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第1回 「自分の最大で最高の力を費やした生きる」の歌

「短歌やってるんじゃない、人間やってるんだよ」

歌人の上坂あゆ美さんの言葉です。
まず生きていくのであって、「生きてきた」という実感やある程度の積み重ねがないと短歌はないんだっていう風に僕には聞こえて、一発で心を掴まれました。
その言葉を聞いた後に、第一歌集の『老人ホームで死ぬほどモテたい』を読んだら、まさに「生きてきた!!」という歌集でした。
ということで、「短歌をひらく」の第1回目は『老人ホームで死ぬほどモテたい』より、とても好きな一首の紹介です。

上坂あゆ美さんの『老人ホームで死ぬほどモテたい』

誰もいない小部屋で焚き火の音を聴き魂の一人暮らしをした日

『老人ホームで死ぬほどモテたい』

歌集の冒頭に収められた連作「スナックはまゆう」からの一首です。
論じるとか評するとかいったことは僕にはまだ難しくてできないのだけど、この歌を初めて読んだ時の心のざわめきというか、さざ波みたいなざわつきについては、幼稚な文章でもいいからとにかく書き残しておきたい。
しんどいなぁって思う時、必ずそばにいてくれる歌だと思うから。

連作は亡くなったお祖母さんの骨のつまみ方をYouTuberに教わる、という歌から始まります。
葬儀が進むのとはまた違った静けさをまといながら、主体の時間も進んでいく。主体はその場にいるのになんだかうまく溶け込めていないような、自分はどう振る舞えばいいのだろうと分かりかねているような、一歩引いたような感じです。
でも、いろんな感情が溜まっていて、それこそ日々の生活の悩みさえ、一緒くたになっているみたい。悲しい!とか、つらい!とかいったものの代わりに、腰からストンと床に座り込んでしまうような疲れが、泥のような疲労感が一連の歌たちにはまとわりついている印象を受けました。
小部屋だから、葬儀のために帰った実家のひと部屋でしょうか。たぶん連作の中の一首として考えれば妥当でしょう。
ただ、一首として読んだ時、ものすごく、ものすごく、「生きていく」ということへの必死さ、難しさ、キツさが立ち上がってくる気がしました。

主体は誰もいない小部屋で焚き火の音を聴くことで、回復を図っている。
小さくずっと叩き続けられてきた心に、最後の一発がきて、折れる寸前なのかもしれない。
焚き火の音はスマホから流しているのでしょう。寒い時にあたる火のように、パチパチという音が体を温めていく。

主体にとって「一人暮らし」ってとても大きな意味を持つことなんじゃないかと思いました。
「ひかりは止まってくれない」という地元沼津を出て手に入れたものだから、守りたいものだし、大切なものでもある。自分というものの一部のような感覚だ。
だからこそ焚き火の音を聴いて、「一人暮らしである」という状態をどうにか続けようとしているんじゃないだろうか。
魂の一人暮らしというのは、「渾身の一人暮らし」という意味の、自分の最大で最高の力を費やした生きる行為なんだと思う。
思いっきり泣くとか、怒りをぶちまけるとか、お酒を飲みまくるとかじゃないところがすごくいい。自分の生活に対して真摯だ。ヤケになって一回ぶち壊して、新しくやり直すなんてやり方はダメだ、と。
焚き火の音を聴きながら、夜の深くまで過ごすのでしょう。いつしか眠り、朝が来て、「うん、大丈夫。行こう」と立ち上がる姿がちゃんと見える気がします。

書誌情報
上坂あゆ美さんの第一歌集『老人ホームで死ぬほどモテたい』
https://ueskaym.theshop.jp/

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