露天風呂のお陰か、体のきつさはほぼなし。
気分としても、旅に出たいと思った初日の興奮が凪いで、足をどこにも付けていない、心地いい落ち着きに変わってきています。

今日会った小学校の頃の友達が、スポーツ選手になっていて、話を聞いていて心の底から揺さぶられました。
迷いのない人は落ち着いていて、静かに本当のことを言う。
おれはどうだろう、思わぬところでガンと頭を殴られたような。

お叱りも覚悟の上だったんですが、この奇行に早速ご支援くださった皆様、本当にありがとうございます。なんとかまだいけそうな光明が差してきました。
続きが見たくなってきた方は、引き続きご支援をよろしくお願いします。
静観くださっている方々も、どうかご理解ください。これから音楽を作っていくうえで絶対に無駄にならないと確信している旅です。

明日は移動します。

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8/15

東京を出て4日目、行くあてを放棄してから3日目。

今までわからなかったことが急激にいくつもわかり始めている気がしているんですが、あまりに急激なのでさすがにいまいち信用できないなって感じ。
ただこういうの、普段は浮かんではすぐ消えていくけど旅の間考える時間がありすぎてきちんと取り上げて吟味できていると思う。
わかってきている気がしているのはどれも具体的なことではなく、宇宙のエネルギーとか大自然の凄さとかそういうことでもなく、普段考えていることの延長なのだと思います。
うーん。言葉にしようとするとやっぱ胡散臭いな。
まあ、普段からけっこう宇宙とか自然とかのことを考えてるっちゃあ考えてるんだけど。
結局どれもこれも自分のことだと思う。一人でいるから当然とも言える。東京に帰ったら大部分を忘れると思う。
ただきっと旅の背景にあった気分とか、歩き回ったときの足のだるさとか、そういう周縁のことを案外覚えていて、中心の部分は情報量が多すぎて、記憶はできず、思い出そうとしても常にその現在のことしかわからない、そんなことになるんじゃないかというのがこれまで生きてきての現状での結論。

今回は案外一泊ぶんだけの小さな荷物で出かけてきたことが反対に長めの移動を可能にしているのだと思う。
荷物多いほどとにかく早く帰りたくなるからね。
北陸新幹線で来たのと同じルートを帰りたくないなと思い、糸魚川から白馬村を通って松本に抜けてくるルートに目をつける。

そんなわけで金沢から糸魚川にやってきました。ただ、ちょっと油断して松本までの電車が糸魚川からでは16時台に終わってしまうことに夜まで気が付かなかった。別ルートを改めて探すことも考えたけど、急に疲れがどっと出て、糸魚川で一泊を決意。明日は早く起きて、山の中へ分け入っていく感じで南へ向かうつもりでいます。

昼間は歩き回りましたが、晩飯をチェーンの居酒屋でゆっくりと食べたら完全に電池切れ。
スーパーを見つけてなぜかお菓子を買い込み(6月にじいちゃんの病室に二泊した時ちかくのスーパーに通っていたことを思い出した)、早々に宿へ。少し休む。
ついに足が、鼻緒の当たるところの皮がむけてしまった。下駄を履くようになってから常に携帯している絆創膏を貼る。
金沢から全く知らない街に来た途端に内にこもってしまって、なんだか旅が本当に下手だな、と少しガックリきてしまう。
糸魚川は名前をよく聞くし、なんとなく観光地然とした大きな街だと思っていたんですが、そういうわけでもなく。
もちろん小さな街は本来大好きなんですが、不便さや寂しさに出会うと敢えて挑んで行こうとするような、普段の元気が今日はちょっとなかった。
いや、普段の暮らしで供給過多の(72年前に暮らした人々が想像だにしなかったような)余裕や便利な環境が旅する中では得られずに、あくまで自然な余裕のなさが生まれているだけなのかも。

そういえば糸魚川駅前のヒスイ王国の売店で絵葉書をやっと見つけました。
親不知というところが景勝地として有名らしいということを絵葉書をパラパラと見て知る。
きょう糸魚川から3駅くらい海沿いを北上したところまで行ったんですが、そこの海水浴場から南を眺めたときの景色が、絵葉書の写真に劣らず幽玄で良かったです。

