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日々の断片-2024年1月1日~2024年1月7日

日々の断片を拾う。

2024年1月1日(月)元日、晴れ

8時前に目覚める。「一年の計は元旦にあり」というけれど、今年のお正月休みは長くとるつもりなので、ゆるゆると過ごすうちに少しずつ今年の抱負を考えていって、一週間経ったころにじわじわ決まってくる、というのも悪くないなと考え、ゆっくり過ごすことにした。雑誌『スピン』のバックナンバーを手にとりソファに寝転んだら、すぐに眠たくなってしまって2時間ほど寝た。腹をすかせた息子に起こされ、昼ご飯をつくる。これを書いていたら、なんとなく今年は自分で自分の居場所をつくってみたいなと思った。居場所は地元にもインターネット上にもいくつかある。それはそれとして、人様のつくった空間に思考を垂れ流すのではなく、こうしてnoteに書くように、ひとり静かに考えたい。そうか、「ひとりの時間」をわたしは「わたしの居場所」と捉えていたんだな。ひとり思索をめぐらす時間。

新年の挨拶に実家へ行った。帰りに息子がもらった袋を開けると、小銭がたくさん入っていて、数えたら全部で665円あった。「はて、この数字はなんだろう」と一瞬考えこんでしまったけれど、なんのことはない、母が息子に金種を覚えてもらおうとすべての硬貨をあげたかったらしく、さらに500円玉を1つか2つ入れそびれたらしく、この金額になったらしい。謎かけか何かかと思ったよ。

2024年1月2日(火)晴れ

年始に入って社交的なスイッチがオフになっているのを感じる。何度も読書を試みるが、そのたび眠気に屈する。のんびりと時間が過ぎてゆく。ずっとお正月でいいのに。

昨年春に熊本の橙書店で手に入れた奥山淳志『庭とエスキース』を手にとって、「そうか、わたしはいつかこういう暮らしをするのかもしれない」と思う。

年が明けてからニュースもSNSも見ていないけれど、スマートフォンの通知や友人経由で情報は届く。思うのだけれど、この世には常にさまざまなことが起きていて、大きなことがあれば小さいこともあって、わたしにとって大きいことも小さいこともあり、些細でしかし確かにわたしの日常に起こる手触りのある現実を生きることしかわたしはできない。惑うことは今したくない。

わたしは気づいた。スマートフォンを開いているその瞬間、息子の温もりを感じ損ねているかもしれないことに。空を鳥が渡るひとときを見そびれたかもしれないことに。わたしの心が穏やかになる時間を失ったかもしれないことに。静かに、少なくとも三が日のいまは静かに生きたい。

2024年1月3日(水)曇り

朝ごはん

わたしの圧倒的なコミュニケーション不全感が書くことへ向かわせる。いつだって自分の行動に疑念をもっている。自信がないわけではない。ただ疑っている。

静かに閉じていたい。だれかと分かり合いたいようで、だれにも分かられたくない。

大きな災害があろうと事故があろうと、目の前の困難だけがリアリティをもってわたしに迫ってくる。

ソーシャルとクリエーティブのはざまでわたしは揺れて生きてきた。前者の方が後者より社会に要請される感じがある。もちろん人間は社会的動物だから、どちらも他者や社会とのかかわりのなかで編み出される産み出されるもので、きれいにわけてしまう必要などないのだろう。だけれど今わたしは岐路に立っている。そんなことをつぶやきたくなった。このこと自体が、社会性を回復しつつある証左なのだろう。

2023年1月4日(木)晴れ

なし崩し的に仕事が始まってしまった。

わたしはきっと「創作」がしたいわけじゃないのだろう。わたしには創作をしなければならぬやむにやまれぬ事情があるとは今は思えなくなったし、どうしても作り続けたいものが湧いてくるわけじゃない。だけれど、書くことはずっと続けていくことだろう。読んで書いて、動いて書いて、話して書いて。書くことでわたしは前進してきたから、生きてきたから。

「違和感が拭えないんだ」と昨夜、友人と話していた。人と喋っても、差異やズレばかりが目につく。それを少しでも呼吸のしやすい環境に変えていくには、自分の表現をするしかない。表現が人を呼ぶ。共鳴し合える人たちと呼応して生きていくしかない。だからわたしは死ぬまで表現を続けるだろう。

おやつ

2023年1月5日(金)晴れ

息子が寝静まった後、居間のこたつに入って本を読んでいたらいつの間にか寝てしまっていた。穏やかな時間。

晩ごはん

2023年1月6日(土)曇り

わけあって窓に背を向けて仕事してたんですが、わけあって窓に向かって本を読んだら、これはいい、これはいいですね。空が見える。

2023年1月7日(日)晴れ、強風

息子にレゴブロックを買った。彼が欲しがったからだ。8歳以上と対象年齢が定められたそれを買って、ふたりで遊んだ。説明を読み落とすとかあえて自己流でやってしまうとか、息子らしいところがありつつ、ふたりでやれば30分ほどの時間はあっという間に経ってしまい、息子の成長を感じた。昔からブロックが大好きな子だった。たくさん遊んでほしい。

実家でしゃぼん玉をした。強風に煽られてあっという間に消えゆくそれを見て、自然としゃぼん玉の歌を口ずさむ。なんてさりげなくて、それでいて情景に心理を重ねた詩なんだろう。胸にくる。

しゃぼん玉とんだ 屋根までとんだ 屋根までとんで 壊れて消えた
しゃぼん玉消えた 飛ばずに消えた 生まれてすぐに 壊れて消えた
風風吹くな しゃぼん玉とばそ

息子は何度も、何度もしゃぼん玉を吹いていた。

帰宅して、居間兼子ども部屋の片づけをした。2時間かけて終え、ようやく夕食にありつくと息子は、「片づけした後に食べるごはんはおいしいなあ」とつぶやいていた。

寝る前に「レゴ楽しかったね、ママまたやろうね」と息子は言った。おやすみなさい。いい日曜日だったね。


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