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私たちは寂しさを抱いて生きていい

まだ幼い息子の寝かしつけが終わり、ほっと一息をつく。今日もようやく一日が終わった、と安心すると同時に、なんとも言えない寂しさが襲ってくることがある。この寂しさはどこから来るのだろう。

寂しさを抱えずに生きている人はきっといない。私もまた寂しい一人だ。だけど、何が寂しいのだろう。

私には現在、パートナーがいない。共に子育てをし、共に未来を見られる人がいない。息子の寝かしつけを終えて、その日一日起きた、取るに足らない、だけど愛すべき事々を話し合って共有する相手がいない。そのことが時々たまらなく寂しい。

しかし、寂しいのは離婚したから始まったのではない。かつて私は両親からの愛を求める寂しい子どもだった。両親で埋められなかった寂しさを恋人に求めたこともある。そのとき私は「ありのままの私を受け止めてほしい」「“いい子じゃない私”を受け止めてほしい」と思っていたように思う。

かと言って、両親が愛してくれなかったわけではない。だから、32年間生きて、葛藤を抱え、悩む中で、寂しさの理由を両親やパートナーなど他者に帰するのは何か違うのでは、と思うようになった。

結局、自分自身のことは自分で受け止めるしかない。自分がありのままの自分を受け入れることができていない、つまり自分と向き合えていないときに、寂しさを感じるのではないか。そういうとき、私は他者を求め、結局埋まらなかった寂しさを持て余してきた。そして自分は世界でたったひとりぼっちだ、と感じる。

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少し前に、とても寂しそうな人に出会った。その人と私は寂しい者同士。しかし私たち二人の人生がこの先交わることはないだろう。別の世界に生きてきたし、これからもそうだろう。

その人とは地元の婚活サイトで知り合った。パートナーが欲しいかも、と言う私に友人が紹介してくれたサイトで、私には出会い系のアプリよりかは安全そうに思えた。

相手は私よりずいぶんと若い人だった。若さゆえもあってか、その人は出会ったばかりの私に甘えてくるようなところがあった。たとえばその目線などにそれは表れていた。

きっと女の人に苦労をしたことがあまりない人なのだろう、と推測しつつも、私は驚いた。そこで直接的にこう聞いた。

「あなたは寂しがり屋ですか。」と。

その人は答えた。

「うん、とても。」

少し微笑んでうつむいた顔はほんとうに寂しそうで、しかもそれを隠す術を知らないように見えた。

「一人は嫌いだ。」

と彼が思っていることが私にはなんとなく分かった。

ところで、その人と私には大きく違うことがあった。その人は自分が寂しいということを知っていたことだ。私は彼と話した短い時間で自分が寂しさを見ないようにして生きてきたことを知った。いつからか、孤独に耐えられるふりをして無自覚に虚勢を張って生きてきたことに気づいた。

一人になったとき、

「寂しい。」

と口に出して言ってみた。何かが胸に込み上げ、頬に涙が流れた。自分を抱きしめてあげよう、と思った。

寂しさを見せ合うことは癒し合うことだ。みんなもっと寂しさを見せ合って生きていい。

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そのときから私は少し楽になった。寂しさを否定せず、見て見ぬふりをせず、ただそれを抱きしめて生きていいと知ったからだ。

寂しさがあるからこそ人は誰かを求め、人とつながることができる。寂しさがあるから、人は人と共に生きていける。中森明夫は『寂しさの力』の中で、

「生きるとは、さみしさを受け入れること」(中森明夫『寂しさの力』新潮新書、2015 p.5)

と言った。 寂しさは私たちが人間たる所以だ。

そりゃあ寂しいはずだ。私たちはたった一人で生まれて、たった一人で死んでいくのだもの。

宇多田ヒカルは活動に復帰したとき、とあるテレビ番組でこう言った。

人は生まれて数年の間に自分の人格の基礎となるものや価値観が形成されていく。なのにその時期のことをすべて忘れて生きている。みんなそれを抱えて生きていて、そこからいろんな悩みや苦しみが出てくるのではないか。

寂しさも同じだ、と私は思う。人は人生の中で一番愛情を受けて育ったときのことを忘れたまま生きる。しかし記憶はなかったとしても、事実として一人じゃなかったことがあるから寂しいのかもしれない。お母さんのお腹で温かさに包まれて過ごした時間があったから。初めから一人なら、寂しささえ感じないのではないか

そう考えると、寂しさが愛しいものにすら思えてはこないだろうか。

私たちは寂しさを抱いて生きていい。寂しくて苦しいときは、少し離れたところから自分を見つめてあげてほしい。そして寂しいんだね、と抱いてなでてあげてほしい。そのままでいいよ、と口ずさんでみよう。

あなたの寂しさの根幹にあるものは何ですか。



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