もはやただのデカい荷物になっていて、背負われっぱなしのギターが壊れたりしてないか不安になり、少しだけ弾いてみました。
この三日間、頭のどこかで常に弦に指が当たる瞬間とその前後のことを考えていた気がします。考えていたというか、気付くとそのイメージがふっとやってくる。
そして今日は目の前の風景に没頭するよりも、昨日と一昨日の金沢のことを思い出していた気がします。
そのために初めての街の滞在の時間を費やしたとしたらもったいないような気もしますが、有意義にそのためにあった日だったといえるような気もする。
昨日までとモードが変わっている感じがはっきりとあります。
よく寝て明日は元気に過ごしたい。

こうして1日の終わりに報告の文章を書くことを想定しているということも含めて、自分だけのための旅ではないという意識が常にどこかにある。
こうやって彷徨するのが誰かのためになっている、というようなことはとうぜん微塵も思わないんですが、おれが純粋におれの意思で好きなように動き回ることを、少なくともちょっと面白がってくれている人がいるということ、支援を送ってくださる人のあることに驚き続ける今日までの三日間です。
普段のブログよりもさらに推敲の薄い文章で申し訳ないです。
もちろん色々と切り詰めた貧乏旅行ですが、普段ならこちらからは聞きに行くことのできない言葉を送ってくださる方々の存在を、こうしてはっきりと認識できる、しかも旅先で一人きりの状況で、というのはなんとも言えない不思議な感覚です。
ツアーでのライブで各地の人と会う、というのともまた違う嬉しさがあります。

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8/16

東京に戻ってきました。旅はいったん終わったけど、続きはいつでもまたすぐ始められるなあと感じてます。
クラウドファンドのようなことも、以前からやるなら絶対ネタでやろうと思ってたんですが、
今回発想としてはネタでも、期せずしてマジメな顔でやってしまいました。
ご協力くださった方々にはもうお礼の言葉もありませんが、ともかく面白がってもらえたなら嬉しく思います。
絵葉書を探し回ったり、切手を調達するのに郵便局を探したり(間違えて50円切手をたくさん買ってしまったり)、そういうのも意外ととても楽しかった。
第一陣を投函したのが16日朝だったので、実物のおれが東京に戻るほうがハガキが着くより先になったのはちょっとカッコつかない感もありましたが。

16日の朝は8時間くらいぐっすり寝て糸魚川で目覚めました。
宿を出たら、今回の旅で初めて雨に降られる。
それまで降らなかったから忘れてたんですが、雨が降ると大荷物の旅は急に難易度が上がる。
昨夜葉書を書きながら、買った切手が50円切手だった、2017年の世界ではそれじゃ何も送れないと気付き、ともかく郵便局に行きまとめて62円切手に買い換える。

昨日考えていた通りに大糸線へ。
長野から流れてくる姫川という川沿いに、谷の脇をコトコト走っていく。
登山者と思しき女性、地元の人らしきおしゃれなティーンの女子三人組、何が目的かちょっと想像がつかない男性、そして楽器と物販を持って下駄にTシャツの東京の暇なシンガーソングライターが、白馬と妙高の間を少しずつ南下していく。
みんな足元が濡れていて、車内床も荷物がおきづらい、雨の日のあの感じ。
絶景に次ぐ絶景で、雨に増水した姫川(調べると、水質がとてもいいらしい)、頂上を濃い雲に隠した遠くの山並み、曇る窓、車内はほんの少し寒い。
南小谷で隣のホームの電車に乗り換え。
30分ほど停車している間に、ボタンで開くドアから大きな黒いハチが入り込んで車内を飛び回っていた。
そういえば黒いハチは小さい頃よく見たけど東京ではあまり見ない。
女性の車掌さんがハチに気づいて運転席の小さな窓を開ける。表情は見えない。
しばらくしたらハチはドアから出ていったのでおれはボタンを押して閉めたけれど、直後に家族連れがドアを開けて乗り込んできて、小さな子が大きな声で遅れてくる兄らしき子を何度も呼びながら敷居の上に突っ立っている。

