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日記(誕生日おめでとう)

朝起きたら晴れていた。ここ10日くらいは心身共に絶不調で、昨日はどん底にいた。自分に心底絶望して、たぶん絶望しきった。しかし人は絶望の底に落ちてはじめて希望を見たり、肚を括って歩み始めるのだろう。私は自分の仕事や対人関係だけでなく、物質的な豊かさを求めることを決めた。だってそれが自分を大事にするということだから。

誕生日は一人で過ごすと決めていた。この世に生を享けた日だから、感謝をするということも決めていた。しかし朝は憂鬱で、それでも昨日よりはマシだった。希望があった。職場に行けば尊敬する大好きな人の顔を見られるから、満身創痍の体を引きずるようにして職場に赴いた。

淡々と仕事をこなす。事務的な連絡、事務手続き。作業を一つ一つ終わらせていく。昼前に来客あり。その人がなんと私に贈り物をくれた。「誕生日おめでとう。」と言って。嬉しかった。開けてみると、はらぺこあおむしのタオルだった。私の好みをすごくよく分かってくださってるんだなとありがたかった。そっか私、誕生日なんだな。

お昼で勤務を終え、今日は食べたいものを食べようと「田島屋」へ行く。私はここのご飯が好きだ。今日はチキン南蛮定食。かけてもらった言葉で少しずつ回復しつつあったものの、まだまだ疲れが取れず、机につっぷしてご飯が運ばれてくるのを待つ。チキン南蛮はジューシーでおいしい。味わおうと心がけるけれど、まだ心が晴れきらない。

帰宅してチームハテナのオンラインミーティング。近況のシェア、企画の構想、人生について。当たり前なんだけど、みんなそれぞれの人生があると知る。苦しかったりつらいことがあるのは自分だけじゃないんだ、ついつい自分だけがきついように思ってしんどくなってしまうけれど。ミーティングを終えると、自然と感謝の気持ちが湧いた。そして自分を大切にしようと思った。

疲れた私を労わろう。まずはYouTubeを見ながらストレッチ。次にお風呂。ゆっくり湯舟に浸かり、シャンプーしながら頭をマッサージする。洗濯物を干す、部屋の掃除。掃除は苦手だけど、どのくらい綺麗になるかは自分の基準でいいんだ、と思いながら。私が綺麗になったと思えばそれでいいのだ。気持ちがスッキリした。

自然の中へ行きたい気持ちだったので外へ散歩に行く。どこに行こうかと行先を思いめぐらしつつ近所のスーパーへ。地元の新鮮な肉や魚が揃っているこの店で買い物をするのが私は好きだ。奮発して刺身の盛り合わせを買う。それを持って近くの公園へ。

桜が満開だった。この公園にこんなに桜の木があったとは。ベンチに腰かける。桜の枝越しに見る空が青い。桜が綺麗なのは3月末だと思っていた。4月のはじめに桜が満開を迎えるなんて忘れていた。どうして忘れていたのだろうと、ここ数年の4月2日辺りのSNSをたどって気づいた。こんな風に一人でこの季節を自分を大事にして過ごすのは数年ぶりだなと。

「萌」という名は、生命の萌え出づる季節に生まれたというところから父が名付けた。生命が母のお腹に宿ったとき、父が一所懸命考えてくれたのだろう。他にも候補があったと聞く。父の愛情を感じる。不器用な父の、これ以上ない愛情。母の愛情も感じようとするけれど、今はまだ分からない。だけど母は命をかけて私をこの世に産んだ。それは事実。

友人や知人から少しずつ「おめでとう。」の気持ちが届く。嬉しい。私は勝手に一人で誕生日を完結するつもりだった。普段もSNSなどで人に「おめでとう。」と言うことはあまりない。だけど誕生日は大人になっても確かに特別な日で、それを一言「おめでとう。」とお祝いしてもらうことはこんなにもありがたいことで嬉しいことなんだ、と気がついた。ありがとう。私はこうやって周りの人たちに助けられて生きている。

疲れた体を休める。少し眠ろうと2時間ほど仮眠。

起きて悩み事を紙に書いて思考、整理していたらあっさり肚が決まった。私はこうしたいから、それを実現するために判断を重ねていくのだ。

そして今これを書いている。誕生日おめでとう。ありがとう。今日ここから私はまた新たにスタートを切る。


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