白馬で降りるか、駅の周りの様子を見て決めようと思っていたけれど、この時に次の電車を調べてそれが3時間後だということ知ってスルー。
信濃大町で調べると、この辺りからはなんと電車が1時間に一本もある!ということでパッと降りる。
駅前のおみやげ屋さんで絵葉書と、みちみち食べようとくるみ柚餅子を買うと、プレゼントです、と美人店員さんが何かおまけを付けてくれた。
あとで見てみると、箱にたくさん入ってるタイプのご当地チョコクランチの個包装を三つ、再びラップしたもの。賞味期限はおそらく外箱に記載。
定食屋さんでカレーを食べ、駅へ。
信濃大町では雨は降っておらず、曇りに山の涼しい風が吹いていて、あの絶妙な湿気、最高だったな。

いつの間にか眠っていて、夕方になるころ終点の松本に着く。松本ではまた雨。
人、人、人、どっちを向いても人間がいる!
2日ぶりとはいえ大きな駅に着いて、自分が心から安堵しているのに気付いたので、それならもう東京に帰ろうという気持ちになる。
スーパー銭湯でゆっくりと露天風呂に入る。小雨の露天風呂は本当に最高だよな。
葉書を書き、そばを食い、ルマンドアイスを食べた。
20:00ちょうどのあずさ36号で東京へ。でも出発は5分ほどの遅れ。

たった五日間とはいえ旅に出てみて、一人で考える時間が普段より多いというだけのことで「これはこれまでと比べてよりよい」と感じる考え方にいくつも出会うのに、自分の内でさえそんな様子で、いったい個人が他人についてどんな有効な意見を持てるだろう、と思う。
わからない、全員が常にそのままで正しい、ということまで言えるかどうかわからないけれど、ともかく今のこの柔らかく重たい落ち着きの気分から比べて、他人を批評したり自分の立場を主張しなければいけないような気のしてくる普段の生活はどれだけ無意味な消耗があるか、そうして疲弊する代わりに何を得ているのか。
何を得ているのか、というのは反語的意味合いだけでなく、心底疑問でもある。
おれ自身ふくめ多くの人がそうまでして何かを欲している、その何かに価値がないなんていうことはあり得ないはずだ、と思う。
富山、金沢、糸魚川、先々週の北海道も、それぞれ景色を思い出そうとするといっしょに浮かんでくる周縁の感覚の記憶が、とらわれるな、足を軽く常に歩いていれば、良いことだけが目に入ってくると言っていると感じる。
でも人と関わらずに生きてはいけず、関係が近いほど不満も出てくるもんね。

半分くらいは敢えてのことだけど、しかも今回この日程の中でのことに限って、その日考えたこと、をただ「こういうこと考えたんですけど」というふうに率直に書いてきた。
おれにできる表現としてこの形が一番シンプルで、素直で、かつ意義もあると自分では感じた。
なぜ音楽をやってるのか、ということにはあまりに簡単に答えられるけれど、なぜ表現を音楽でやろうとしているのか、という問いに答えるのはけっこう難しい。
今この文章を読んでくれているみなさんがはじめ出会ったのはおれの音楽であって、おれ自身ではないと思うのだけれど、おれはおれの音楽としてみなさんの前に立とうと願ったり、おれ自身として正直にいようと願ったりと、今までブレ続けてきたし、多分これからも色々と迷うことがある。
恐らくみなさんからしたらどちらでも同じことだったり、どちらでも別によかったり、もしかすると音楽だけ好きだったり反対に音楽は惜しいなと思ってたり、さすがに人としても音楽も嫌いだという人はわざわざ読んでいないと思うけれど、、まあたまにそういう人もいるか。
おれも早くそんなのどっちだっていいやと恒常的に思える段階に達したい。
そのためには小手先の考え方をどうこうするのではなく、音楽を追求して、音楽の関係ないところでも自分を鍛えて、という両方が必要なのだと思う。
いつになるやらだけど、少なくとも今はなんか楽しみだなと思えています。

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